風俗・芸能
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 13:51 UTC 版)
王侯貴族には船舶に居住する習慣があり、彼らは自分たちの船を有し、職務・宴会・娯楽を船の上でも楽しんでいたという。沿岸部の漁民の風習である入墨は陳朝の王侯貴族の間でも行われており、皇族は太ももに竜の入墨を施していた。入墨の習慣については、自分たちが漁民の出身であることを示すために入墨をしているのだと、仁宗が子の英宗に語り伝えた逸話が残る。 一般民衆は質素な衣服を着用し、裸足で歩く生活を送っていた。しかし、彼らは歌・踊り・歴史的事件などを題材とした歌劇(チェオ(英語版)、トゥオン(英語版))・人形劇・相撲・蹴鞠・競漕など様々な娯楽を楽しんでいた。 李朝・陳朝は音楽と文化の黄金期だと考えられており、陳朝の時代に演劇は低俗な娯楽とみなされていたが、演劇は陳朝末期に急速に発展する。演劇の発展には元軍の捕虜出身の俳優の李元吉の存在があり、彼は、物語・衣装・演じる役柄・軽業といった中国演劇の特徴をベトナムの芸能界に導入したとされている。このために李元吉はベトナムの古典演劇であるトゥオンの確立者と考えられているが、近年ではトゥオンと中国の歌劇の間にはメイクと衣装の用法、劇上の慣習などにおいて異なる概念が多く存在するために、李元吉を古典演劇の確立者とすることに異議が唱えられている。演劇は庶民の間だけでなく裕宗在位中の宮廷でも流行し、皇帝の楊日礼の母は恭粛王陳元昱が寵愛した女優だった。
※この「風俗・芸能」の解説は、「陳朝」の解説の一部です。
「風俗・芸能」を含む「陳朝」の記事については、「陳朝」の概要を参照ください。
- 風俗・芸能のページへのリンク