諸本研究と記載の異同
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 14:16 UTC 版)
八幡愚童訓には写本が多数あり、内容も各本で異同がある。 以下、元寇に関する九州での御家人に関する記述についての異同事例を述べる。 菊大路本(鎌倉時代末期) 「九国ニハ少弐・大友ヲ始トシテ、菊池・原田・松浦・小玉党以下、神社仏寺ノ司マデ、我モゝゝト馳集ル。大将ト覚敷(おぼしき)者ダニモ十万二千余騎、都合ノ数ハ何千万騎ト云事ヲ不知。」(「八幡愚童訓 甲」。 東大寺上生院本(文明12年) 「九國ニハ、少貳・多友、紀伊ノ一族・ウスキ・ヘツキ・松浦黨・菊池・原田・兒玉黨已下、神社佛寺之司マテ、我モゝゝト馳集リキ、十万二千余騎ト云フ、都合ノ數ハ、イクラ、何千万騎ト云事ヲ不知、」 文明本(『八幡大菩薩愚童記 下』 愛媛県八幡浜市八幡神社蔵本、文明15年) 「九国ニハ少弐大友(トモ)ヲ始トシテウスキ(臼杵)戸次松浦党菊池原田小玉党以下神社仏寺ノ司マテ我モゝゝト馳集マル。大将トヲホシキ者タニ 十万ニ千余騎都合数ハ何千万騎ト云事ヲ不知。」 筑紫本(『八幡大菩薩愚童訓』福岡県箱崎八幡筑紫家蔵 室町時代中期ないし初期?) 「九國ニ馳集軍丘(ママ)誰々ソ少貳大友菊池原田紀伊一類臼木戸次松浦黨兒玉黨以下神社佛寺之司及モ我モ々ト打立ケル大将軍一万二千余騎都合其勢十万騎ト云ヘ共[米+攵]ヲ不知」 橘守部旧蔵『八幡蒙古ノ記』 「此九國にては、かねて攻来へしと思ひし事なりけれは、来ぬときより、馳参る軍兵は、太宰小貳、大友、紀伊一類、臼杵、戸澤、松浦黨、菊池、原田、大矢野、兒玉、竹崎已下、神社佛寺の司等に至まて、我もゝゝと、はせあつまりたれは、たとひ異敵十萬に及ふとも、何ほとの事かあらんとて、いさましく見えにけり」とあり、「十万」云々は武士勢のことではなく来襲してくるであろう蒙古勢のことになっている。
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