山梨県指定有形文化財
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「穂見神社 (南アルプス市)」の記事における「山梨県指定有形文化財」の解説
穂見神社本殿 附棟札 穂見神社銅製懸仏(「男神鏡像」、御正体) 鎌倉時代の鏡像。銅製鋳造。鏡径は26.4センチメートル、縁厚は0.5センチメートル。鏡面の左右に銘文があり、鎌倉時代の天福元年(1233年)の年記を有する。やや反りのある円形の鏡面に、線刻で男神の坐像が表現された鏡像。鏡板上部の二箇所には共鋳の鈕があり、円孔が穿たれている。銘文には「三躰王子」の語句がみられ、これは『甲斐国志』巻六七「御崎明神 高尾村」の項に記される「大福王子・大寿命王子・大智徳王子」を指すと考えられている。また、鏡の背面には「大勧進蓮幸房弁慶」の名が記される。
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山梨県指定有形文化財
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「慈照寺 (甲斐市)」の記事における「山梨県指定有形文化財」の解説
慈照寺法堂 1棟 - 1965年(昭和40年)5月13日指定 桃山時代から江戸時代初期建立の、禅宗方丈形式の平面をもつ法堂である。桁行12間、梁間8間、一重寄棟造、銅板葺。屋根はもとは茅葺で、1967年(昭和42年)の修理に際し茅葺形銅板葺に改められた。内部は桁行4列、前後2列の8室。『寺記』によれば1563年(永禄6年)建立の棟札があったとされるがこれは現存せず、建築様式からは安土桃山時代から江戸時代初期の建立であると推定されている。建物の一部には修理痕跡がある。曹洞宗寺院に特有の方丈形式の法堂で、国宝である富山県高岡市の瑞龍寺法堂と形式が共通する。 慈照寺山門 1棟 - 1958年(昭和33年)6月19日指定 江戸時代初期の建立。3間1戸楼門、入母屋造、銅板葺。参道石段を上った石垣上に立ち、法堂前に位置する。10世景岫長和の時代にあたる寛永16年(1639年)の建立。桁行3間、梁間3間で、上層は挿肘木により支持された腰組に切目縁が四周し、内部には釈迦如来像と五百羅漢像が安置されている。初層は吹き放しで、中央1間を通路とし、門扉は設けない。側面にはかつて回廊が接続していたと考えられている。 慈照寺文書 16通 - 1969年(昭和44年)11月20日指定 1515年(永正12年)から慶長年間にわたる古文書群で、この地域に類例の少ない一括した文書群として注目されている。武田信直(信虎)、武田晴信(信玄)らの書状など武田氏や今井氏の中世文書や織田信長禁制など近世文書を含み、『甲斐国志』には現存していないものを含む一連の文書が収録されている。県指定文化財のほか古過去帳や寺普請帳などの近世文書も所蔵されている。
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山梨県指定有形文化財
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「冨士御室浅間神社」の記事における「山梨県指定有形文化財」の解説
勝山記 河口湖地方の日蓮宗浄蓮寺の僧侶らにより、文正元年(1466年)から永禄6年(1563年)まで書き連ねられた年代記(『勝山記』または『妙法寺記』)の写本。「年代記」には「勝山記」系の諸本と「妙法寺記」系の諸本があり、ともに共通祖本を起源としていると考えられているが、冨士御室浅間神社所蔵の「勝山記」は前者の代表的写本(原本)で、諸本との比較検討から共通祖本に最も近い最善本と位置づけられている。本来は無題で、江戸時代の『甲斐国志』編纂に際して当本を調査した際に命名されるが当時は反映されず、1889年(明治22年)に田中義成が調査を行った際には「北室稟主日記」と題されており、1896年(明治29年)に「勝山日記」と改称され、近年に「勝山記」の便箋が付けられた。1975年(昭和50年)3月17日指定。 安産祈願状 弘治3年(1557年)11月19日に武田晴信(信玄)により奉納された願文で、冨士御室浅間神社文書に含まれる。長女の北条氏政室黄梅院の安産・無病延命を記念したもので、黄梅院は天文23年(1554年)武田・相模北条・駿河今川の三国同盟のため北条氏政に嫁がせた。祈願成就の際には永禄元年6月から鎌倉往還の船津(富士河口湖町)の関所を廃止すると記されている。『戦国遺文』武田氏編-579号。 信玄は永禄9年(1566年)5月吉日(冨士御室浅間神社文書)、6月16日(諏訪家文書)にも同内容の願文を奉納しており、後者では同じく鎌倉往還の黒駒関の解放を約束している。同時期には信玄側近の市川家光や神官小佐野越後守らが主導して大般若経の転読も行われており、これらの願文奉納は北条家との同盟強化のみならず、富士信仰の街道であった鎌倉往還の便宜を図る意図もあったと考えられている。
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山梨県指定有形文化財
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絹本着色両頭愛染明王像 - 平成15年5月1日指定 南北朝期の密教絵画。画面寸法は縦105.5センチメートル、横56.2センチメートル。山梨県内では本像をはじめとする密教絵画を所蔵する当寺や南巨摩郡富士川町の明王寺などに密教絵画が所蔵されているが、本像は中世において息災調伏を願い製作された愛染明王と不動明王が合体した両頭(りょうず)愛染明王を現している。中央に明王像が描かれ、画面上部両端には月輪中に金剛・胎蔵両部の大日如来と五鈷杵が、下方には矜羯羅・制多迦の二童子が描かれている。愛染明王と不動明王はそれぞれ金剛界大日如来・胎蔵大日如来の教令輪身とされている。 絹本着色不動明王二童子像(坐像系・立像系) - 平成15年5月1日指定 室町期の密教絵画。画面寸法は縦100.5センチメートル、横38.5センチメートル。中央に不動明王が描かれ、足下に二童子が描かれている。 絹本着色騎獅不動明王八大童子像 - 平成15年5月1日指定 室町期の密教絵画。画面寸法は縦122.0センチメートル、横64.5センチメートル。八大童子を伴った不動明王が獅子に乗った姿を描く。鎌倉時代の仏教図像集『覚禅鈔』に由来する図像であるが、他に類例の少ないものである。
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山梨県指定有形文化財
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「妙法寺 (山梨県富士川町)」の記事における「山梨県指定有形文化財」の解説
金銅金具装笈木造、金銅金具装の笈(おい)。笈とは、修験者、山林修行者などが背負って歩くための、仏具、小仏像、衣服、経文などを収納する箱。総高は80.6センチメートル、幅64.0センチメートル、奥行は32.5センチメートル。室町時代の作品で、全体が金銅板で覆われ、上段には取り外し可能な羽目板の扉が付き、表面には彫刻が施されている。正面には大日如来や塔などが表現され、内部には愛染明王、不動明王、蓮華や流水文などが表現されている。内部には7体の安置仏がある。
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山梨県指定有形文化財
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木造源頼朝坐像 木造、玉眼(亡失)、彩色。信濃善光寺の大檀那でもあった源頼朝の木像。像高は95.8センチメートル。冠、強装束で着座する坐像。胎内背面に文保3年(1319年)の銘文(意趣文)には年記があり、頼朝の命日である正治元年(1199年)正月13日の日付が記されることから、最古の頼朝像とされる。さらに、意趣文には二度の火災に遭遇したと記されており、これは信濃善光寺の文永5年(1268年)と正和2年(1313年)の火災を指すと考えられ、本像の年代も再興時の文保3年とする説と、火災時の修理がなされた文永5年以前とする説がある。 絹本著色浄土曼荼羅図 一幅:鎌倉時代製作 絹本著色善光寺如来絵伝 二幅 室町時代(15世紀後半代)の善光寺如来絵伝。寸法は第一幅が縦146.5センチメートル、横81.5センチメートル。第二幅が縦145.8センチメートル、横82.0センチメートル。両幅裏には元和3年(1617年)に徳川忠長を檀主として補修が行われた修理銘がある。平安時代に成立し、鎌倉期から作例が見られる善光寺縁起の縁起絵。二幅の大画面が霞で6-7段に区分され、各幅20場面前後の事績が画面上部から順に描かれている。戦国期の移転に際して信濃からもたらされたものであると考えられており、善光寺境内や如来像が描かれていない点から、一幅が欠損している可能性が指摘されている。なお、甲斐善光寺には近世期の善光寺如来絵伝も伝来している。 銅鐘:正和2年(1313年)鋳造
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