山梨県指定有形文化財とは? わかりやすく解説

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山梨県指定有形文化財

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/12 04:09 UTC 版)

穂見神社 (南アルプス市)」の記事における「山梨県指定有形文化財」の解説

穂見神社本殿棟札 穂見神社銅製懸仏(「男神鏡像」、御正体鎌倉時代鏡像銅製鋳造鏡径は26.4センチメートル、縁厚は0.5センチメートル鏡面左右に銘文があり、鎌倉時代天福元年1233年)の年記有する。やや反りのある円形鏡面に、線刻男神坐像表現され鏡像鏡板上部の二箇所には共鋳の鈕があり、円孔が穿たれている。銘文には「三躰王子」の語句がみられ、これは『甲斐国志』巻六七「御崎明神 高尾村」の項に記される大福王子・大寿命王子大智徳王子」を指すと考えられている。また、鏡の背面には「大勧進幸房弁慶」の名が記される

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山梨県指定有形文化財

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:11 UTC 版)

慈照寺 (甲斐市)」の記事における「山梨県指定有形文化財」の解説

慈照寺法堂 1棟 - 1965年昭和40年5月13日指定 桃山時代から江戸時代初期建立の、禅宗方丈形式平面をもつ法堂である。桁行12間、梁間8間、一重寄棟造銅板葺。屋根はもとは茅葺で、1967年昭和42年)の修理際し茅葺形銅板葺改められた。内部桁行4列、前後2列の8室。『寺記』によれば1563年永禄6年建立棟札があったとされるがこれは現存せず、建築様式からは安土桃山時代から江戸時代初期建立であると推定されている。建物一部には修理痕跡がある。曹洞宗寺院特有の方丈形式法堂で、国宝である富山県高岡市瑞龍寺法堂形式共通する慈照寺山門 1棟 - 1958年昭和33年6月19日指定 江戸時代初期建立。3間1戸楼門入母屋造銅板葺。参道石段上った石垣上に立ち法堂前に位置する10世景岫長和時代にあたる寛永16年1639年)の建立桁行3間、梁間3間で、上層は挿肘木により支持された腰組に切目縁四周し、内部には釈迦如来像五百羅漢像安置されている。初層は吹き放しで、中央1間通路とし、門扉設けない側面にはかつて回廊接続していたと考えられている。 慈照寺文書 16通 - 1969年昭和44年11月20日指定 1515年永正12年)から慶長年間にわたる古文書群で、この地域類例少な一括し文書群として注目されている武田信直信虎)、武田晴信信玄)らの書状など武田氏今井氏中世文書織田信長禁制など近世文書含み、『甲斐国志』には現存していないものを含む一連の文書収録されている。県指定文化財のほか古過去帳や寺普請帳などの近世文書所蔵されている。

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山梨県指定有形文化財

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 00:27 UTC 版)

冨士御室浅間神社」の記事における「山梨県指定有形文化財」の解説

勝山記 河口湖地方日蓮宗浄蓮寺僧侶らにより、文正元年1466年)から永禄6年1563年)まで書き連ねられた年代記(『勝山記』または『妙法寺記』)の写本。「年代記」には「勝山記」系の諸本と「妙法寺記」系の諸本があり、ともに共通祖本起源としていると考えられているが、冨士御室浅間神社所蔵の「勝山記」は前者代表的写本原本)で、諸本との比較検討から共通祖本最も近い最善本と位置づけられている。本来は無題で、江戸時代の『甲斐国志編纂に際して当本を調査した際に命名される当時反映されず、1889年明治22年)に田中義成調査行った際には「北室稟主日記」と題されており、1896年明治29年)に「勝山日記」と改称され近年に「勝山記」の便箋付けられた。1975年昭和50年3月17日指定安産祈願状 弘治3年1557年11月19日武田晴信信玄)により奉納され願文で、冨士御室浅間神社文書含まれる長女北条氏政黄梅院安産無病延命記念したもので、黄梅院天文23年1554年武田相模北条駿河今川三国同盟のため北条氏政に嫁がせた。祈願成就の際には永禄元年6月から鎌倉往還船津富士河口湖町)の関所廃止する記されている。『戦国遺文武田氏編-579号。 信玄永禄9年1566年5月吉日冨士御室浅間神社文書)、6月16日諏訪家文書)にも同内容願文奉納しており、後者では同じく鎌倉往還黒駒関解放約束している。同時期に信玄側近市川家光神官小佐野越後守らが主導して大般若経転読行われており、これらの願文奉納北条家との同盟強化のみならず富士信仰街道であった鎌倉往還便宜を図る意図もあったと考えられている。

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山梨県指定有形文化財

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 07:27 UTC 版)

大蔵経寺」の記事における「山梨県指定有形文化財」の解説

絹本着色両頭愛染明王像 - 平成15年5月1日指定 南北朝期密教絵画画面寸法は縦105.5センチメートル、横56.2センチメートル山梨県内では本像をはじめとする密教絵画所蔵する当寺南巨摩郡富士川町明王寺などに密教絵画所蔵されているが、本像は中世において息災調伏願い製作され愛染明王不動明王合体した両頭りょうず愛染明王現している。中央明王像が描かれ画面上部両端には月輪中に金剛胎蔵両部大日如来五鈷杵が、下方には矜羯羅・制多迦の二童子描かれている。愛染明王不動明王それぞれ金剛界大日如来胎蔵大日如来教令輪身とされている。 絹本着色不動明王二童子像(坐像系・立像系) - 平成15年5月1日指定 室町期密教絵画画面寸法は縦100.5センチメートル、横38.5センチメートル中央不動明王描かれ足下二童子描かれている。 絹本着色騎獅不動明王八大童子像 - 平成15年5月1日指定 室町期密教絵画画面寸法は縦122.0センチメートル、横64.5センチメートル八大童子伴った不動明王獅子乗った姿を描く。鎌倉時代仏教図像集『覚禅鈔』に由来する図像であるが、他に類例少ないものである

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山梨県指定有形文化財

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:33 UTC 版)

妙法寺 (山梨県富士川町)」の記事における「山梨県指定有形文化財」の解説

金銅金具装笈木造金銅金具装の笈(おい)。笈とは、修験者山林修行者などが背負って歩くための、仏具小仏像、衣服経文などを収納する箱。総高は80.6センチメートル、幅64.0センチメートル奥行は32.5センチメートル室町時代作品で、全体金銅板で覆われ上段には取り外し可能な羽目板の扉が付き表面には彫刻施されている。正面には大日如来や塔などが表現され内部には愛染明王不動明王蓮華流水文などが表現されている。内部には7体の安置仏がある。

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山梨県指定有形文化財

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:18 UTC 版)

甲斐善光寺」の記事における「山梨県指定有形文化財」の解説

木造源頼朝坐像 木造玉眼亡失)、彩色信濃善光寺大檀那でもあった源頼朝木像像高は95.8センチメートル。冠、強装束着座する坐像胎内背面文保3年1319年)の銘文意趣文)には年記があり、頼朝命日である正治元年1199年正月13日日付記されることから、最古頼朝とされる。さらに、意趣文には二度火災遭遇した記されており、これは信濃善光寺文永5年1268年)と正和2年1313年)の火災を指すと考えられ、本像の年代再興時の文保3年とする説と、火災時の修理なされた文永5年以前とする説がある。 絹本著色浄土曼荼羅図 一幅鎌倉時代製作 絹本著色善光寺如来絵伝 二幅 室町時代15世紀後半代)の善光寺如来絵伝寸法第一幅が縦146.5センチメートル、横81.5センチメートル第二幅が縦145.8センチメートル、横82.0センチメートル。両幅裏には元和3年1617年)に徳川忠長檀主として補修が行われた修理銘がある。平安時代成立し鎌倉期から作例見られる善光寺縁起縁起絵。二幅の大画面6-7段に区分され、各幅20場面前後事績画面上部から順に描かれている。戦国期移転に際して信濃からもたらされたものである考えられており、善光寺境内如来像が描かれていない点から、一幅欠損している可能性指摘されている。なお、甲斐善光寺には近世期善光寺如来絵伝伝来している。 銅鐘正和2年1313年鋳造

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