獄中より
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獄中では多くの資料を読み、神秘体験には教義のいうような意味はなく、脳内物質による生理的現象に過ぎないと思うようになった。 事件の9年後の2004年、NHKへ宛てた手紙の中で「私は愚かにも殺人というイメージの湧かない状態でした。麻原の指示が絶対になっていた」と述べている。 控訴審判決後の2006年11月14日、麻原四女へ宛てた手紙のなかで「私も何もしないのは情けないので、(中略)少しでも被害弁償ができればと思っています。ここにいても、やるべきことがたくさんあり、時間がいくらあっても足りないほどです。自分で仕事をつくっているのだけどね。まだ目に見える成果はなく、結果が出る保証もないのだけど、走るしかないですね」と述べている。面会した麻原四女は手記の中で「精神的に教団から解放された広瀬さんの顔はどこか清々しく見えました」と述べている。 2016年3月、手記で「事件前にサリンという言葉は使用されていたか―高橋克也氏の第一審判決」を論じている。 獄中で綴った手紙には「松本被告人の奇妙な言動が伝わるたびに、彼を神と誤解し、指示されるままに多くの方々を殺傷した自己の愚かさが身にしみました。」「私どもが殺傷してしまったのは、社会で誠実に生きてこられた方々ばかりでした。残酷な行為をした愚かさは、悔やんでも悔やみ切れない思いです。」などと書かれている。広瀬を違法行為に誘導した張本人である麻原彰晃は、自身の公判で「広瀬の立場は悪くありませんから」と発言。また、麻原は自身の弁護士との面会を拒否していたが、広瀬の公判の証人になる準備のために広瀬の弁護士とは面会した。 2018年7月26日に死刑が執行された。54歳没。
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