山梨県師範学校・東京高等師範学校時代
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「日向譽夫」の記事における「山梨県師範学校・東京高等師範学校時代」の解説
山梨県北都留郡初狩村(現・大月市初狩町)出身。山梨県立谷村工商学校に入学した後、山梨県立都留中学校に編入学し、山梨県師範学校本科第二部に入学したさらに、東京高等師範学校文科第三部にも入学した。都留中学校時代から、学問の頭角を現しており、トップクラスであった。どの教科も良くマスターしていたが、軍事教練だけ苦手であった。特に野外演習では、成績の良かった日向が小隊長に任命されたが、ためらいの様子があった。無論、日向は、大声をあげて山野を駆けめぐることは、おとなしいので、無理なことであった。だが、昭和天皇の即位式で全国の小中高大に御真影が御下賜になって、御真影をお迎えする日、大月駅から学校まで、人々が深々と頭を下げる中を、当時の校長とともに先頭を日向が校旗を捧げて臆する色もなく堂々と行進した。 東京高等師範学校に行くため、夜中の12時まで勉強をしており、「凄い勉強家の二部生だな」と感心されていた。勉強以外にも、日向が教生の頃には、女学生に数学を上手に熱心に教え、その後も日向が東京高師の寮から、その女学生へ、励ましの手紙を書いた。そして女学生が、高校で勤務していた頃、その高校に、日向が来て、「がんばりなさい」と、励ました。「ボッコちゃん」というニックネームでも親しまれていた。
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