甲府町年寄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/16 01:48 UTC 版)
甲斐国では享保9年(1724年)、甲府藩主・柳沢氏が大和郡山に転封され、甲府藩は廃藩となり甲斐国一国が幕府直轄領化される。これにより甲府町方は町奉行にかわって2人の甲府勤番支配が司るようになり、勤番支配の役宅に設けられた町方役所で隔月交代でその任にあたった。 町政の執行は甲府町年寄が担い、坂田与一左衛門と山本金左衛門の2人が、同年に町年寄に任命され、町方の最高責任者となった。坂田・山本両氏は武田氏の時代に検断役を務めた由緒をもつ有力町人で、甲府の草分町人でもある。町年寄の職務は月番制で、明治5年(1872年)に廃止されるまで両家が世襲制で務めた。 坂田与一左衛門は5人扶持と役地侍屋敷600坪を給された。4代目山本金左衛門は、春日昌預の名で国学や和歌に親しんだことで知られる。
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