九転び十起き(第1週 - 第13週)
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「あさが来た」の記事における「九転び十起き(第1週 - 第13週)」の解説
1901年(明治34年)、白岡あさは「日の出女子大学」の入学式での壇上にて、学問を推奨する祝辞を入学者に述べていた。 遡ること1861年(文久元年)、京都の豪商・今井家の次女・あさは、お転婆で好奇心旺盛な11歳の少女だった。ある日、女ゆえに学問を許されないことや勝手に結婚を決められたことに不満を持ち、父・忠興に猛反発して押入れに閉じこもる。そこへ訪れた許婚の白岡新次郎は、ゆっくり考えた上で将来を決めるよう諭し、梅の木で誂えたそろばんを贈る。やがて父からそろばんの手習いを許されてその才能を発揮、いつしか店の番頭たちが目を見張るまでに上達していく。(第1週) 時は流れ1865年(慶応元年)、15歳に成長したあさは相変わらずお転婆で、両親や付き人たちを悩ませていたが、同年春に姉・はつと、それぞれ祝言を挙げることが決まる。しかし久々に面会に現れたはつの許婚・眉山惣兵衛は冷淡で、義母となる菊からは威圧され、はつは気丈に振る舞うが結婚への不安が増していく。一方、あさを定期的に訪ねていた新次郎は、恋文を送ったのを最後に連絡を断つ。音沙汰無くあさが不安を募らせていた頃、新次郎は重篤の兄に心を痛めていた。祝言を挙げる直前になって新次郎と彼の父・正吉が今井家を訪れ、兄の急逝により祝言の延期を申し出る。こうしてはつの祝言から半年後に、あさも白岡家に嫁入りするが、新次郎は道楽に興じて家に寄り付かず、さらに家業に関われないなど制約が多いなか、店の人々とは次第に仲良くなって経営について内緒で教えてもらうようになる。また店に貸付を強要した新選組に立ちはだかり返済の約束を交わしたあさは、その日より新次郎に大人の女性と認められ床を共にするようになる。 新次郎の協力を得て加野屋の現状を知り、以前出会った武士・五代才助から聞いた「世の中が変わる」との言葉を気にして正吉に大名への貸付の回収を提案するが、長年の信用を理由に却下され経営を委ねるようにたしなめられる。しかし1件のみ取り立てを許され、一部金ながらも回収に成功し功績を認められて以後取り立てに出回るようになる。そんな時、新政府は倒幕の軍資金十万両の貸付を加野屋に要請し、さらに銀目停止の通達により困惑した人々が店に押しかける。それらの対処を終えた時には店の資金は底をつき、あさは借金を申し込みに奈良の豪商・玉利友信を訪ねる。当初は貸付を渋っていた玉利だが、新たに事業を始めて返済すると約束したあさに将来性を見込み、無利子で資金を貸す。 一方はつは、外部との接触を菊に禁じられ、逆らうと蔵に閉じ込められる仕打ちを受けていた。やがて山王寺屋も窮地に陥って、惣兵衛とともに実家に借金を申し込みに行くが、返済の目処が無いことから断られる。(第2週 - 第4週) 1868年(明治元年)、時代の変化をなんとか乗り切った加野屋も落ち着き始め、あさははつを心配して山王寺屋を訪ねるが、店は廃業し夜逃げ後であった。粗末な長屋で眉山一家を見つけるが、はつから冷たく追い返される。後日再び失踪して、あさはひどく落ち込むが、五代に勧められるまま大阪商人の寄り合いに出席したことを機に商売への興味がさらに増し勉強に打ち込む。一方、新次郎は百姓の納屋を間借りする眉山一家を探し出し、当初はあさに内緒で通い支援をするが、その内に知られることとなる。こうして再会したあさとはつは、互いに近況を話し合う。 新次郎の話であさが新たな商売として石炭に着目した頃、はつの妊娠が判明するが、惣兵衛が突如姿をくらます。あさは加野屋を支えるために炭坑経営を切願するが、資金不足や現場が遠距離であることから反対される。それでも鉱山買収方法を思案するあさを、義母・よのは快く思わず、さらに子宝に恵まれないことから、新次郎に妾を持たせようと考える。よのの考えを知り気落ちしたあさは、1871年(明治4年)、正吉から炭坑経営の心得として夫と仕事との選択を迫られ、不本意ながら新次郎に妾を取るよう願い出るが、新次郎はあさを愛するゆえに拒否する。その頃、炭坑主の未亡人・櫛田そえが加野屋を訪ねてくる。あさの思いを知り協力的な義父を見た櫛田は、加野屋に「蔵野炭坑」を譲ることを決める。こうしてあさは、新次郎にも背中を押され、1872年(明治5年)、炭坑がある九州・筑前へと旅立つ。(第5週 - 第6週) 九州の炭坑に到着はしたが、坑夫たちは「女の下で働く」ことを拒絶し働こうとしない。彼らと話し合ううちにもみ合いとなって転倒した時に、五代から「お守り代わり」にと持たされた拳銃が懐から落ち暴発する。坑夫の妻たちは、あさが拳銃で脅迫していると誤解し、坑夫たちも仕方なく働くことを決める。心配して炭坑を訪れた新次郎から、あさには武器は似合わないと優しく諭され、翌日、坑夫たちに拳銃を盾にした言動を謝罪して国の未来を支える石炭を採る彼らを讃えるが、彼らの代表として支配人・宮部と相撲を取ることになり、結果、あさが勝利する。以来、坑夫たちはあさに信頼を置き働くようになる。その頃、長男・藍之助が誕生し1年経ったはつは、五代からの情報を受けて賭博場で惣兵衛を発見する。はつを不幸にしたと自責する惣兵衛であったが、彼女に説得されて帰宅する。(第7週) 九州の炭坑から大阪へ戻ろうとした矢先、祖父・忠政の危篤の知らせを受けて京都の実家へ直行する。親族で祖父の最期を看取った後、今井家は政府の勧めで銀行開設に向けて、東京移転の準備を進める。はつの境遇に心を痛める母・梨江は、今井家の和歌山の土地の権利書を頑なに拒むはつに渡そうとする。あさから、はつ夫婦を信じて応援する貸付だと説得されてようやく権利書を受け取る。今井家が東京へ旅立った後、あさは正吉に銀行開設の相談を持ちかけるが、今はその時ではないとたしなめられる。坑夫やその家族が夢を持てるようにと労働の改革を進めようとするが、納屋頭たちの反対を受けて難航する。新次郎と会えない日々が続く寂しさを押し殺し、寝る間を惜しんで炭坑を手伝いながら納屋頭たちの説得を続けるうちに、やがて多くの納屋頭の賛同を得て改革を実行し、炭坑の人々から感謝されるが夫を差し置いて働く姿勢を叱責される。 11月になり、加野屋で襲名披露が行われた。正吉は引退し、榮三郎は八代目を襲名し、新次郎はその後見人となり、あさは加野炭坑を担うとお披露目される。一方惣兵衛は、はつから土地の譲渡を聞き、現地・和歌山を視察してみかん農業を始めることを決意する。当初反対していた菊も、家族の説得に折れる。そして白岡家の計らいであさとの時間を過ごしたはつは、翌早朝、一家で和歌山へと旅立って行く。(第8週 - 第10週・59回) その後も大阪と九州を行き来するうちに妊娠が判明するが、反抗的な態度をとる納屋頭・サトシの動向が気になり炭坑に留まり続ける。しかし、つわりで体調を崩し、迎えに来た新次郎とうめに連れられ大阪に帰る。そして長女・千代が誕生する。親子でひとときの穏やかな日々を送る中、炭坑で落盤事故が起きたと知らせが届き、あさは千代を新次郎に託して五代とともに急ぎ現場に駆けつける。事故ではなく何者かが故意に起こした事件だと五代は推理するが、結果は事故として処理される。正吉は、事故後の現場復興に大番頭・雁助を炭坑に差し向ける。実は、サトシは加野屋から独立した元大番頭の息子・松造で、雁助と対面後に突如炭坑から姿を消す。大阪のあさと新次郎の前に現れた松造は、加野屋を恨み落盤事故を首謀したことなどを自白するが、あさからは叱責され、さらに病床の正吉から謝罪され、父の思い出話を聞いて、加野屋とのわだかまりも解けて警察へ出頭する。 その後、正吉は他界し、あさは再び大阪と九州を往復する日々を送る。1878年(明治11年)、五代の誘いを受けて初めて東京へ行き、友人で内務卿の大久保利通を紹介される。銀行を開業した父とアメリカ留学から帰国した弟とも再会し、また、「学問のすゝめ」の著者・福沢諭吉と偶然出会う。帰阪間際に大久保が暗殺されたことを知って急遽五代の元を訪ね、大久保に代わり五代の心の友となることを誓う。(第10週・60回 - 第13週)
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