九転び十起きとは? わかりやすく解説

九転び十起き(第1週 - 第13週)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 08:50 UTC 版)

あさが来た」の記事における「九転び十起き(第1週 - 第13週)」の解説

1901年明治34年)、白岡あさは「日の出女子大学」の入学式での壇上にて、学問推奨する祝辞入学者述べていた。 遡ること1861年文久元年)、京都豪商今井家次女・あさは、お転婆好奇心旺盛11歳少女だったある日、女ゆえに学問許されないことや勝手に結婚決められたことに不満を持ち、父・忠興猛反発して押入れ閉じこもる。そこへ訪れた許婚白岡新次郎は、ゆっくり考えた上で将来決めるよう諭し梅の木誂えたそろばんを贈る。やがて父からそろばんの手習い許されてその才能発揮いつしか店の番頭たちが目を見張るまでに上達していく。(第1週) 時は流れ1865年慶応元年)、15歳成長したあさは相変わらずお転婆で、両親付き人たちを悩ませていたが、同年春に姉・はつと、それぞれ祝言挙げることが決まる。しかし久々に面会現れたはつの許婚眉山兵衛冷淡で、義母となるからは威圧され、はつは気丈に振る舞う結婚への不安が増していく。一方、あさを定期的に訪ねていた新次郎は、恋文送ったのを最後に連絡を断つ。音沙汰無くあさが不安を募らせていた頃、新次郎は重篤の兄に心を痛めていた。祝言挙げる直前になって新次郎と彼の父・正吉今井家訪れ、兄の急逝により祝言延期申し出る。こうしてはつの祝言から半年後に、あさも白岡家に嫁入りするが、新次郎は道楽興じて家に寄り付かず、さらに家業に関われないなど制約が多いなか、店の人々とは次第仲良くなって経営について内緒教えてもらうようになる。また店に貸付強要した新選組に立ちはだかり返済約束交わしたあさは、その日より新次郎に大人女性認められ床を共にするうになる新次郎の協力得て加野屋の現状知り以前出会った武士五代才助から聞いた世の中が変わる」との言葉を気にして正吉大名への貸付回収提案するが、長年信用理由却下され経営委ねるようにたしなめられる。しかし1件の取り立て許され一部金ながらも回収成功し功績認められ以後取り立て出回るうになる。そんな時、新政府倒幕軍資金十万両の貸付加野屋に要請し、さらに銀目停止通達により困惑した人々が店に押しかける。それらの対処終えた時には店の資金は底をつき、あさは借金申し込み奈良豪商・玉利友信を訪ねる当初貸付渋っていた玉利だが、新たに事業始めて返済する約束したあさに将来性見込み無利子資金を貸す。 一方はつは、外部との接触禁じられ、逆らうと閉じ込められる仕打ち受けていた。やがて山王寺屋も窮地に陥って、惣兵衛とともに実家借金申し込みに行くが、返済目処が無いことから断られる。(第2週 - 第4週1868年明治元年)、時代の変化をなんとか乗り切った加野屋も落ち着き始め、あさははつを心配して山王寺屋を訪ねるが、店は廃業し夜逃げ後であった。粗末な長屋眉山一家を見つけるが、はつから冷たく追い返される。後日再び失踪して、あさはひどく落ち込むが、五代勧められるまま大阪商人寄り合い出席したことを機に商売への興味がさらに増し勉強打ち込む一方新次郎は百姓納屋間借りする眉山一家探し出し当初はあさに内緒通い支援をするが、その内知られることとなる。こうして再会したあさとはつは、互いに近況話し合う。 新次郎の話であさが新たな商売として石炭着目した頃、はつの妊娠判明するが、惣兵衛突如姿をくらます。あさは加野屋を支えるために炭坑経営切願するが、資金不足現場遠距離であることから反対される。それでも鉱山買収方法思案するあさを、義母・よのは快く思わず、さらに子宝恵まれないことから、新次郎に妾を持たせよう考える。よのの考え知り気落ちしたあさは、1871年明治4年)、正吉から炭坑経営心得として夫と仕事との選択迫られ不本意ながら新次郎に妾を取るよう願い出るが、新次郎はあさを愛するゆえに拒否するその頃炭坑主の未亡人櫛田そえが加野屋を訪ねてくる。あさの思い知り協力的な義父見た櫛田は、加野屋に「蔵野炭坑」を譲ることを決める。こうしてあさは、新次郎にも背中押され1872年明治5年)、炭坑がある九州筑前へと旅立つ。(第5週 - 第6週九州炭坑到着はしたが、坑夫たちは「女の下で働く」ことを拒絶し働こうとしない。彼らと話し合ううちにもみ合いとなって転倒した時に五代から「お守り代わり」にと持たされ拳銃が懐から落ち暴発する坑夫の妻たちは、あさが拳銃脅迫していると誤解し坑夫たちも仕方なく働くことを決める。心配して炭坑訪れた新次郎から、あさには武器似合わない優しく諭され、翌日坑夫たちに拳銃を盾にした言動謝罪して国の未来を支え石炭を採る彼らを讃えるが、彼らの代表として支配人宮部相撲を取ることになり、結果、あさが勝利する以来坑夫たちはあさに信頼を置き働くようになるその頃長男之助が誕生し1年経ったはつは、五代からの情報受けて賭博場で惣兵衛発見する。はつを不幸にしたと自責する惣兵衛であったが、彼女に説得され帰宅する。(第7週九州炭坑から大阪戻ろうとした矢先祖父・忠政の危篤知らせ受けて京都実家直行する親族祖父最期看取った後、今井家政府勧め銀行開設向けて東京移転準備進める。はつの境遇心を痛める母・江は、今井家和歌山土地の権利書頑なに拒むはつに渡そうとする。あさから、はつ夫婦信じて応援する貸付だと説得されてようやく権利書受け取る。今井家東京へ旅立った後、あさは正吉銀行開設相談持ちかけるが、今はその時ではないとたしなめられる。坑夫やその家族が夢を持てるようにと労働改革進めようとするが、納屋頭たちの反対受けて難航する新次郎と会えない日々が続く寂しさ押し殺し、寝る間を惜しんで炭坑手伝いながら納屋頭たちの説得続けるうちに、やがて多く納屋頭の賛同得て改革実行し炭坑人々から感謝されるが夫を差し置いて働く姿勢叱責される。 11月になり、加野屋で襲名披露が行われた。正吉引退し、榮三郎八代目襲名し新次郎はその後人となり、あさは加野炭坑を担うとお披露目される。一方兵衛は、はつから土地譲渡聞き現地和歌山視察してみかん農業始めることを決意する当初反対していたも、家族説得折れる。そして白岡家の計らいであさとの時間過ごしたはつは、翌早朝一家和歌山へと旅立って行く。(第8週 - 第10週59回) その後大阪九州行き来するうちに妊娠判明するが、反抗的な態度をとる納屋頭・サトシ動向が気になり炭坑留まり続ける。しかし、つわりで体調崩し迎えに来た新次郎とうめに連れられ大阪帰る。そして長女千代誕生する親子ひととき穏やかな日々を送る中、炭坑落盤事故起きた知らせ届き、あさは千代新次郎に託して五代とともに急ぎ現場駆けつける事故ではなく何者かが故意起こした事件だと五代推理するが、結果事故として処理される正吉は、事故後の現場復興大番頭・雁助を炭坑差し向ける。実は、サトシ加野屋から独立した大番頭息子松造で、雁助と対面後に突如炭坑から姿を消す大阪のあさと新次郎の前に現れ松造は、加野屋を恨み落盤事故首謀したことなどを自白するが、あさからは叱責され、さらに病床正吉から謝罪され、父の思い出話を聞いて加野屋とのわだかまり解けて警察出頭するその後正吉他界し、あさは再び大阪九州往復する日々を送る。1878年明治11年)、五代誘い受けて初め東京へ行き友人内務卿大久保利通紹介される銀行開業した父とアメリカ留学から帰国した弟とも再会しまた、学問のすゝめ」の著者福沢諭吉と偶然出会う帰阪間際大久保暗殺されたことを知って急遽五代の元を訪ね大久保代わり五代心の友となることを誓う。(第10週60回 - 第13週

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