甲府道祖神祭礼の廃絶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/27 04:59 UTC 版)
「甲府道祖神祭礼」の記事における「甲府道祖神祭礼の廃絶」の解説
明治初期には県令藤村紫朗の主導する改革で民俗に対する布達や禁令が発せられ諸祭礼は縮小・消滅し、明治2年(1869年)1月8日甲府の「市村道祖神祭礼弊習禁止令」や明治5年(1872年)11月14日甲府「道祖神廃止令」により甲府道祖神祭礼も廃絶した。 甲府道祖神祭礼は明治期に廃絶したが、現在の旧甲府城下地域では道祖神信仰が現存している。一例として甲府市中央の魚町では道祖神を祀る祠があり、地面から数十センチメートルほど高い位置に、丸石の神体を収める屋根付きの木造祠が安置されている。こうした形態的特徴から、甲府城下の道祖神は屋根神のように高い位置に祀られていたとも考えられている。
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