甲府道祖神祭礼の開始と広重の来甲
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甲府城下における道祖神祭礼の存在は17世紀段階から確認され、道祖神祭礼そのものの起源は古くに遡る可能性が考えられている。 甲府道祖神祭礼に関する記録は宝暦2年(1752年)成立の『裏見寒話』をはじめ、文化13年(1816年)の『日本九峰修行日記』、天保12年(1841年)の歌川広重『甲州日記』、嘉永3年(1850年)成立の『甲斐廼手振』、慶安2年(1866年)成立の『甲州道中記』などに見られる。 十四日より十五日に亘る、道祖神祭九日十日頃より町在共に、辻々へ古き長持の上に小き社を上げ、獅子頭を持出して太鼓を打、十三日に至て、未だ妻を迎へさる者共集り、三四間ある材木の上へ山車を飾る(是をお山といふ)譬へは、武蔵野猿舞抔の類也、扨四方へ縄を張り、枝垂柳桜抔を色紙にて拵へ飾る、前年婚儀せし者をねたりて鳥目(初穂イ)を出さしむ、其多寡を争ふて口論に及ひ、聟の家財を毀し、売買の品を損さす、町長の者制すれ共聞かす、伝へ云、十三日より十五日に至ては道祖神の霊、無妻の者に乗り移りて騒動せしむ、是を堅く制すれは、神の咎を禀くと、是に依て若き者共傍若無人なる事甚し、老年にても独身の者は、此若き者共に与して道路に立、只婚儀のみに非ず、摠ての吉事ありし者より、鳥目を出さしむ、扨十四日の黄昏に及ひ、家々の軒下へ獅子頭を荷ひ来りて舞唄ふ、口論等有れは此獅子は舞はしと云、則相手の者閉口す、寺社門前と雖も又同じ、光沢寺門前等は一向宗たるを以って、松飾等之れ無しといへ共、獅子舞は来りて賀す、幟鳥居の額には正一位道祖大神宮とあれ共神職修験もかゝはらす、希異なる祭也、近年甲府の祭礼殊の外美麗にして、辻々に大きなる屋台を飾り、十二三歳の子供綺羅を尽くして歌舞伎をなす、囃し方の者は皆大人也、近江八景をうつし、大坂四橋の体、勢州内外の宮、色々金銭をかけて美飾を成して遊興す、見物の男女市巷に充満して其賑かなる事筆紙に尽くし難し、又寺院等を借りて芝居狂言の催抔あり、古府中は下府中程には無りしと云、 — 『裏見寒話』 十五日 晴天、昼時より甲府町へ道祖神祭礼俄見物に行く。注連竿町々に飾り、俄狂言あり。歌舞伎狂言の如く組立て、後に直ちに俄になして興行する事也、此組立て六ヶ所にあり。其内伊勢の宮廻り、合の山の仕立甚だ面白し。町三丁計りの間に中宮、下宮、天の岩戸など拵へたり。天の岩戸は真暗がりに囲ひをなし、高さ四尺計りにして奥へ行く事十四五間と覚ゆ、行きぬけ見れば人家の裏畠けなんにも無き所也。爰にて一同笑ひ出づる也。内宮には飾り立てたる中に琉球芋を三宝に盛りて飾り、外宮には簾の如くに藁筵掛けあり。夫より合の山へ出れば男共女のかつらにて女形に仕立て、赤前垂れなどにて三味線を引くやら、さゝらを鳴らすやら、又茶屋より参詣の者を引入れ、茶、菓子、酒、吸物等を出せり、是は施行なり。又築山泉水の形ちあり。此の所得駅、手洗鉢、置石等は人を裸にして彩色をなし形を造りたる物也。未だ余寒強きに甚だ難渋ならんと思ふ。其外見せ物、作り物多し。夕方帰り休息す。 — 『日本九峰修行日記』 いずれも甲府道祖神祭礼の華美な実態を伝えており、『日本九峰修行日記』1月15日条に拠れば注連飾りが巡らされた城下各地では狂言が演じられ、巨大迷路や人々が女装して庭園の植木や置石に仮装して名所風景を再現するなど、様々な趣向が凝らされていたという。また、『甲州道中記』では大通りのオヤマ(飾り物)や幕絵の様子が記され、当日は子供が道行く旅人から賽銭をねだっていたという。 甲府道祖神祭礼は幕絵で大通りを飾る習慣を特異とし、これは全国的にも類例が見られない。天保12年(1841年)の歌川広重『甲州日記』において初めて確認され、広重は甲府道祖神祭礼の幕絵製作のために甲府町人に招かれて来甲し、幕絵で大通りを飾る形態の道祖神祭礼は翌天保13年正月からであると考えられている。 『甲州日記』に拠れば広重は天保12年4月2日に江戸を出立し4月5日に甲府へ到着しており、日記に記される4月23日までは緑町一丁目(甲府市若松町)の伊勢屋栄八宅に滞在している。日記後半部分では同年11月13日から20日まで甲府に滞在しており、20日は甲府を出立し江戸へ帰還している。広重は甲府町人から歓待され幕絵製作のほかいくつかの作品を残しており、『甲州日記』には甲斐名所のスケッチも記されていることから、各地を遊歴したと考えられている。また、『甲州日記』においては亀屋座での芝居見物や料理屋での接待など遊興を行っている点も甲府城下の活況を示す記述として注目されている。
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