諸本と刊本とは? わかりやすく解説

諸本と刊本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 18:51 UTC 版)

信長公記」の記事における「諸本と刊本」の解説

写本含めると20種類以上が残されており、『安土日記』、『安土記』、『信長記』、『信長公記』など様々である。短編残闕本を含めると70本以上が確認されている。大名公家などに写本伝わり明治時代になって初め刊行された。

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諸本と刊本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 14:25 UTC 版)

万葉集」の記事における「諸本と刊本」の解説

万葉集諸本大きく分けて、「古点本」「次点本」「新点本」に分類できる。この区分鎌倉学僧仙覚よるもので、点とは万葉集漢字本文附された訓のことをさす。その訓が附され時代によって、古・次・新分類したのである古点とは、天暦5年951年)に梨壺の五人の附訓で、万葉歌の9割にあたる4,000上の歌が訓をつけられた。確実な古点本は現存していないが、武田祐吉小川靖彦によって本が古点一部存しているという見解示されている。ほかに久松潜一藍紙本も古点伝えるとの見解示している。古点伝え資料としては、古今和歌六帖など、平安時代中期歌集引用され万葉歌がそれにあたるとの見方山田孝雄上田英夫らによって提示されことがあるが、現在ではあまり有力視されていないともあれ古点とは梨壺の5人による一回的作業結果であるが、次点本は古点以降新点以前の広い時代成果指し藤原道長大江佐国、大江匡房、惟宗孝言、源国実、源師頼藤原基俊藤原敦隆、藤原仲実藤原清輔藤原長忠顕昭など、複数人物加点者として比定されている。この次点本に属す現存諸本としては、嘉暦伝承本、元暦校本金澤本、類聚古集廣瀬本などが現存しているが、いずれも零本であり、完本伝わらないこのうち廣瀬本は藤原定家校訂冷泉定家万葉集認められる1993年平成5年)に関西大学教授木下正俊・神堀忍に発見され所蔵者である広瀬捨三(元同大教授)の名をとって廣瀬本と称される。ただし、廣瀬本の奥書には甲府町年寄春日昌預1751年 - 1836年山本右衛門)や本居宣長門弟国学者萩原元克1749年 - 1805年)といった甲斐国国学者たちによる校訂痕跡を示す文言があり、賀茂真淵の『万葉考』に依拠し本文や訓の訂正行われている。 新点本は仙覚校訂し諸本指し大きく寛元本系統文永本系統分かれる寛元本系統諸本伝わらないが、上田英夫の考証によって神宮文庫がもっと寛元本の様態留める本であることが確かめられている。また橋本進吉田中大士によって、紀州本の巻10までが寛元本に近い本ではないか推測されている。西本願寺本巻1の奥書によれば寛元本は源実朝本(鎌倉右大臣本)など数種の古写本校合し、さらに仙覚自身の案も加えて校訂した本とみられる文永本に関しては、最古完本である西本願寺本をはじめ学習院大学本、陽明文庫本など揃い諸本多く、特に西本願寺がもっと多くの歌数をとどめていることから、現在万葉集テキストを編む場合、必ずと言っていいほど底本として利用されている。 なお、近年出現した広瀬万葉集については、項目を別に改め付加して概述される必要がある

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