清朝随一の軍港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 15:18 UTC 版)
清朝の近代海軍の歴史は、1863年のオズボーン艦隊に始まる(南洋水師も参照)。しかし国防を外国人に依存することが清朝内部で問題視されたためこの艦隊は1865年には早くも解散した。この国防の肝、軍艦の国産という課題を解決するため、1866年(同治5年)、左宗棠が欧米の技術援助も受けて福州の馬江に設立したのが福州船政局だった。1870年代には2000トン級の艦艇を毎年継続的に建造できる能力を有し、折から整備中だった清朝の他の三水師にも艦艇を供給した。 加えて福州船政学堂では海軍要員の育成も行われた。ここは1881年に北洋艦隊の李鴻章が天津水師学堂を設立するまで、中国唯一の海軍教育機関であった。
※この「清朝随一の軍港」の解説は、「福建艦隊」の解説の一部です。
「清朝随一の軍港」を含む「福建艦隊」の記事については、「福建艦隊」の概要を参照ください。
- 清朝随一の軍港のページへのリンク