中曽根康弘 献金

中曽根康弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 02:12 UTC 版)

献金

ジャパンライフ
首相在任中、中曽根の5つの政治団体に、ジャパンライフから計1000万円の献金が行われていたことを、日本共産党藤田スミが追及している。中曽根は「善意の政治資金として受け付けたということでございまして……」と答弁している[113]。元会長山口隆祥と中曽根は同郷である。

渾名

語録

「政治家は歴史上の法廷での被告である。」[115]

「老兵は消えず、ただ頑張るのみ。」

栄典

戦後、生存者叙勲の復活が閣議決定された直後には「戦前の勲章の復活などは、いまの憲法にふさわしくない。第一、いまどき勲章をもらったって、いつ、どんな服につけるのかね」[116] と語っていたが、1997年4月29日、大勲位菊花大綬章を受章した。日本国憲法施行後、皇族・外国人以外で大勲位菊花大綬章を生前受勲したのは、吉田茂佐藤栄作に次いで3人目である。その他の栄典としては、大日本帝国海軍の軍人であったとき、海軍主計少佐として従六位に叙されている。2019年(令和元年)12月27日の閣議で、中曽根の叙従一位および大勲位菊花章頸飾追贈が決定された[117][118]。叙位叙勲は、死去日の11月29日付けである[119]

また、フランスレジオンドヌール勲章(グラントフィシエ)やドイツ共和国の功績勲章大十字章を含め、13箇国から勲章を授与されている。

称号は、名誉博士(ルイ・パスツール大学)、名誉博士(タンマサート大学、政治学)の名誉学位を受けている。その他、1997年(平成9年)には国会議員在職50年表彰を受けた(史上4人目)。

家族・親族

1983年1月21日アンドルーズ空軍基地にて妻の蔦子(左)と

系譜

中曽根家(群馬県高崎市

系図1

平山信
 
 
 
 
 
 
 
中曽根
松五郎
 
 
 
 
 
 
 
斉藤知一郎
 
 
 
 
 
豊田喜一郎
 
 
 
三井高長
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千枝
 
川上寿一
 
中曽根
吉太郎
 
中曽根康弘
 
 
 
斉藤了英
 
斉藤滋与史
 
和可子
 
豊田章一郎
 
博子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
川上冽
 
光子
 
八重子
 
斉藤知三郎
 
斉藤斗志二
 
斉藤公紀
 
 
 
 
 
 
 
豊田章男
 
 
 
 

系図2

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鹿島岩蔵
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いと
 
鹿島精一
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
初代中曽根
松五郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
稲山嘉寛
 
 
 
梁瀬次郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
卯女
 
鹿島守之助
 
 
 
 
 
 
 
 
 
渥美育郎
 
 
 
小林儀一郎
 
 
 
 
 
2代中曽根
松五郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
稲山孝英
 
弘子
 
公子
 
鹿島昭一
 
よし子
 
石川六郎
 
三枝子
 
平泉渉
 
伊都子
 
渥美健夫
 
小林義治
 
蔦子
 
中曽根康弘
 
中曽根
吉太郎
 
前川昭一
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
渥美雅也
 
渥美直紀
 
美恵子
 
美智子
 
双川文吾
 
中曽根弘文
 
真理子
 
 
 

注釈

  1. ^ 実際にはアメリカ海軍の駆逐艦4隻(ジョン・D・フォード、ポープパロットポール・ジョーンズ)。
  2. ^ 中曽根は「神通」としているが、実際には第四水雷戦隊司令官西村祥治少将が座乗する同型艦那珂[28]
  3. ^ 戦史叢書の記録では、実際の沈没艦は潜水艦による輸送船1隻並びに米海軍駆逐艦による輸送船3隻・哨戒艇1隻で、船尾に被弾した輸送船は「朝日山丸」(死傷者約50名)、マカッサル海峡で沈んだ輸送船は空襲による「南阿丸」1隻であり、中曽根の回想からはやや乖離がある[28]
  4. ^ 『終わりなき海軍』97ページでは「大きな波 黙祷の列の 足に来ぬ/戦友(とも)を焼く 鉄板をかつぎ 浜に出ぬ」
  5. ^ なお、内務官僚としての先輩で後に中曽根政権で官房長官に迎えた後藤田正晴も当時陸軍台湾司令部に配属されており、間接的に資材の獲得を競い合う「好敵手」であった[32]
  6. ^ 中曽根は個人的には「大東亜戦争」の呼称を用いていた[36]
  7. ^ 実際幹事長に就任したのは斎藤邦吉で、蔵相に就任したのは金子一平
  8. ^ 河野一郎の没後に河野派を中曽根が引き継ぐことを進言したのは、当時1年生議員の渡辺である。
  9. ^ これはのち安倍晋三に、「戦後レジームからの脱却」「美しい国」志向として引き継がれる。
  10. ^ 実際には、後藤田の力量を買う中曽根が田中に所望したことによる人事であった[32]
  11. ^ 二階堂はロッキード事件との関与が濃いとされながらも訴追されなかった「灰色高官」の一人とされ、金権政治批判を受けやすい立場にあった。
  12. ^ 所得税法人税などの直接税と比較すると酒税たばこ税揮発油税などの間接税の税収額が低いため、大型消費税の導入と所得税・法人税の減税などを組み合わせて直接税と間接税の税収額を同じにしようという政策。
  13. ^ 佐藤誠三郎の妻の佐藤欣子1989年の参院選で中曽根派の支援を受けて自民党から立候補したが、落選した。
  14. ^ ただし、これは地価高騰抑制などの理由により、当初の債務返済計画通りには進まなかった。詳しくは該当項目参照のこと。
  15. ^ 一方で、「総理就任時、日米関係は最悪と呼べる状態だった」「自分(中曽根)が外交関係を改善した」という認識を強く持ち、公式発言でもたびたび重ねたことが、鈴木善幸をはじめとする宏池会の逆鱗に触れ、(鈴木内閣と鈴木善幸本人への非難・皮肉とも受け取れた)二階堂擁立構想を生む原因となる。
  16. ^ これ以後、日本国内閣総理大臣から、同様の関係を築くことが流行した。後任・竹下登の「ロン・ノブ」、ブッシュと小泉純一郎の「ジョージ・ジュン」、安倍晋三ドナルド・トランプの「ドン・シン」、菅義偉ジョー・バイデンの「ジョー・ヨシ」など。
  17. ^ こうした背景やレーガンの歴史認識・過去の記憶を基に、「ロン・ヤス」は実態の無い関係であったと指摘されることも多く、これは同じくアメリカのプードル時代といわれた後年の「ジョージ・ジュン」の関係と比較しても歴然とした差が存在した[要出典]
  18. ^ 当時の党三役のうち幹事長・総務会長をそれぞれ竹下登・安倍晋太郎というポスト中曽根のニューリーダーが務めていたため、三役辞職により中曽根の早期退陣につなげるとともに、自らの時代を切り開く思惑があった。しかしこの辞任論に対しては、もうひとりのニューリーダーである宮沢喜一の母体の宏池会が猛反発し、実現に至らなかった。宮沢は当時蔵相だったため、売上税を巡っての政権の動揺は宮沢自身の責任論にも繋がりかねなかったためである。
  19. ^ ただし、中曽根は上述の通り3月10日に台湾へ転任となり[31]、慰安所の開設は翌日であることから[73]、開設後の運営には携わっていないものと考えられる。
  20. ^ サッチャーの愛国心はかなりのもので、トルコのダーダネルス海峡に架ける橋の工事を日本企業が請け負った際には、サミットの開会前に中曾根の元に来て、英国の勢力圏の仕事を日本が持っていくのはひどいと抗議している。
  21. ^ 中曽根首相は1983年1月、韓国を訪れた。日程を順調に消化し、最大のヤマ場となる大統領官邸の大広間での晩餐会が始まった。大勢の来賓が招かれた中、全斗煥大統領の歓迎スピーチが終わり、次は中曽根首相の挨拶になった。来賓は、中曽根首相が日本の韓国統治についてどういう言葉で謝罪するのかに注目し、会場は水を打ったように静まり返った。首相はポケットから挨拶文を取り出し、ゆっくりと広げた。「ヨロブン、アンニョン ハシムニカ(ご来賓の皆さん、今晩は、여러분, 안녕하십니까)…」会場は大きくどよめいたという。スピーチの中ほどで日本語になり、韓国語の通訳が入った。そして最後。「オヌルン、テダニ カムサハムニダ(本日は誠にありがとうございました、오늘은 대단히 감사합니다)」会場は割れんばかりの拍手に包まれたという。帰国後、中曽根首相は「隣に座っていた全斗煥大統領は涙を浮かべていた」と語ったという。客席の中にもハンカチで涙を拭いていた人もいたようだ。中曽根首相の謝罪の言葉は脇に押しのけられた格好になった。(町田貢 『日韓インテリジェンス戦争』 文藝春秋 2011年)
  22. ^ 報道2001」において中曾根が語る先見性を予言者ノストラダムスに見立てて名づけられた。
  23. ^ 神一行著『閨閥 改訂新版』176頁によれば、「母の名前はゆく。その実家は安中市の名家で素封家であった。中曽根は女一人、男四人の二男。そのうち三男・良介は戦死、四男・昌吉は病死している。」という。
  24. ^ 神一行著『閨閥 改訂新版』178頁によれば、「その妻・真理子は、前川商事や前川産業、あるいは朝霧高原の開発などで有名な前川昭一の長女である。」という。
  25. ^ めちゃ×2イケてるッ!」のコーナー「フジTV警察24時」でもフジテレビの二世社員として紹介され、目の前で本庁からの助っ人だったはなわに“中曽根の孫もフジ、オンエアできるのか?”と歌われた。また、インディーズお笑い芸人としても活躍している
  26. ^ 1973年入局。同期には池上彰(報道記者)、大塚範一宮本隆治(アナウンサー)などがいる[122]

出典

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