大智とは? わかりやすく解説

たい‐ち【大知/大×智】

読み方:たいち

《「だいち」とも》いちだんとすぐれた知恵また、それをもつ人。


大智

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 03:40 UTC 版)

大智
正応3年 - 正平21年/貞治5年12月10日
1290年 - 1367年1月10日
尊称 大智禅師
生地 肥後国宇土郡長崎
没地 肥前国高来郡加津佐
宗旨 曹洞宗
寺院 祇陀寺、聖護寺、廣福寺、円通寺
寒巌義尹南浦紹明瑩山紹瑾東明慧日古林清茂、雲外雲岫、中峰明本明峰素哲
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大智(だいち)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての曹洞宗肥後国の出身。大智祖継(だいちそけい)とも。一般には大智禅師と呼ばれる。

略歴

肥後国宇土郡長崎(現・熊本県宇城市不知火町)生まれ。幼名は萬仲[1]。7歳の時大慈寺寒巌義尹に師事し、義尹の没後は鎌倉建長寺京都法観寺加賀大乗寺などを訪れている。正和3年(1314年)、中国()に渡り、古林清茂、雲外雲岫(うんがいうんしゅう)らに学び、正中元年(1324年)に日本に帰国した後は、瑩山紹瑾の指示により明峰素哲のもとで参禅した。その後加賀国祇陀寺を開創し、さらに肥後国聖護寺を開創、また肥後菊池氏の帰依を受けて廣福寺を創建し、菊地氏一族に大きな精神的影響を与えた。正平8年/文和2年(1353年)には有馬澄世の招きにより肥前国加津佐(現長崎県南島原市加津佐町)に赴き、水月山円通寺を創建。正平21年/貞治5年12月10日1367年1月10日)、同地で没した。

法名の由来の伝説

大智という法名に関して、以下のような伝説が伝わっている。 齢七つの萬仲は、肥後大慈寺の寒巌義尹に弟子に入ることとなった。相見の時に寒巌が年齢を問うた「名前はなんと申す」「萬仲と申します」「幾つになる」「齢七つになります」そこで寒巌は手元の饅頭を勧めた。饅頭を食す姿を見て寒巌は問うた。「萬仲が饅頭を食べるとは、いかなる心地か」すると萬仲は澄まして答える。「大蛇が小蛇を食らうようなものです」その答えに甚く感心した寒巌は、川(大慈寺の傍を流れる緑川)を指差して言った。「この川は川舟の往来が激しく騒がしい、この場で舟の往来をとめて見せよ」萬仲座を立ち川を望む側の障子を閉て座に戻ると言った。「これで舟はとまりました」「ならば、その場を動かずにとめて見せよ」萬仲は黙って目を閉じた。七歳の智慧に甚く感心した寒巌は「なかなか知恵の回る小僧だ、出家したら小智と名乗るがよかろう」「いやでございます」「何故じゃ」「小智は菩提の障りとなります」寒巌は笑い、大智と名付けたという。

参考文献

  • 飯田利行編訳『懐奘・大智』(現代語訳洞門禅文学集、国書刊行会、2001年)
  • 水野弥穂子編著『大智 偈頌・十二時法語・仮名法語』(禅入門6:講談社、1994年)
  • 不知火町史編さん委員会編纂『不知火町史』(不知火町、1972年)
  • 「きくち広報271号」(菊池市、1979年11月)

脚注

  1. ^ 熊本教育振興会編『肥後の人物ものがたり』(熊本教育振興会事務局、1988年、18-19頁)

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