甲府盆地における前方後円墳の出現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 21:38 UTC 版)
「甲斐銚子塚古墳」の記事における「甲府盆地における前方後円墳の出現」の解説
曽根丘陵一帯では弥生時代後期後半から古墳時代前期前半にかけての方形周溝墓が多数造営された上の平遺跡があり、この時期から甲府盆地において安定した生産力が確保できる地域であったと考えられている。 このため古墳時代前期に富士山西麓(のちの中道往還)を経て東海地方から古墳文化が流入し、甲府盆地では東海系土器の特徴を有する土器やS字甕が出土しており、これは甲斐銚子塚古墳においても共通する。こうした基盤の上に、米倉山東麓には山梨県内最古の古墳で、唯一の前方後方墳でもある小平沢古墳が築かれる。なお、甲府盆地では古墳時代前期に遡る前方後方墳が小平沢古墳を唯一とし、弥生時代以来の方形周溝墓が古墳時代中期に至っても築造され続ける特徴があり、伝統的な墓制に執着した背景が指摘される。 小平沢古墳に次いで甲斐銚子塚古墳に先行する大丸山古墳が築造され、伝統的な方墳の分布する東山地域において初めて前方後円墳が出現する。前方後円墳は3世紀後半に西国において出現する形態で、ヤマト王権との関わりを示す古墳とされる。 なお、東山古墳群から南西に位置する金沢古墳群には天神山古墳が所在する。天神山古墳は全長132メートルで甲斐銚子塚古墳の次ぐ規模の前方後円墳で、くびれ部から出土した須恵器の年代から築造は古墳時代中期とする説がある。一方、天神山古墳の立地や、その後採集された土師器の時期の年代から大丸山古墳・甲斐銚子塚古墳に先行する古墳時代前期の築造とする説もある。
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