甲府道祖神祭礼の研究史
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「甲府道祖神祭礼」の記事における「甲府道祖神祭礼の研究史」の解説
明治20年代にはキリスト教牧師山中共古(笑(えむ))『甲斐の落葉』や大正年間の若尾謹之助『甲州年中行事』など郷土研究により甲府道祖神祭礼の記録も作られた。 甲府道祖神祭礼に関する研究は歌川広重『甲州日記』に関する研究に付随し、明治中期から『甲州日記』が刊行・紹介されると主に美術史の観点から注目されている。1936年(昭和11年)には「目黒不動之瀧」が東京の浮世絵商所蔵品として紹介され、『甲州日記』に関する現地調査が行われ甲府市において甲府道祖神祭礼や広重関係の諸資料が発見され、野口二郎ら郷土研究者によるの調査も行われた。 1983年(昭和58年)には太田記念美術館で「抒情絵師 広重画業」展、2000年(平成12年)には山梨県立美術館で「甲府道祖神祭りと広重の幕絵」展が開催され、幕絵が一般に公開された。 また、平成期に整備構想がスタートした山梨県立博物館においては幕絵や甲府道祖神祭礼・広重に関する資料を収集しており、整備段階から甲府道祖神祭礼を常設展示における主要なテーマの一つに設定している。開館前年の2004年度には幕絵の修復を行い、開館記念特別展「やまなしの道祖神」展をはじめ展示においてたびたび公開している。博物館の構想段階では祭礼の実態も不明であったが、関連資料の調査や歴史学のみならず建築史・民俗学の研究者を交えた検討により考証を行い、常設展示では祭礼の要素をジオラマで再現した。 2004年には同博物館所蔵の幕絵2張(初代広重筆「東都名所 目黒不動之瀧」、2代広重筆「東都名所 洲さき汐干狩」)が山梨県指定有形文化財となった。 また、2006年にはアメリカ人の所蔵となっていた『甲州日記』原本が再発見され、これに際して山梨県博では総合調査を実施しており、従来の美術史的観点のみならず、歴史的観点からも甲府道祖神祭礼へのアプローチを行っている。 また、戦後山梨県では武田信玄に象徴される歴史遺産や自然遺産を観光資源とした観光業が主要産業化しており、甲府市では毎年4月の信玄公祭りを実施し、躑躅ヶ崎館跡(武田氏館跡)や甲府城跡を整備し町づくりに務めている。一方、甲府道祖神祭りの行われていた現在の甲府中央商店街では明治以降に甲府市街の中心地が西方に移動したことや戦後のモータリゼーションの影響などで商店街の衰退が問題となっており、活性化計画のひとつして甲府道祖神祭礼にも着目している。甲府商工会議所では幕絵の原寸大レプリカを作成しており、山梨県立博物館と共同で甲府市街地における幕絵の復元も実施され、NPOと共同した幕絵の飾られた甲府城下を散策する教育交流事業も実施されている。 2013年には「富士の国やまなし国文祭」が開催され、幕絵を募集した「幕絵甲子園」などのイベントが実施された。
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