諸本とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 産業 > 出版 > > 諸本の意味・解説 

諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/15 04:01 UTC 版)

椿葉記」の記事における「諸本」の解説

椿葉記』には永享3年から4年にかけて書かれ最初草稿及び後花園天皇元服時と後小松法皇崩御後2度わたって増補校訂され草稿3種類が存在しており、伏見宮家から宮内庁書陵部移されている(ただし、最初草稿と見られる通称甲本」は断簡のみ、次のものとされる通称「乙本」は一部欠け最後のものとされる通称「丙本」はほぼ全文伝わっている。なお、「丙本」は「乙本」の裏貼りつけられており、「乙本」の一部欠けるのは貞成親王が「丙本」を貼り付けた際に反故にされたと見られている)。複数回の校訂が行われた背景には、『椿葉記』の内容が、当時治天の君である後小松法皇意向真っ向から対立せざるを得ない部分含んでおり(特に太上天皇尊号要望の件など)、こうした部分に関して慎重に推敲重ねた結果であると考えられている。 乙本から更に推敲加えられ貞成親王から後花園天皇出されとされる奏覧本原本残されていないため、全容の把握が困難である。また、奏覧本からの写本の系統を引くとされる伏見宮家所蔵以外の諸本も異同明らかな脱落部分が多いとされている。これらの写本多く長年皇室公家邸宅などに秘蔵されいたもので、その中で大きく分けて東山御文庫所蔵本(現在御府御蔵)や葉室本(現在宮内庁書陵部所蔵)を祖形とする2系統存在するが、その祖本とされる2種にしても誤字脱文かなりの箇所にのぼるとされている。更に、刊行され民間流布されてきたのは群書類従帝王部に収められたものであるが、底本伝来経緯不明の状態で東山御文庫本・葉室本とも文章違いがあり、異な系統属するとも言われている。 戦後になって村田正志東山御文庫本のほぼ忠実な写本とされている三条西家所蔵本を底本に、同じ東山御文庫系統藤波本(細川幽斎による写本藤波家経て宮内庁書陵部伝えられたもの)や葉室本、群書類従本元に補訂して、更に伏見宮家3種草稿掲載して対照可能とした『證註椿葉記』を刊行している。また、宮内庁書陵部1985年に「乙本」と「丙本」の複製吉川弘文館から限定刊行している。

※この「諸本」の解説は、「椿葉記」の解説の一部です。
「諸本」を含む「椿葉記」の記事については、「椿葉記」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 03:49 UTC 版)

太平記」の記事における「諸本」の解説

『太平記』本文系統については、戦前後藤丹治研究があり、戦後高橋貞一鈴木登美恵のほか、昭和後期から平成にかけては長坂成行小秋元段らが網羅的かつ精力的に研究続けており、以下それらの成果によって記す。 「構成」にあるように、すべての現存『太平記』本文は巻22に当たるべき記事欠いており、記事配列操作をせず巻22そのまま欠巻とするものを古態本とし、配列操作して22設けたものを比較後出本とする。この点については古く参考太平記凡例ですでに指摘されている。 戦後紹介されたもので、巻32当のみの端本零本)でありかつ『太平記』の名も冠せられていないが、『太平記』最終記事年代に近い永和年間(1375-1379 おそらく永和2 - 3年)写かとされる古写本があり、この本文現存の諸本とほぼ一致する(巻32は諸本間の異同大きく永和本系統と他もう一系統の大きく2つにわかれ、古態本の中にはこの両方併記したものもあり、後出本の中には系統混合したものもある)。永和本と称されるのである。 このほか一、二断簡中の逸文を除くと、まとまった古写本としては次の系統のものが現存本中、古態とされる神田西源院本 南本 神徴古館本 これら四系統相互の関係はいまだに定説がない。ただし、流布本本文との比較では南都本系統が一番近く逆に西源院本が一番遠い(独自記事が多い)ことは判明している。 現在では一応神徴古館系の本文古態とするが、これも確定的なものではない。また、古態とされる神田本にもある個所大量切り継ぎ後出思われる別系統本文の補入)があるほか、すべての古写本が混態本であり、極端にいえば巻ごとに系統異なるともいえる。ただし、『太平記』本文異動特定の巻に集中する傾向がある。 以下、流布本より古いが巻22編集によって埋めている諸本のうち、代表的なものとして 今川家本 (現在近衛家陽明文庫所蔵のため陽明文庫本とも呼ばれる永正2年1505年)の現存写本の中では最も古い奥書を持つ。またこの奥書はかなり長大で、それによるとこの写本の伝来には甲斐武田氏との関わりもあるという。『参考太平記校合対象本) 天正毛利家本 (両本とも彰考館流布本対し外部資料などで増補した思われる異文多く持つ。同じく参考太平記校合対象本) 梵舜本 (古写本の中では流布本に最も近似する本文を持つとされる) などがある。 なお『参考太平記』の校合対象本とされ、現在所不明のものとして 金勝院本 今出川本(菊亭本とも) 島津家本(薩州本とも。平成入って本文発見された) 北条家本(系統など詳細不明) がある。

※この「諸本」の解説は、「太平記」の解説の一部です。
「諸本」を含む「太平記」の記事については、「太平記」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 19:40 UTC 版)

阿波志」の記事における「諸本」の解説

後藤家本蜂須賀文庫) 旧蜂須賀家伝わっていたもので、「蜂須賀文庫」の印がある。徳島県指定有形文化財である。徳島城博物館所蔵。 呉郷文庫本(阿波国文庫明治31年1898年)に後藤家本から写本作られ、さらにそれから明治45年1912年)に写されたもの。「阿波国文庫」の印がある。国立国会図書館所蔵。 『阿波誌昭和6年1931年)に、笠井藍水1891年-1974年)が活字刊行したもの。1976年昭和46年)に復刊版が刊行されている。ただし誤字があるほか、原本とは構成変更されている。

※この「諸本」の解説は、「阿波志」の解説の一部です。
「諸本」を含む「阿波志」の記事については、「阿波志」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 01:04 UTC 版)

苔の衣」の記事における「諸本」の解説

写本多く20数本に及び、そのほとんどが江戸時代書写である。 基本4巻4冊本で、字句異同はあるものの、内容はほとんど変わらないその中で主に、大きく以下のように分けられる前田家本系(原形に近い) 穂久邇文庫系(室町中期書写と言われる改作本もあるが、部分的な表現変化にとどまる。

※この「諸本」の解説は、「苔の衣」の解説の一部です。
「諸本」を含む「苔の衣」の記事については、「苔の衣」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 03:50 UTC 版)

去来抄」の記事における「諸本」の解説

大東急記念文庫本(草稿紙数36丁。おびただしい書入れ抹消訂正などの推敲の跡があり、また筆蹟からも去來自筆見られ最も信頼すべき底本である。「先師評」「同門評」の2篇のみが現存する大正の末に旧古文庫蔵帰し潁原退蔵により去來抄原本であると立証され世に出た戦後大東急記念文庫となった去來抄撰述推敲過程伝えた現存唯一の原本であるとして、1978年6月15日重要文化財指定された。 安永板本版本尾張加藤暁臺編者として序文書き井上士朗が跋をつけ、板下は嚔居士一音が浄書したと見られる。「故實」篇を除く「先師評」・「同門評」「修行教」の3篇を上中下の3巻3冊として刊行された。夏目成美は『隨齋諧話』にて「故實」篇が欠けていることを惜しんでおり、浄書者である一音自身が『左比志遠理』において「故實」篇を含む『去来抄4巻本を推薦している。本来4巻本の写本から、刊行に際して暁臺が「故實」篇を除いたではないかとされる国立国会図書館本(写本) 1冊。筆者書写年代未詳で「一枝」との印がある。ただし筆蹟装幀印を同じくする『三冊子』および『旅寝論』の写本国会図書館にあり、特に『旅寝論』は1778年安永7年)の板本筆写して1787年天明7年)跋の重厚編『もとの』の写し付載することなどから、あるいは安永から天明1772年1781年)期前後のものとされる本文は四篇を完備し誤写誤脱もあるがきわめて丁寧に筆写している。「先師評」「同門評」については大東急記念文庫本の書入れ抹消訂正などに忠実に従って書写しており、その意味草稿本系統属する。前半二篇から類推して、「故実」「修行」の二篇の底本とされる天理図書館巻子本写本巻子本2巻筆者書写年代未詳。旧紫羊文庫蔵本文内容はほぼ国立国会図書館本と共通する天理図書館本(写本) 1冊。三浦若海旧蔵題簽は「芭蕉翁評談 去來抄 上中下合巻」と記される巻末識語宝暦9年1759年)とある。書写本からの転写本比較年代の古いもの。本文簡略であり、おそらく内容大意取って筆写している。附録として『去來抄』に洩れた『花實集』の14ヶ条の抄録巻末付載する。本文には若海板本系統異本によって詳細な朱書校合加えており、この異本は「若海朱書校合本」とも呼ばれる蕉門秘決集(写本) 1冊。表紙に「去來集」、扉に「落柿舎去來蕉門秘訣集」、内題に「去來蕉門秘訣」とある。巻末識語を記す。本文内容はほぼ国立国会図書館本に共通するが、天理図書館本に近い部分もある。 大磯義雄本(写本大礒義雄架蔵の本。1冊。天理図書館本と同じく巻末に『花實集』の抜抄を添えている。大礒は、若海校合供した異本と同じ系統の書としている。筆者年代ともに不明だが、本書には本文一節毎に石河積翠の『去來抄評』を「評」として加えており、『去來抄評』成立寛政1789~1801)期頃のものとされる文里筆写淡々本(写本復本一郎架蔵の本。半時庵淡々機会得て去来自筆本から書写して門人伝来したものを、1806年文化3年)に田辺文里写したもの。誤字脱字見られるものの、素性明らかな故実」篇の書写としては現存唯一という。復本は国会図書館本が属す草稿本系統との違いから、『去來抄浄書本の存在想定し得るとする。 坊本写本大内初夫架蔵の本。表紙茶色半紙本1冊、袋綴じ始めに遊紙1枚墨付き69丁。左肩に題簽が貼られ「去来抄 全」とある。「故實」「修行」「先師評」「同門評」の順に並ぶ。書写者夕坊の識語に「此書ハ、去来先生舎弟町(向井元成也)方に有りしを百花先生写し置きたまふを、後百花鹿子より写し伝へ侍る也。(後略)」とあり、草稿本系統属する。「故實」「修行」の底本として用いられる国会図書館本は誤字脱字多くて善本とは言えず、大内校本作成を重要としている。 贄川石蔵素秋正本知足齋が筆写したもの贄川他石が『芭蕉全集』(日本名全集;江戸文藝之部;第3巻)編纂する際し底本として用いた

※この「諸本」の解説は、「去来抄」の解説の一部です。
「諸本」を含む「去来抄」の記事については、「去来抄」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 09:56 UTC 版)

和名類聚抄」の記事における「諸本」の解説

本書には完本零本端本)も含めて数多く写本存在する。 また江戸時代には版本の形でも刊行されているが、十巻本当時写本の形で流布したためほとんどに上らず、二十巻本重点的に刊行された。 以下、影印複製直接閲覧により閲覧可能なものを筆写年代刊行年代順に挙げる

※この「諸本」の解説は、「和名類聚抄」の解説の一部です。
「諸本」を含む「和名類聚抄」の記事については、「和名類聚抄」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 09:55 UTC 版)

色葉字類抄」の記事における「諸本」の解説

二巻本『色葉字類抄』 - 尊経閣文庫永禄8年1565年写本がある。 三巻本色葉字類抄尊経閣文庫鎌倉初期写本前田本) - 中巻及び下巻一部を欠く。 黒川三男江戸中期写本黒川本) - 完本。 十巻本伊呂波字類抄学習院大学図書館鎌倉初期写本 - 零本大東急記念文庫室町初期写本 - 完本。 その他江戸時代写本多数

※この「諸本」の解説は、「色葉字類抄」の解説の一部です。
「諸本」を含む「色葉字類抄」の記事については、「色葉字類抄」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 09:23 UTC 版)

沢庵和尚鎌倉巡礼記」の記事における「諸本」の解説

沢庵宗彭自筆のものは3つ残っており、それを渡す相手によって細かな点で相違がある。例え漢文不得意な人に与えたものには行間にかなを付けて読みやすくしているなどである。その自筆本中でもっとも丁寧なものは作家大佛次郎持っていたもので、大名若殿姫君渡したものかと思われるほどである。

※この「諸本」の解説は、「沢庵和尚鎌倉巡礼記」の解説の一部です。
「諸本」を含む「沢庵和尚鎌倉巡礼記」の記事については、「沢庵和尚鎌倉巡礼記」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/26 02:04 UTC 版)

閑居友」の記事における「諸本」の解説

尊経閣文庫に伝冷泉為相本が伝存し、現存本は、ほぼこの系統属す。尊経閣本は誤綴があったことが知られており、現存諸本はこれに起因する本文上の混乱残している。尊経閣本は、為相筆ではないと目されるが、近い時代ものという。鎌倉時代零本伝わり、尊経閣本と系統異なとされる刊本には寛文二年本のほか、刊年を欠く本、無刊記本がある。校合本には、内閣文庫本に基づく続群書類従本があり、近代入って古典文庫本(永井義憲翻刻)、美濃部や、『校本閑居友』(濱千代清、1974)、『閑居友 本文及び総索引』(峰岸明王朝文学研究会編)、小島がある。古典文庫本以下はすべて尊経閣本を底本としている。

※この「諸本」の解説は、「閑居友」の解説の一部です。
「諸本」を含む「閑居友」の記事については、「閑居友」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 08:04 UTC 版)

日本国現報善悪霊異記」の記事における「諸本」の解説

『日本霊異記』古写本には、平安中期興福寺本(上巻のみ、国宝)、来迎院本(中・下巻、国宝)、真福寺本(大須観音宝生院中・下巻、重要文化財)、前田家本下巻重要文化財)、金剛三昧院高野山本、上中下巻)などがあり、興福寺本と真福寺本が校注本においても底本用いられることが多い(『日本霊異記』の諸本については小泉道『日本霊異記諸本の研究1989)。

※この「諸本」の解説は、「日本国現報善悪霊異記」の解説の一部です。
「諸本」を含む「日本国現報善悪霊異記」の記事については、「日本国現報善悪霊異記」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 02:22 UTC 版)

注好選」の記事における「諸本」の解説

完本存しない観智院本は仁平2年1152年)の奥書有するが、奥書本文と別筆であり、本文書写はこれ以前さかのぼる。上・中・下巻揃えるが、下巻後半を欠く。また、中巻のみ「注好選抄」と題されており、本来の中巻から一部抄出したものであることが知られる宮内庁書陵部本は、観智院本の中巻途中までの転写本金剛寺本は「注好撰」と題され元久2年1205年)の奥書有する中巻ならびに下巻の数話のみを収めるが、観智院本とは異なり中巻完備する。 また、金剛寺本の異本注記引用される本文観智院本のものと異なることから、さらに別系統本文存在した考えられる観智院本は東寺貴重資料刊行会、金剛寺本は「和泉書院影印叢書」によって影印公開されている。岩波書店新日本古典文学大系」の『三宝絵注好選収載

※この「諸本」の解説は、「注好選」の解説の一部です。
「諸本」を含む「注好選」の記事については、「注好選」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 10:09 UTC 版)

君台観左右帳記」の記事における「諸本」の解説

能阿弥本『群書類従所収本。文明8年1476年3月11日大内左京大夫(大内政弘)宛に能阿弥奥書し、百花庵宗固(萩原宗固)が筆写した本を、大久保酉山の蔵本校合し、1898年塙保己一編集したもの(『近代デジタルライブラリー所収) 『群書類聚新校版(『近代デジタルライブラリー所収)。画品は次の通り。上50人、中38人、下68人、計156人(内1人重複) 相阿弥東北大学永正8年1511年)、10月16日真相(相阿弥)の奥書花押模写した永禄期(1558年-1569年)の伝書で、諸本中最も信頼されている。画品は次の通り。上49人、中41人、下87人、計177博物館永正8年1511年)、10月16日真相(相阿弥)の奥書花押模写した写本(松翁居士写)を明治17年1884年)に刊行した博物館蔵版がある。画品は次の通り。上44人、中41人、下87人、計172人 中絵画鑑定第1部部分や、他の画譜収録された本、印譜追加した本。『君臺觀』(君臺觀印譜) 正保4年1647年)の吉田傳右衛門開版(『百度文庫所収)や、承応元年1652年)の吉野屋権兵衛版(寛文7年1667年狩野安信朱筆書入れ図絵宝鑑』巻5として所収)等がある。これらの印譜偽物が多いとされる安信は『君臺觀』では、例え呉道子印譜には「閻立徳カワカレ 釈迦ニ見ル」など、「上繪50名中79印、「中繪」36名中38印、「下繪66名中67印を「~ニ有リ」と記している。

※この「諸本」の解説は、「君台観左右帳記」の解説の一部です。
「諸本」を含む「君台観左右帳記」の記事については、「君台観左右帳記」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/31 22:30 UTC 版)

桜雲記」の記事における「諸本」の解説

写本多く、現在判明している限りでも30数本上る中でも龍門文庫本は、本書成立から間もない頃の写本とも推定されその意味貴重な価値を持つものである。これに次ぐ江戸中期写本としては、新井白石書写係る岩崎文庫本の他、水戸彰考館本や宮内庁書陵部本神宮文庫本・内文庫本天理図書館本などが挙げられる江戸後期以降も本書は数多く書写されて現在に伝わっているが、もともと一般庶民読者として想定したものではなかったためか、本書初めに版行されたのは近代入ってからのことになる。なお、これらの本文については、龍門文庫本における「関城書」の採否という点を除き大きな異同認められない翻刻は、『改定史籍集覧3』・『校註国文叢書18』・『新釈日本文学叢書2輯6』・『日本歴史文庫1』・『百万塔4』・『古典文庫482』などに収録されている。

※この「諸本」の解説は、「桜雲記」の解説の一部です。
「諸本」を含む「桜雲記」の記事については、「桜雲記」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 19:19 UTC 版)

甲乱記」の記事における「諸本」の解説

版本底本とした翻刻に『続群書類従』巻第六百五合戦部、『甲斐志料集成』、『甲斐叢書』、清水茂夫・服部治則校注武田史料集』などがある。また、甲乱記』には版本とは内容異な写本系の伝本存在し色川三中旧蔵本の翻刻丸島2013)がある。

※この「諸本」の解説は、「甲乱記」の解説の一部です。
「諸本」を含む「甲乱記」の記事については、「甲乱記」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 06:58 UTC 版)

北条五代記」の記事における「諸本」の解説

寛永18年版、万治2年版、元禄10年版などがある。 寛永版は74からなるが、万治版は絵入り寛永版よりも話題17少ない。内容にも改変があり、著者浄心に関する情報後北条氏とあまり関係しない話題削られたり、各巻散在していた小田原攻め話題簡略化されて巻10にまとめられたりしている。 元禄10年版は原作をもとに古浄瑠璃台本したもので、朝倉治彦は、同版と『三浦北条軍法くらべ』(寛文8年1668年)を『北条五代記』に取材した別書としている。

※この「諸本」の解説は、「北条五代記」の解説の一部です。
「諸本」を含む「北条五代記」の記事については、「北条五代記」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 09:57 UTC 版)

大唐西域記」の記事における「諸本」の解説

中国語版ウィキソースに本記事関連した原文あります大唐西域記 写本版本 写本 - 日本伝来古写本 版本 - 『四庫全書』・『四部叢刊』・『大正新脩大蔵経』等 近代校注上海人民出版社の校点本1977年中華書局校注本(1985年羽田亨ほかによる校訂本大日本図書1911年) - 『大唐西域記校異索引と共に刊行西域行記索引叢刊1」(中西印刷(香堂)刊、1999年)- 高田時雄京大人文研共同研究班編 日本語訳中国古典文学大系 22 大唐西域記』(平凡社初版1971年) - 水谷真訳註平凡社東洋文庫3巻1999年)で改訂版大乗仏典 中国編 9 大唐西域記』(中央公論社1987年)- 高田時雄桑山正進訳注抄訳だが詳細な訳・解説西域玄奘三蔵の旅』(「地球人ライブラリー小学館1995年) - 桑山正進抄訳解説での読み易い入門書

※この「諸本」の解説は、「大唐西域記」の解説の一部です。
「諸本」を含む「大唐西域記」の記事については、「大唐西域記」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 01:19 UTC 版)

保元物語」の記事における「諸本」の解説

『保元物語』には多く本文系統があり、3巻本2巻本のものが現存している。分類について種々の論があるが、現在では9類に分け永積安明の説が定説となっている。以下に、各系統代表的な本文掲げる。

※この「諸本」の解説は、「保元物語」の解説の一部です。
「諸本」を含む「保元物語」の記事については、「保元物語」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 02:17 UTC 版)

承久記」の記事における「諸本」の解説

慈光寺本 もっとも成立早いとされる鎌倉中期頃の成立で、山城国慈光寺伝わったとされることから、慈光寺本と呼ばれる。『承久記』の流布本とは内容思想的違い見え序文仏説に基づき日本における神武天皇以来それまで国王兵乱について述べてから承久の乱への記述始める。他にも承久の乱対す後鳥羽上皇姿勢流布本描かれる姿より消極的である、宇治合戦記述がないなど、流布系と記事の内容が違う場面いくつか見られる水戸彰考館原本所蔵。他に東京大学史料編纂所慶應義塾大学にもある。 古活字本流布本元和4年1618年刊行古活字本などがある。後鳥羽上皇専制三代将軍実朝暗殺合戦の原因経緯など述べて土御門上皇阿波国配流までを書く。内閣文庫天理図書館などが所蔵記述一部には、『六代勝事記』からの引用思われる内容のものがあり、漢籍などを引用して後鳥羽上皇対す批判書かれる一説原型となった慈光寺本『承久記』に『六代勝事記』の思想受容して流布本成立したものとする意見がある。 承久兵乱記 『続群書類従』(合戦部)所収上下2巻。ほとんどが仮名書き流布系『承久記』と若干内容が違う場面があり、『吾妻鏡』からの補入があるとの指摘もある。鎌倉後期南北朝期にかけての成立と見られる承久軍物語 江戸中期成立流布古活字本『吾妻鏡』記事を補入した絵詞物。作者未詳

※この「諸本」の解説は、「承久記」の解説の一部です。
「諸本」を含む「承久記」の記事については、「承久記」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/01 00:24 UTC 版)

神道集」の記事における「諸本」の解説

神道集』は、現存不明含めて二十本近い写本がある。それらは古本系統流布本系統に分かれる古本系統は、赤木文庫本(現天理図書館)、真福寺本、天理図書館本など。流布本系統は東洋文庫本、旧豊宮崎文庫本・旧林崎文庫本(現神文庫蔵)、静嘉堂文庫本、無窮会本、河野省三旧蔵仮名本現國學院大學)など。最近確認されたものでは、天海旧蔵本(現盛岡市願教寺)、国立歴史民俗博物館本(田中穣旧蔵)、同志社大学本がある。他に茨城県常福寺東京大学にもあったようである。また慶応三年豊後国東郡田染の八幡宮に、多く神道関係の書籍奉納されたが、その内神道集があったそうである。

※この「諸本」の解説は、「神道集」の解説の一部です。
「諸本」を含む「神道集」の記事については、「神道集」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 17:36 UTC 版)

南方紀伝」の記事における「諸本」の解説

写本多く『国書総目録』登載のものだけでも70以上に及ぶ。現存諸本は大別して真名本仮名本仮名交り本)の二系統があり、ともに内容大同小異だが、強いて言えば真名本の方がやや簡潔であって古態を残すとされる。これに属す写本としては、彰考館本・内文庫本・東大史料編纂所本などがある。 翻刻されたテキストは、真名本が『改定史籍集覧3』に、仮名本が『百万塔4』・『日本歴史文庫1』(ただし南朝紀伝として)にそれぞれ収録されている。

※この「諸本」の解説は、「南方紀伝」の解説の一部です。
「諸本」を含む「南方紀伝」の記事については、「南方紀伝」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 18:54 UTC 版)

本朝画史」の記事における「諸本」の解説

延宝6年(1675年)林鵞峯序の尚栄堂・文永1899年和装本巻一:「本朝画印」の序もある。 巻ニ 巻三 巻四 巻狩野永納撰『本朝画史』と檜山義慎撰『続本朝画史』を合冊し『本朝画史』とした(1883年)佚存書坊版、5巻5冊。上巻 中巻:中世名品 下巻専門家族、雑編 続巻 : 皇朝名画拾彙.上 続巻 : 皇朝名画拾彙.下 1917年坂崎編著日本画大観所収活字本(構成既出分) 1985年笠井昌昭等が詳細な研究成果加えた訳註本朝画史』(同朋舎出版)がある。同上全文:『訳註本朝画史』(一)訳註本朝画史』(三)訳註本朝画史』(四)訳註本朝画史』(五)

※この「諸本」の解説は、「本朝画史」の解説の一部です。
「諸本」を含む「本朝画史」の記事については、「本朝画史」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 11:04 UTC 版)

幸若舞」の記事における「諸本」の解説

諸本あるが、古い年代では、「大頭左兵衛本」(26番を収録)が室町末期書写とされるものがあり、これには朱筆音曲つけられている。 「大頭一本」(江戸初期写本)や、文禄2年平瀬氏本」(45番を収録)には音曲がついていないにも拘わらず研究者からは大頭系統正本みなされている。「桃井氏本」(江戸初期桃井直英が旧蔵41番を収録)は、八郎九郎家の正本推考されている。 また曲本でなく、江戸初期美濃紙木版印刷された絵入り大本を『舞の本』という。舞のための台本ではなく読み物として用いられた。近代刊行され原文テキストの例としては、慶長14年1609年)の伝幸若八郎本(慶応大学)や、寛永年間版が挙げられる

※この「諸本」の解説は、「幸若舞」の解説の一部です。
「諸本」を含む「幸若舞」の記事については、「幸若舞」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/04 06:15 UTC 版)

井伊家伝記」の記事における「諸本」の解説

原本現存は、確認できていない写本のうち、彦根藩提出したものに最も近い思われる乾坤2冊本は、彦根城博物館所蔵井伊家伝来典籍)。龍潭寺には、2種類の写本が伝わる(いずれも2冊本)。そのうち1種類写本最後の1丁が失われている。この失われた状態で筆写されたものとして、静岡県立中央図書館所蔵2種類彦根市図書館所蔵写本井伊谷二宮神社神主中井直恕による注釈書き込まれており、また、本文人名表記などに改変みられる)などがある。 個人所蔵本をもとに、現代語訳活字化したものとして、たちばな会井伊家傳記』(2000年)がある。

※この「諸本」の解説は、「井伊家伝記」の解説の一部です。
「諸本」を含む「井伊家伝記」の記事については、「井伊家伝記」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 01:07 UTC 版)

平家物語」の記事における「諸本」の解説

現存している諸本は、次の系統分けられる盲目の僧として知られる琵琶法師当道座属す盲人音楽家検校など)が日本各地巡って口承伝えてきた語り本(語り系、当道系とも)の系統属するもの。 読み物として増補された読み本増補系、非当道系とも)系統のもの。

※この「諸本」の解説は、「平家物語」の解説の一部です。
「諸本」を含む「平家物語」の記事については、「平家物語」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/13 22:34 UTC 版)

梅松論」の記事における「諸本」の解説

梅松論写本には古本系と流布本系があり、諸本により異動が多いことで知られる流布本は『群書類従』第20輯に収められている。古本系は、その一つ京大本(京都大学文学部博物館所蔵)が、1964年に『国語国文33巻8–9号初め翻刻紹介された。他に古本系に属するものとしては、天理図書館所蔵する天理本、彰考館文庫所蔵する寛正本(下巻のみ)がある。 古本系と流布本系の目立つ違いとしては、流布本系では細川氏に関する記事多数追加されている。また、古本系では、語り手聞き手筆写者の三人によるやり取り描かれ物語としての趣も大きく異にする

※この「諸本」の解説は、「梅松論」の解説の一部です。
「諸本」を含む「梅松論」の記事については、「梅松論」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 18:09 UTC 版)

稲生物怪録」の記事における「諸本」の解説

稲生物怪禄』は実に多く形態展開したが、成立時期や作成者成立当初書名など、いまだ明確になっていない部分が多い。大別すると、ひとつは「物語としての作品群もうひとつは「絵巻」や「絵本としての作品群である。

※この「諸本」の解説は、「稲生物怪録」の解説の一部です。
「諸本」を含む「稲生物怪録」の記事については、「稲生物怪録」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 11:41 UTC 版)

竹取物語」の記事における「諸本」の解説

竹取物語本文系統本格的に研究の対象となったのは昭和に入ってからである。1930年昭和5年)、初め徳本正俊によって3系統分類された。1939年昭和14年)に新井信之によって「古本系」「流布本系」の分類示され、そして昭和40年1965年)に中田剛直それまで研究受けた上で示した流布本3類7種とする分類が現在最も一般的なものとなっている。古本系については、中田2類2種南波浩後光厳院本を加えて3類4種分類している。以下に、中田・南波による分類元にした主要伝本一覧を示す(カッコ内の伝本分類発表時に未発表だったもの)。 流布本系 通行本系とも呼ばれる。現在最も広く流布している本文第1類第1種 武藤本・平瀬旧蔵本・高図書館田中大秀旧蔵)本 第2種 加賀三郎蔵本武田祐吉旧蔵本・久曾神昇甲本 このうち、久曾神蔵甲本極めて特異な本文有した写本である。 第3種 前田善子旧蔵本・山徳平蔵本 第2類島原旧蔵本・北島家旧蔵本・度会正董書入本荒木田久老書入本・(チェスター・ビーティ図書館J1125絵巻本) 第3類第1種 蓬左文庫蔵本吉田幸一蔵本久曾神昇乙本・静嘉堂文庫蔵丹羽嘉言筆本 第2種A群 尊経閣文庫蔵本戸川浜男旧蔵本・彰考館金森本・群書類従本・(里村紹巴本)・(高松宮旧蔵本) B群 内閣文庫蔵本・滋岡氏旧蔵第3種イ種 大覚寺蔵本書陵部霊元院外題宸筆本・書陵部伊左左米言本 ロ種 徳本正俊蔵本古活字本整版本 など 中田によれば現存する写本多く絵巻奈良絵本を含む)の大半第3類第3種属す正保3年版本転写本である。 現在最も一般的な竹取物語本文は、第3類第3種属する古活字十行甲本底本とするものである古本上賀茂神社三手文庫に伝わる、今井似閑1707年宝永4年)に校合書き入れ行なった1692年元禄5年刊本における奥書に、 ある古本を以て一校せしめ畢ぬ 互ニ見合セハ好本と成侍るへし 宝永四亥ノ八月 洛東隠士 とあることから名づけられた。流布本系比較する数多く異文有しており、より古態を残すとされる第1類 後光厳院本(断簡いずれも南北朝時代14世紀)頃の一写本から切断され断簡とみられる伝承筆者後光厳天皇筆とする10と、二条為定筆とする1の、計11確認されている。2021年このうち1についての放射性炭素年代測定結果報告され鎌倉時代末期から南北朝時代13世紀末から14世紀末頃)の書写であったことが確認された。 第2類 新井本 新井信之が所蔵していたもの1942年昭和17年前後出現した写本である。 もむけとゝせあまりふたとせ なかつきころうつす ながとき という奥書を持つ。すなわち1815年文化十二年)の写本で、古本系統唯一の完本である。第3類の諸本よりも第1類本文に近いとする説(中田剛直南波浩など)、第3類第2種のごとき三手文庫本系の転写本であるとする説(吉川理吉、中川浩文)、逆に第1類より上位本文であるとする説(中田武司)があるが、中田剛直は、三手文庫本の「古本」には極めて近似しているも全くの同一ではなく後光厳院本本文比較すると似閑の校合ミス思われる異文見られることからも、三手文庫本転写ではなく古本内の別系統本としている。 第3類第1種 三手文庫本桃園文庫太氏本 第2種藤本京大本・書陵部恬斎書入本桃園文庫書入写本平瀬本・服部本・(賀茂旧蔵中川文蔵)本) 全て三手文庫本転写であり、流布本系本文対す書き入れ校合の形で伝えられる上記の他に、伝承筆者阿仏尼とする古筆切存在藤井隆によって報告されている。 なお、和歌一部鎌倉時代『海道記』や『風葉和歌集』、室町時代の『塵抄』に、梗概としての本文室町時代源氏物語梗概書である『源氏物語提要』や注釈書である『花鳥余情』(共に絵合巻についての記事)に、それぞれ引用されている。 古本本文流布本通行本)系本文については、南波浩『海道記』引用され和歌二首が、一首古本系からの引用であるのに対し、もう一首流布本系古本系を混用したものになっていることから、鎌倉時代中期頃には既に両系並立していたとする古本本文に対しては、「中世における改変本文可能性が強い」(片桐洋一)「江戸時代学者が『竹取物語』の不審部分合理的に理解しようとしてテキストいじくったもの」(保立道久)といった批判的な意見もあるが、中田剛直は『花鳥余情』の梗概本文新井本に近い古本系の一本近似すること、古型をもつと指摘される京大本や狩野文庫本などの『風葉和歌集』の竹取和歌古本系であることから、「現存古本系統系の一本が、通行本系に先行せるものではないか」とし、上原作和も「まさに「古本」と称する価値本文有するもの」と述べるなど肯定的な意見もあり、意見分かれている。

※この「諸本」の解説は、「竹取物語」の解説の一部です。
「諸本」を含む「竹取物語」の記事については、「竹取物語」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 09:25 UTC 版)

レメゲトン」の記事における「諸本」の解説

以下は現存するレメゲトンの英語古写本リストである。いずれもロンドンある図書館に収蔵されている。 写本所在作成年代筆記備考スローン MS 3824大英図書館 不明 不明 未完成レメゲトン断片を含むもの。イライアス・アシュモール(英語版)の蔵書スローン MS 3825大英図書館 1640/1年 不明 ジョゼフ・H・ピーターソン編集版『ソロモンの小鍵』の主要底本スローン MS 3648大英図書館 17世紀 不明 アグリッパパラケルスス抜粋を含む。 スローン MS 2731大英図書館 1686/7年 不明 多く現代版底本第5部がなく不完全。 ハーリー MS 6483大英図書館 1712年-1713年 ピーター・スマート スキナーランキンラッド博士ゴエティア』に収録ウェルカム MS 4665ウェルカム図書館 19世紀 フレデリック・ホックリー(英語版) エベニーザー・シブリー(英語版)の蔵書から写したもの。断片のみ残存ウェルカム MS 3203ウェルカム図書館 1843年 ヘンリー・ドーソン・リー フレデリック・ホックリーの写本写し第2部まで。

※この「諸本」の解説は、「レメゲトン」の解説の一部です。
「諸本」を含む「レメゲトン」の記事については、「レメゲトン」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/15 17:14 UTC 版)

華夷変態」の記事における「諸本」の解説

華夷変態』の原本は、全35巻から成り林家代々受け継がれたが、林衡林述斎)の代に幕府紅葉山文庫献上され、後に内閣文庫経て国立公文書館所蔵となっている。初期写本としては、島原松平家などに伝わるもの知られているが、江戸時代のうちに完本出版されることはなかった。 全35巻のうち、最初5巻は、明復興試みへの言及多く盛り込まれていることから、江戸時代からここから抄録した内容の、いわゆる通行本」『華夷変態』が流布していた。 1906年には、「通行本」から、漢民族清朝への抵抗活動に関する記述抜粋して編集しなおした漢文本」『華夷変態』が、中国人留学生によって東京刊行された。その内容一部、特に序文などは、原本通行本とも異なっている部分含んでおり、「留日学生の民族主義的革命思想を、明清交替歴史状況託して表現したもの」と評されるような改変箇所もある。

※この「諸本」の解説は、「華夷変態」の解説の一部です。
「諸本」を含む「華夷変態」の記事については、「華夷変態」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/17 08:45 UTC 版)

アルス・ノトリア」の記事における「諸本」の解説

アルス・ノトリア分類されるテクスト含んだ写本ヨーロッパ北米図書館散在しており、現存写本数は50下らない。 『フランス大年代記』によると、14世紀初頭にモリニーのヨアンネス英語版)なるベネディクト会士著したアルス・ノトリア系の書物パリ焼き捨てられた。『天上教え精華の書』 Liber florum celestis doctrine 別名『幻視の書』 Liber visionum と呼ばれるこの書物は、近年までその実物の存在知られていなかったが、1990年代複数写本所在判明したアルス・ノトリア行って悪夢ヴィジョン得た修道士ヨアンネスが、悪魔的祈り混入して汚れてしまったとアルス・ノトリア非難し聖母マリア導かれてこれを刷新するために作ったのであるアルス・ノトリア刊本17世紀初め出版された。1620年頃にリヨン出版されアグリッパ著作集 Opera収録されラテン語版がそれである。その後イングランド占星術師/医師のロバート・ターナーによってその英訳版 The Notory Art of Solomon (1657) が出版された。これらの刊本にはアルス・ノトリア特徴づける各種図符は掲載されていない17世紀以降の英語写本残存する魔術書『レメゲトン』4巻構成されているが、第5巻として「アルス・ノトリア」が加えられているものもある。その内容上述1657年刊 The Notory Art of Solomon抄録である。

※この「諸本」の解説は、「アルス・ノトリア」の解説の一部です。
「諸本」を含む「アルス・ノトリア」の記事については、「アルス・ノトリア」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 07:12 UTC 版)

入菩薩行論」の記事における「諸本」の解説

現在伝わっている『入菩薩行論』には、サンスクリット諸写本チベット語訳宋代漢訳(天息災訳『菩提行経』)、モンゴル語訳(チベット語からの重訳)がある。また、近年では敦煌文献中に著者名をアクシャヤマティ(英語版)(Akṣayamati)とする同論の異本があることが知られている。この敦煌出土チベット語写本現行本の2章3章分離していない9章立てになっており、後代の増広を経た10章からなる現行の梵本や蔵本よりも原形に近いと推定されている。天息災による漢訳菩提行経』は、聖龍菩薩経典偈頌を撰して作ったという体裁取っており、シャーンティデーヴァ述作とする梵本やチベット訳相違するまた、現行本の第34章に当たる部分がなく、第三「護戒品」が第5章対応し、全八品となっている。

※この「諸本」の解説は、「入菩薩行論」の解説の一部です。
「諸本」を含む「入菩薩行論」の記事については、「入菩薩行論」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 01:15 UTC 版)

篁物語」の記事における「諸本」の解説

近現代まで残ったとされる伝本は、以下の四本である。 承空本 彰考館美濃判袋綴本 - 戦災で焼失した 書陵部本 承空本を除く3本江戸前期のもの。 承空本は平成十四年に冷泉家時雨亭叢書として写真版公開せられたもの。

※この「諸本」の解説は、「篁物語」の解説の一部です。
「諸本」を含む「篁物語」の記事については、「篁物語」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 09:00 UTC 版)

新葉和歌集」の記事における「諸本」の解説

成立事情から、現存する諸本も大別して2系統がある。すなわち、准勅撰集としての形を整える以前初度本(独自歌8首を含む1420首)と長慶天皇奏覧供された際の奏覧本(独自歌6首を含む1418首)の2つである。内閣文庫本・吉水本富岡本を始め、およそ写本奏覧本系に属しているが、流布本である承応板本初度本系に属しており、松井本はこの系統祖本目される。もっとも奏覧本系には、流布本との校合で8首が書入れられた結果、計1426首を備えている写本も多い。

※この「諸本」の解説は、「新葉和歌集」の解説の一部です。
「諸本」を含む「新葉和歌集」の記事については、「新葉和歌集」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 19:12 UTC 版)

松浦佐用姫」の記事における「諸本」の解説

まつらさよひめ』の物語御伽草子)の異本はしめて7本で、うち内容充実した2本が「広本系」に分けられる;すなわち赤木文庫版「さよひめのさうし」の古写本挿絵なし、慶長成立16世紀末~17世紀初頭)と、奈良絵本版「さよひめ」(京都大学)である。 残り異本は「略本系」に分類されるが、「壺坂物語」や「ちくふしまのほんし」(竹生島の本地)などの異な題名与えられている。 奈良絵本版「さよひめ」の稿本極めて文章近く、これをもとに翻案されたとみなされるのが、説教節「まつら長じや」(松浦長者寛文元年/1661年成立)である。

※この「諸本」の解説は、「松浦佐用姫」の解説の一部です。
「諸本」を含む「松浦佐用姫」の記事については、「松浦佐用姫」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 10:13 UTC 版)

源語秘訣」の記事における「諸本」の解説

著者自筆本は現在伝わっていない。写本版本は多いため、以下一挙げておく。

※この「諸本」の解説は、「源語秘訣」の解説の一部です。
「諸本」を含む「源語秘訣」の記事については、「源語秘訣」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 22:52 UTC 版)

源氏大鏡」の記事における「諸本」の解説

本書は『源氏大鏡』をはじめ、『大かがみ』(天理大学図書館蔵本)『源氏秘抄』(静嘉堂文庫蔵本)『源氏歌詞』(神宮文庫蔵本)など、様々な表題を持つものが存在する[要出典]。本文系統は以下の3系統ないし4系統分けられるが、各諸本の題名と必ずしも系統分類一致しない第1類 - 『源氏大鏡』(慶長8年奥書)をはじめとした『三帖源氏』の書目を持つ類。 第2類 - 『浅聞抄』(宮内庁書陵部)などの類。 第3類 - 『源氏外題』(東北大学図書館)などの類。 第4類 - 第1類省略その内容利用したもの。 第1類原型で、第2類第3類はその改訂考えられる一条兼良北野院撰とする本もあるが信憑性は薄い。

※この「諸本」の解説は、「源氏大鏡」の解説の一部です。
「諸本」を含む「源氏大鏡」の記事については、「源氏大鏡」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 14:48 UTC 版)

百合若大臣」の記事における「諸本」の解説

幸若舞#諸本」も参照 現存最古テキストは、一説では室町末期幸若舞台本曲本写本とされる。これは《大頭左兵衛本》所収のものであるが、題名は単に『大臣』であり、主人公も「百合草大臣」、「百合草大臣」、「ゆりわか大臣」と幾通りかの名称で登場する。 また能楽にも室町末期謡曲百合草若』があり、こちらも主人公が「百合草若」とも「百合若」とも表記されている。 幸若舞台本テキストは、のちに「舞の本」と題する読み物として普及するようになったそうした舞の本」版の百合若説話には戦国?江戸初期にかけて木版刷本が数種ある。このうち慶長14年1609年)本「百合若大臣」 や、寛永年間本 などが、近代において校訂出版されている。 人形劇をまじえた説経操り演劇である「百合若大臣」には、日暮太夫(ひぐらし こだゆう)の正本寛文2年刊行)がある。 浄瑠璃には近松門左衛門作『百合若大臣野守鏡』(宝永7年/1710年)があるが、これには例えの緑丸が、雌矢羽をつけた矢の精霊置き換わるなど、様々な改変加わり、(元の粗筋から離れた後世の作品評される。為永太郎兵衛の作の『百合稚高麗軍記』は、そのまま生き物として登場するものの、それ以外では粗筋逸脱はいっそう甚だしい。古浄瑠璃としては『百合若麿』(井上播磨掾正本)、『百合若高麗攻』(岡本文弥)があることが、水谷不倒研究あきらかにされているという。

※この「諸本」の解説は、「百合若大臣」の解説の一部です。
「諸本」を含む「百合若大臣」の記事については、「百合若大臣」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:44 UTC 版)

方丈記」の記事における「諸本」の解説

広本略本があり、広本は更に古本系と流布本系分けられている。 広本古本系 : 大福光寺本、前田家本 など 流布本系 : 一条兼良本、嵯峨本 など 略本 : 長享本、延徳本、真名本 など 各本の関係を、長明自身による推敲の各段階を表すとする見解と、後代書写改作による変化とする見解がある。 現代の研究において底本とされることの多い大福光寺本は古本系に属し漢字片仮名による仮名交じり文である。これに対して流布本系平仮名交じり仮名交じり文書かれ古本系との本文異同少なからず存在する略本長明体験した災厄に関する記述がなく、その他の部分にも異同大きい。中でも真名本漢字のみで書かれている

※この「諸本」の解説は、「方丈記」の解説の一部です。
「諸本」を含む「方丈記」の記事については、「方丈記」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 22:27 UTC 版)

伊勢物語」の記事における「諸本」の解説

現在『伊勢物語』の本文として読まれているものは、藤原定家天福2年1234年)に書写した「天福本」と呼ばれる系統写本をもとにしたもので、刊行される単行本文庫本、また学校等使われる教科書類での引用など、この「天福本」の本文によらぬものはないといってよい。しかし『伊勢物語』の伝本については以下に述べるように他にもいくつかの系統があり、『伊勢物語』の成立が現在に至るも解明されていない状況においては伝本について研究ないがしろにできないものといえよう。その系統について説明する大きく五つ分類できるといわれている。 (1) 定家本系統藤原定家書写したとされる本で、125段・和歌209からなる現存する伊勢物語』の写本の実に95%以上がこの系統属するといわれている。定家本はその奥書によって、さらに三つの系統分けられる(A) 流布本(根源本)系統 …「抑伊勢物語根源…」に始まる奥書を持つ。定家その生涯何度も伊勢物語』の書写行っており、この根源本と呼ばれるものは、定家書写したものの中では比較早くできたものといわれている。根源本系統は現在までの研究によって、さらに数種の系統細分化されることが明らかになりつつあり、どれぐらいの系統細分化できるかについては学者によって異なるところであるが、さらに研究が進むことが期待される。しかし定家自筆根源本は現在ひとつも残っていない。天理大学附属天理図書館伝為家筆本、九州大学伝為家筆本など鎌倉期転写本があるが、天理図書館伝為家筆本の末尾には他本(小式部内侍本〈狩使本〉ではないかといわれる)から採ったという18章段が付加されている。 (B) 天福本系統 …「天福年正廿日未申刻…」に始まる奥書を持つ。定家自筆本江戸時代火災遭い焼失したという。三条西家旧蔵本(現在は学習院大学蔵本)などがある。(a) 学習院大学蔵本三条西実隆定家自筆天福本を忠実に書写した本とされている。現在活字出版されている『伊勢物語』のほとんどは、この写本翻刻校訂したものである。なお、天福本で実隆が書写したものについては他にもあり、それは四国今治市河野記念文化館に所蔵されるという。 (b) 冷泉為和筆本 … 宮内庁書陵部所蔵冷泉為和天文16年1547年)に、定家自筆本直接書写したもの奥書漢字仮名使い分け行数不同紙数外題にいたるまで、そっくりそのまま定家自筆本通り書き写した旨が記されている。 (C) 武田本系統 … もとは冷泉家に伝わる定家自筆の本であったが、様々なの手経たのち武田伊豆入道紹真が所持しその後若狭武田家所有していたところからこの名がつけられた。「合多本所用捨也…」に始まる奥書を持つ。武田本も定家自筆のものは江戸時代消息を絶っており、現在残っているのはその転写本である。山田清市天福本と武田本の本文比較し天福本には4箇所において誤写とみられる部分存在するのに対し武田本に本文における欠陥がないことを指摘している。 (2) 古本定家本とほぼ同じ内容系統的に定家本先行するものといわれる。ただし、初期の無奥書定家本である可能性否定できない点は注意しなくてはならない(3) 真名本文字どおり、「真名」(漢字)で書かれ伊勢物語初段から終焉まで125段・208からなる定家本と近いが内容多少出入りがある。用字法などから鎌倉時代以降、あるいは南北朝時代以降成立であろうといわれている。 (4) 広本系統 (A) 大島本定家本見えない章段を1段持つ代わりに定家本115117段が欠落しているため、章段数は123段である。また、巻末皇太后宮越後本からの12章段と小式部内侍本からの24章段を併せ持つ。現在千葉県佐倉市国立歴史民俗博物館所蔵(B) 日本大学図書館本、阿波国文庫蔵本、谷森本神宮文庫本 … 134段。初冠から終焉まで119段、それ以降業平自筆本から採ったという14段を付記(C) 一誠堂本 … 97段。ただし、巻末小式部内侍本の13章段を持っている(D) 泉州本 … 136段。定家本にはない10章段を持っているが、末尾定家本125段にあたる部分となっている。また、30段に返歌載せた形式のものを末尾近く再出させる。この本は戦災焼失したそれ以前翻刻したものがあり、中田武司泉州伊勢物語研究』(1968年白帝社)にその本文が収められている。 (5)朱雀院塗籠本 … 奥書に「此本者高二位本、朱雀院ぬりごめにおさまれりとぞ…」とあり、高階成忠本か。初冠から終焉まで115段。定家本にある11章段をもたず、定家本にはない1章段を持つ。現在は本間美術館山形県酒田市)に所蔵される。 この他注目すべき伝本としては通具本がある。この本は巻末に、まず定家本流布本系統にある「抑伊勢物語根源…」の文章続き、「堀河大納言通具」(源通具)の本に定家本でもってこの本を書写校合したという意味の奥書があるのでそう呼ばれる本文125段、205首。88以降章段順序定家本とは食い違う部分があり、さらに広本系統本文を含むが、ほかに上にあげた5系統のいずれにもない本文も含む。古筆了佐鑑定があり、それによればこの写本筆者二条為氏としているがその真偽についてはともかくも鎌倉時代を下るものではないという。現在は鉄心斎文庫・伊勢物語文華館所蔵される。 以上、五つ系統伝本全て初冠章段始まり、「つひにゆく」の章段で男の死によって終焉を見る「業平一代記」の形をとっていることにより、「初冠本」とも呼ばれている。このほかにも、男が伊勢狩の使いに行って斎宮密通する段(69段)から始まり、「忘るなよ」の章段11段)で終わる「狩使本」があり、それを小式部内侍所持していたという伝承がある。これは清輔の『袋草紙』や顕昭の『古今集注』に記されているが、実は両者ともその実物を見たわけではない。現在では「書名の由来説明するために後から作られた」という説もある。藤原定家はこの本を「狼藉左道」、すなわち許すべからざる偽書であると非難しており、伝本確認できないまた、古くは「初冠本」と「狩使本」のほかに「業平自筆本」なるものがあり、「名のみたつ」の43段で始まり「つひにゆく」の125段で終るものであったと伝わるが、これも現存しない。 結局伝本に関しても、完本として現存するのは鎌倉時代以降のものばかりであり、それより以前遡るものはわずかな古筆切別にすれば皆無である。『伊勢物語』の原典に迫ることのできる資料何一つないが、ただ伝本多さから、いかにこの作品親しまれ愛されてきたのかは十分窺い知ることができる。

※この「諸本」の解説は、「伊勢物語」の解説の一部です。
「諸本」を含む「伊勢物語」の記事については、「伊勢物語」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:27 UTC 版)

酒呑童子」の記事における「諸本」の解説

諸本は大別する2種類あり、童子住処丹波国大江山とする「大江山系」と、それを近江国伊吹山とする「伊吹山系」に分かれるとされる。ただこの分類法には異論慎重論もある。 最古逸翁美術館所蔵本『大江山絵詞』や、江戸時代の『御伽草子版本渋川本)「酒吞童子」が属するのが「大江山系」、サントリー美術館『酒伝童子絵巻』が「伊吹山系」に属する。高橋昌明場合、2分類を「逸本系」「サ本系」と呼んでいる。 最も古い稿本は『大江山絵詞』(『大江山酒天童子絵巻』。南北朝後期から室町初期頃。逸翁美術館所蔵)のものとされている。これは、下総香神社大宮司旧蔵本で、従来よりの通称として香取本」と呼ばれている。重要文化財綴りが「酒天童子」である。南北朝時代室町初期、あるいは更に古い成立という考察もあり、格段時代が古いので「原本」とすらみなせるとも。欠損部分が多いが、冒頭陽明文庫本によって補完でき、結末本地であったことが断片などより判明している。 サントリー美術館『酒伝童子絵巻』(因幡池田家旧蔵古法狩野元信筆) は、室町時代成立で、最古稿本比肩し資料性の高いものとされるこの他江戸時代絵巻は、多数伝来する御伽草子版本テキストは、明治の頃よりの編本が存在している。

※この「諸本」の解説は、「酒呑童子」の解説の一部です。
「諸本」を含む「酒呑童子」の記事については、「酒呑童子」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/14 09:49 UTC 版)

ゆめのあと諸本」の記事における「諸本」の解説

四種類に分類される。宗春の事跡を中心に当時名古屋城下の生活・風俗・芸能記録など編年体記したもの。 『本広遊女濃安都』『遊女濃安都』『遊女濃阿都』『遊女能安斗』『今昔繁栄譚』『毛衣』『名古屋錦』 『享元秘説』『前宗春公御一代記』『夢能後』『由免之蹟』など。本町筋と三廓(西小路富士見原・町遊廓)を中心に名古屋案内随筆体で記したもの。『三廓細見記』はこの系統属し、特に芸能記録に詳しい。 『ゆめのあと』『貴賤夢の跡』『享保夢廼跡・宝暦屋鋪附』『浪越細見古記』『遊里夢の跡』『夢之跡』 『夢路之跡』『昔語遊女阿戸』『三廓細見記』など。上記二種の混合体 『享保年簡集』『三廓夢乃跡』『夢の後附録享元録』『章善公異格』『逞公尾張宗春卿御事集録』など。 その他上記三種一部を含む宗春時代資料 『起廓盛衰記』『享保尾州上使留』など。

※この「諸本」の解説は、「ゆめのあと諸本」の解説の一部です。
「諸本」を含む「ゆめのあと諸本」の記事については、「ゆめのあと諸本」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:34 UTC 版)

今昔物語集」の記事における「諸本」の解説

現存する『今昔物語集』写本鈴鹿本の子孫である。鈴鹿本は1833年天保4年)には「奈良人某」、1844年天保15年)には鈴鹿連胤所有であり、この時期伴信友調査して、諸本の祖本であることを指摘している。その後鈴鹿家伝えられ1920年大正9年)、鈴鹿三七の『異本今昔物語抄』という小冊子によって世に知られた。最終的に1991年子孫から京都大学付属図書館寄贈され1996年6月27日国宝指定された。

※この「諸本」の解説は、「今昔物語集」の解説の一部です。
「諸本」を含む「今昔物語集」の記事については、「今昔物語集」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 23:15 UTC 版)

徒然草」の記事における「諸本」の解説

現存最古写本は、正徹永享三年1431年)の3月27日および4月12日上下二巻書写校合した本(正徹本・静嘉堂文庫蔵)である。現存する諸本は、通説では 正徹本系統 (伝)東常縁自筆本系統 細川幽斎本系統 烏丸光広本系統4種類分類されるとされる

※この「諸本」の解説は、「徒然草」の解説の一部です。
「諸本」を含む「徒然草」の記事については、「徒然草」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/13 08:54 UTC 版)

吉野拾遺」の記事における「諸本」の解説

諸本には、35所収二巻本の系統群書類従本など)とこれに29話を増補した三巻本系統貞享本)がある。双方共通部分表現字句説話配列においてやや異同があるものの、説話数や内容自体には違い見られない。なお、三巻本への増補時期に関して定説がなく、近世まで下る可能性唱えられている。 両系統ともに伝本は多い。翻刻は『群書類従485』・『校註日本文学大系18』・『国史叢書』・『国文大観4』などに収録されるが、その多く戦前出版である。

※この「諸本」の解説は、「吉野拾遺」の解説の一部です。
「諸本」を含む「吉野拾遺」の記事については、「吉野拾遺」の概要を参照ください。


諸本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 10:05 UTC 版)

藤原秀郷」の記事における「諸本」の解説

俵藤太の百足退治説話初出『太平記』十五といわれる。しかし『俵藤太物語』の古絵巻のほうが早期成立した可能性もあるという意見もある。御伽草子系の絵巻版本所収の「俵藤太物語」に伝わり説話はさらに広まった

※この「諸本」の解説は、「藤原秀郷」の解説の一部です。
「諸本」を含む「藤原秀郷」の記事については、「藤原秀郷」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「諸本」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ




諸本と同じ種類の言葉

このページでは「ウィキペディア小見出し辞書」から諸本を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から諸本を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から諸本を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「諸本」の関連用語

諸本のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



諸本のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの椿葉記 (改訂履歴)、太平記 (改訂履歴)、阿波志 (改訂履歴)、苔の衣 (改訂履歴)、去来抄 (改訂履歴)、和名類聚抄 (改訂履歴)、色葉字類抄 (改訂履歴)、沢庵和尚鎌倉巡礼記 (改訂履歴)、閑居友 (改訂履歴)、日本国現報善悪霊異記 (改訂履歴)、注好選 (改訂履歴)、君台観左右帳記 (改訂履歴)、桜雲記 (改訂履歴)、甲乱記 (改訂履歴)、北条五代記 (改訂履歴)、大唐西域記 (改訂履歴)、保元物語 (改訂履歴)、承久記 (改訂履歴)、神道集 (改訂履歴)、南方紀伝 (改訂履歴)、本朝画史 (改訂履歴)、幸若舞 (改訂履歴)、井伊家伝記 (改訂履歴)、平家物語 (改訂履歴)、梅松論 (改訂履歴)、稲生物怪録 (改訂履歴)、竹取物語 (改訂履歴)、レメゲトン (改訂履歴)、華夷変態 (改訂履歴)、アルス・ノトリア (改訂履歴)、入菩薩行論 (改訂履歴)、篁物語 (改訂履歴)、新葉和歌集 (改訂履歴)、松浦佐用姫 (改訂履歴)、源語秘訣 (改訂履歴)、源氏大鏡 (改訂履歴)、百合若大臣 (改訂履歴)、方丈記 (改訂履歴)、伊勢物語 (改訂履歴)、酒呑童子 (改訂履歴)、ゆめのあと諸本 (改訂履歴)、今昔物語集 (改訂履歴)、徒然草 (改訂履歴)、吉野拾遺 (改訂履歴)、藤原秀郷 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS