中曽根康弘 宗教関連

中曽根康弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/13 07:00 UTC 版)

宗教関連

靖国神社
1985年内閣総理大臣として公式参拝した。翌1986年は後藤田官房長官の圧力に屈し、さらに胡耀邦の中国共産党内での立場に配慮し、参拝を中止した。1988年3月11日赤報隊から脅迫状が送りつけられる(赤報隊事件)。国会議員勇退後にはA級戦犯分祀推進[42] や小泉総理の靖国参拝反対など大きく主張を転換した。
島村宜伸は、中曽根の依頼を受けて靖国神社に対しA級戦犯の分祀を求めたことがあった旨を、2005年に述べている[43]
天皇の参拝実現を要望している。2004年に「遺族が一番考えているのは天皇陛下がいつ参拝してくれるかだ。首相ではなく、天皇陛下が参拝できるようにするのが首相の大きな仕事だ」と発言している[42]
自著において宗教観を語っており、どの宗教も心の底から信じられないとするが、座禅だけは好んで行っている[12]。また雑誌の読書特集のインタビューで道元正法眼蔵』を座右の書としていると語った。
世界基督教統一神霊協会
世界基督教統一神霊協会(統一教会)・国際勝共連合との関係について以下の指摘がある。
1992年3月、出入国管理及び難民認定法の規定で日本に入国できなかった統一教会の教祖、文鮮明が特例措置で14年ぶりに日本に入国した際、文鮮明と会談した[44]
1992年9月、統一教会発行「中和新聞」 によると、桜田淳子山崎浩子が参加したことで注目を浴びた1992年の統一教会の合同結婚式に中曽根は元総理の名で祝辞を送ったとされている。
1994年8月 勝共連合の幹部の誘いで文鮮明の側近である朴普煕と会談、1991年の文鮮明と金日成の会談の報告を受ける。金丸信が(「東京佐川急便事件」で)失脚したので、北朝鮮と日本を結ぶパイプ役をお願いしたとされる[45]
2006年3月21日、千葉県幕張メッセで開催された統一教会系列の「天宙平和連合 (UPF)日本大会」にその活動趣旨に深い理解を示し、祝電を送ったという[46]



注釈

  1. ^ なお、後に中曽根政権で官房長官に迎えた後藤田正晴は内務官僚としての先輩に当たる。
  2. ^ 『終わりなき海軍』97ページでは「大きな波 黙祷の列の 足に来ぬ/戦友(とも)を焼く 鉄板をかつぎ 浜に出ぬ」
  3. ^ 実際幹事長に就任したのは斎藤邦吉で、蔵相に就任したのは金子一平
  4. ^ 河野一郎の没後に河野派を中曽根が引き継ぐことを進言したのは、当時1年生議員の渡辺である。
  5. ^ これはのち安倍晋三に、「戦後レジームからの脱却」「美しい国」志向として引き継がれる。
  6. ^ 二階堂はロッキード事件との関与が濃いとされながらも訴追されなかった「灰色高官」の一人とされ、金権政治批判を受けやすい立場にあった。
  7. ^ 所得税法人税などの直接税と比較すると酒税たばこ税揮発油税などの間接税の税収額が低いため、大型消費税の導入と所得税・法人税の減税などを組み合わせて直接税と間接税の税収額を同じにしようという政策。
  8. ^ 佐藤誠三郎の妻の佐藤欣子1989年の参院選で中曽根派の支援を受けて自民党から立候補したが、落選した。
  9. ^ ただし、これは地価高騰抑制などの理由により、当初の債務返済計画通りには進まなかった。詳しくは該当項目参照のこと。
  10. ^ 一方で、「総理就任時、日米関係は最悪と呼べる状態だった」「自分(中曽根)が外交関係を改善した」という認識を強く持ち、公式発言でもたびたび重ねたことが、鈴木善幸をはじめとする宏池会の逆鱗に触れ、(鈴木内閣と鈴木善幸本人への非難・皮肉とも受け取れた)二階堂擁立構想を生む原因となる。
  11. ^ これ以後、日本国内閣総理大臣から、同様の関係を築くことが流行した。後任・竹下登の「ロン・ノブ」、ブッシュと小泉純一郎の「ジョージ・ジュン」など。
  12. ^ こうした背景やレーガンの歴史認識・過去の記憶を基に、「ロン・ヤス」は実態の無い関係であったと指摘されることも多く、これは同じくアメリカのプードル時代といわれた後年の「ジョージ・ジュン」の関係と比較しても歴然とした差が存在した。
  13. ^ ドン・オーバードーファー「ナカソネは『不沈空母』とは言わなかった---ワシントン・ポスト外交記者を辞めるに当たって」『THIS IS 読売』1993年8月号
  14. ^ サッチャーの愛国心はかなりのもので、トルコのダーダネルス海峡に架ける橋の工事を日本企業が請け負った際には、サミットの開会前に中曾根の元に来て、英国の勢力圏の仕事を日本が持っていくのはひどいと抗議している。
  15. ^ 中曽根首相は1983年1月、韓国を訪れた。日程を順調に消化し、最大のヤマ場となる大統領官邸の大広間での晩餐会が始まった。大勢の来賓が招かれた中、全斗煥大統領の歓迎スピーチが終わり、次は中曽根首相の挨拶になった。来賓は、中曽根首相が日本の韓国統治についてどういう言葉で謝罪するのかに注目し、会場は水を打ったように静まり返った。首相はポケットから挨拶文を取り出し、ゆっくりと広げた。「ヨロブン、アンニョン ハシムニカ(ご来賓の皆さん、今晩は、여러분, 안녕하십니까)…」会場は大きくどよめいたという。スピーチの中ほどで日本語になり、韓国語の通訳が入った。そして最後。「オヌルン、テダニ カムサハムニダ(本日は誠にありがとうございました、오늘은 대단히 감사합니다)」会場は割れんばかりの拍手に包まれたという。帰国後、中曽根首相は「隣に座っていた全斗煥大統領は涙を浮かべていた」と語ったという。客席の中にもハンカチで涙を拭いていた人もいたようだ。中曽根首相の謝罪の言葉は脇に押しのけられた格好になった。(町田貢 『日韓インテリジェンス戦争』 文藝春秋 2011年)
  16. ^ 報道2001」において中曾根が語る先見性を予言者ノストラダムスに見立てて名づけられた。
  17. ^ 神一行著『閨閥 改訂新版』176頁によれば、「母の名前はゆく。その実家は安中市の名家で素封家であった。中曽根は女一人、男四人の二男。そのうち三男・良介は戦死、四男・昌吉は病死している。」という。
  18. ^ 神一行著『閨閥 改訂新版』178頁によれば、「その妻・真理子は、前川商事や前川産業、あるいは朝霧高原の開発などで有名な前川昭一の長女である。」という。
  19. ^ めちゃ×2イケてるッ!」のコーナー「フジTV警察24時」でもフジテレビの二世社員として紹介され、目の前で本庁からの助っ人だったはなわに“中曽根の孫もフジ、オンエアできるのか?”と歌われた。また、インディーズお笑い芸人としても活躍している
  20. ^ 1973年入局。同期には池上彰(報道記者)、大塚範一宮本隆治(アナウンサー)などがいる[50]

出典

  1. ^ a b 日外アソシエーツ編『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』(日外アソシエーツ、2003年) 436頁、437頁、日外アソシエーツ編『新訂現代政治家事典―中央・地方の政治家4000人』(日外アソシエーツ、2005年) 377頁、378頁参照。
  2. ^ a b 昭和16年4月18日(発令4月18日付)海軍辞令公報(部内限)第623号 p.31(原本304上段、任海軍主計中尉)、p.34(原本307上段、海軍経理学校補修学生被仰付)』 アジア歴史資料センター Ref.C13072080800 
  3. ^ 2億3500万円。ウランの質量235に因む。
  4. ^ 新総理 中曾根康弘の研究』139頁
  5. ^ 昭和16年8月11日(発令8月11日付)海軍辞令公報(部内限)第687号 p.18(原本610下段)』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081700 
  6. ^ 昭和16年11月20日(発令11月20日付)海軍辞令公報(部内限)第752号 p.24(原本1249)上段』 アジア歴史資料センター Ref.C13072083200 
  7. ^ a b c 終わりなき海軍90-93頁『喜びは任務遂行の瞬間にある』
  8. ^ a b c 終わりなき海軍92-93頁『民衆の一人として生きぬけ!』
  9. ^ a b c 終わりなき海軍94-95頁
  10. ^ a b c 終わりなき海軍95-96頁
  11. ^ a b c d 終わりなき海軍96-98頁
  12. ^ a b 中曾根康弘『自省録-歴史法廷の被告として-』(新潮社 2004年6月) ISBN:4-10-468701-4
  13. ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』 朝雲新聞社、1969年5月、198-203頁。
  14. ^ 昭和18年8月21日(発令8月18日付)海軍辞令公報(部内限)第1195号 p.40(原本1624上段)』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092500 
  15. ^ 昭和19年11月6日(発令11月1日付)海軍辞令公報(甲)第1636号 p.25(原本2526一段)』 アジア歴史資料センター Ref.C13072101800 
  16. ^ a b 「中曽根康弘」語録: 哲人政治家の素顔 71〜75
  17. ^ a b 第百三回国会衆議院予算委員会議録第二号(昭和60年10月29日)pp.26-28
  18. ^ 長崎県知事選の違法献金事件 自民党に衝撃 特定寄付の禁止 「政治資金」で届けても違法 選挙の集金構造にメス 2002年12月31日 しんぶん赤旗
  19. ^ 原口和久 (2002). 成田 あの1年. 崙書房. pp. 37-40. 
  20. ^ 魚住昭 『渡邉恒雄 メディアと権力』p. 132-134, 355-360, 講談社、2000年。ISBN 4-06-209819-9
  21. ^ a b “訪米時の中曽根康弘元首相「不沈空母」発言を記録”. 産経新聞. (2017年1月12日). http://www.sankei.com/world/news/170112/wor1701120029-n1.html 2017年1月13日閲覧。 
  22. ^ “中国 日本の自衛力増強に理解 83年の首脳会談で”. NHK. (2017年1月12日). http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170112/k10010836861000.html 2017年1月15日閲覧。 [リンク切れ]
  23. ^ 中国から見た日米同盟体制 - 防衛省防衛研究所
  24. ^ Japan May Go Its Own Way on Economic Aid to China : Sanctions: Tokyo argues that Beijing should not be isolated from the world community. Kaifu will see Bush on Saturday.”. ロサンゼルス・タイムズ (1990年7月6日). 2017年4月21日閲覧。
  25. ^ 青木直人「中国に喰い潰される日本 チャイナリスクの現場から」2007年1月
  26. ^ “胡錦濤主席と中曽根元首相が会談”. 人民網. (2008年4月30日). http://j.people.com.cn/2008/04/30/jp20080430_87546.html 2017年2月2日閲覧。 
  27. ^ “「特例会見」仕掛けたのは中曽根氏? 前原発言で「ドロドロ」戦争”. J-CAST. (2009年12月16日). https://www.j-cast.com/2009/12/16056359.html 2017年4月21日閲覧。 
  28. ^ http://singo.jiyu.co.jp/nendo/1996.html
  29. ^ 文藝春秋2018年二月号、~竹下から安倍まで~ 総理17人のベスト3 御厨貴後藤謙次、169頁
  30. ^ 旧海軍時代に慰安所つくった記憶ないBloomberg.co.jp
  31. ^ 慰安婦:中曽根元首相、強制動員を否認(Chosun Online 『朝鮮日報』)[リンク切れ]
  32. ^ 自著『二十三歳で三千人の総指揮官』、関連書『終わりなき海軍』松浦敬紀著、『いま明かす戦後秘史に詳しい』鹿内信隆
  33. ^ 「土人女を集め慰安所開設」 中曽根元首相関与示す資料 高知の団体発表 2011年10月28日 しんぶん赤旗
  34. ^ 「旧中曽根派同窓会」出席でささやかれる二階俊博・衆院予算委員長の〝野心〟 現代ビジネス 2013年12月7日
  35. ^ 中曽根元首相きょう100歳=改憲へ意欲衰えず - 時事ドットコム 2018年5月27日
  36. ^ R25ロングインタビューVol.202
  37. ^ “全斗煥元大統領、訪日前に日本に圧力…天皇、初めて過去の歴史に遺憾表明”. 中央日報. (2015年3月31日). http://japanese.joins.com/article/296/198296.html 2017年12月20日閲覧。 
  38. ^ “中曽根氏、中韓を仲介 外交文書で判明「希望伝えてと」”. 朝日新聞. (2017年12月26日). https://www.asahi.com/articles/ASKDN2G9XKDNUHBI002.html 2017年12月27日閲覧。 
  39. ^ a b “日朝貿易へ「用意ある」 中曽根首相、中国に提起 韓国の国交樹立要望伝達 86年会談、外交文書”. 日本経済新聞. (2017年12月20日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24847300Q7A221C1EAF000/ 2017年12月20日閲覧。 
  40. ^ 「サンデー毎日誌上の不破と中曽根対談」考
  41. ^ 中曽根 康弘著『青山常運歩 中曽根康弘対談集』(毎日新聞社)
  42. ^ a b “天皇陛下の靖国参拝実現を 86歳の誕生会で中曽根氏”. 共同通信社. 47NEWS. (2004年5月27日). http://www.47news.jp/CN/200405/CN2004052701003959.html 2015年3月4日閲覧。 
  43. ^ “中曽根氏依頼で分祀求める 島村農相が靖国神社に”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年6月7日). http://www.47news.jp/CN/200506/CN2005060701000874.html 2015年3月4日閲覧。 
  44. ^ 第123回国会 参議院 予算委員会 第3号 平成4年(1992年)4月8日
  45. ^ 有田芳生 『「神の国」の崩壊 統一教会報道全記録』 教育史料出版会 1997年
  46. ^ 光文社FLASH2006年7月4日号
  47. ^ 朝日新聞1963年11月3日
  48. ^ 神一行著『閨閥 改訂新版』169頁
  49. ^ 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)ア九二頁より
  50. ^ 同期っていいね! 中村こずえのひとりごと 2012年3月25日





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