銅造観音菩薩立像とは? わかりやすく解説

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銅造観音菩薩立像 (東京都)


銅造観音菩薩立像(東院堂安置)

主名称: 銅造観音菩薩立像(東院堂安置)
指定番号 16
枝番 00
指定年月日 1951.06.09(昭和26.06.09)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3192
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3193
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3194
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3195
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3196
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3197
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3198
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3199
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3200
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3201
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 明治11年法隆寺から皇室献納され,現在東京国立博物館法隆寺宝物館一括して保管されている美術工芸品のうち,「四十八体仏」の名で知られる一群小金仏の一つ167号の整理番号のついた本像は,像高29.4cm奈良時代の作である。

銅造観音菩薩立像(夢違観音)

主名称: 銅造観音菩薩立像(夢違観音
指定番号 59
枝番 00
指定年月日 1952.11.22(昭和27.11.22)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3202
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3203
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3204
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3205
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3206
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3207
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3208
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3209
枝番 00
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像

主名称: 銅造観音菩薩立像
指定番号 3210
枝番 01
指定年月日 1966.06.11(昭和41.06.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 法隆寺献納
員数 1躯
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文: 奈良時代作品

銅造観音菩薩立像

主名称: 銅造観音菩薩立像
指定番号 3340
枝番 00
指定年月日 1979.06.06(昭和54.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分
年代
検索年代
解説文:  もと阿弥陀三尊両脇であった考えられる観音勢至の二菩薩像で、それぞれ本体蓮華座及び蓮茎含めて一鋳とする。球形に近い頭部初々しい童貌を表し細身体躯簡潔な象形で、稀にみる瀟洒な全体観をみせる。また細い手指造り天衣瓔珞ようらく】等、宝冠光背透彫精緻な彫技と共に鏤刻の粋を示す。隋代金銅仏の一傾向を示すばかりでなく中国金銅仏の中で繊細華麗な面を代表する作品として注目される

銅造観音菩薩立像

主名称: 銅造観音菩薩立像
指定番号 124
枝番 00
指定年月日 1935.04.30(昭和10.04.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文: 奈良時代作品

銅造観音菩薩立像

主名称: 銅造観音菩薩立像
指定番号 3385
枝番 00
指定年月日 1985.06.06(昭和60.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文:  播磨一乗寺伝存する七・八世紀金銅仏六躯は、いずれも地方的な色合いの加わる大らかな作風一脈通ずるものがあり、朝鮮半島から渡来した人々定着によって中央の文化深く関わっていた当地での製作を思わせるなかでも今回指定観音菩薩像は、早く明治三十四年に指定された二躯につぐ像高大作で、異色ある造形豊かな表現の上から注目される優品といえよう
 像は、頭部長大角柱に近い形につくり、のびやか姿態をとる化仏正面表し、顎の大きい顔の上方に寄せて簡略な目鼻立ちを刻む。躰躯は腰回り膨らみもたせての上部を軽くしめ、裳の平行する襞の間や翻りのない天衣の上に瑤珞を重ねる。頭を前方突き出し、肩をつよく反らせ屈臂した短い腕を両脇につける姿勢など、一種クセのある形態感覚ともない、古様な形式とどめる表現は、今回指定され石川薬師寺金銅仏共通しており、頸部近くの正・背面一箇所型持をおいて頭頂までおおむね一・〇一・四センチ均一な厚みに鋳造する技法も、その中尊同工である。火を被って内外とも焼肌を呈し、髻や化仏一部、左の手首より先、天衣等を失うほか、胴部の割損箇所補修の手加えられているが、なおよく原容をとどめている。

銅造観音菩薩立像

主名称: 銅造観音菩薩立像
指定番号 76
枝番 03
指定年月日 1937.05.25(昭和12.05.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書 那智山経塚出土
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代資料

銅造観音菩薩立像

主名称: 銅造観音菩薩立像
指定番号 76
枝番 02
指定年月日 1937.05.25(昭和12.05.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書 那智山経塚出土
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代資料

銅造観音菩薩立像

主名称: 銅造観音菩薩立像
指定番号 290
枝番 00
指定年月日 1937.05.25(昭和12.05.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像

主名称: 銅造観音菩薩立像
指定番号 1148
枝番 00
指定年月日 1939.05.27(昭和14.05.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像(金堂薬師如来脇侍)

主名称: 銅造観音菩薩立像(金堂薬師如来脇侍
指定番号 1498
枝番 00
指定年月日 1897.12.28(明治30.12.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

銅造観音菩薩立像

主名称: 銅造観音菩薩立像
指定番号 3049
枝番 00
指定年月日 1957.02.19(昭和32.02.19)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文: 奈良時代作品

銅造観音菩薩立像

主名称: 銅造観音菩薩立像
指定番号 3056
枝番 00
指定年月日 1957.02.19(昭和32.02.19)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文: 奈良時代作品

銅造観音菩薩立像(法隆寺献納)

主名称: 銅造観音菩薩立像(法隆寺献納
指定番号 3062
枝番 00
指定年月日 1958.02.08(昭和33.02.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 台座辛亥年の刻銘がある
員数 1躯
時代区分 飛鳥
年代 651
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品
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銅造観音菩薩立像(夢違観音)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:27 UTC 版)

法隆寺の仏像」の記事における「銅造観音菩薩立像(夢違観音)」の解説

国宝飛鳥時代後期白鳳期)。像高86.9センチ大宝蔵院安置する。この像に祈念する悪夢吉夢変えてくれるとの伝承があり、夢違観音ゆめちがいかんのん)と通称される。「夢違」は寺では「ゆめちがい」と読んでいるが、文献では「ゆめたがい」「ゆめたがえ」と読む場合もある。像自体7世紀末から8世紀初頃の作であるが、台座元禄7年1694年)、法隆寺江戸出開帳に本像が持ち出され時に作られたものである面相は、眉の線がそのまま鼻梁つながっている点、二重瞼とする点などは他の飛鳥時代後期白鳳期)の仏像共通するが、鼻梁幅広く、眉と眼との間隔がさほど広くなく、頬から顎にかけての肉取りが引き締まるなど、全体大人びた表情になっており、この時代特有のいわゆる童子形像とは一線を画す頭上には髻を結い三面頭飾を付ける。多く菩薩像両肩垂髪を表すが、本像にはそれがない。天衣飛鳥時代前期菩薩像では膝前で交差するものが多いが、本像の天衣上下2段にU字状に掛かる、より自然な形状になっている両腕から体側垂れ部分天衣左右とも欠失している。正面天衣の下を瓔珞くぐっている様を天衣凹凸によって表すなど、写実的表現意を用いている。浅湫毅(あさぬまたけし)は『諸堂開帳霊仏霊宝絵像目録』という元禄3年1690年)の記録に「夢違之観音」とあるのが、文献上の本像の初出であるとする。本像は近世には東院絵殿に安置されそれ以前所在不明とされていたが、浅湫は上記元禄3年記録に「夢違の観音は、往古此殿(注:絵殿)にこれ有り、中比(なかごろ金堂厨子の内に納め置く」とあるのに着目し、本像はもとは金堂にあったもので、古記録見え金堂の「中大厨子」(現存せず)に納められいたものであろう述べている。

※この「銅造観音菩薩立像(夢違観音)」の解説は、「法隆寺の仏像」の解説の一部です。
「銅造観音菩薩立像(夢違観音)」を含む「法隆寺の仏像」の記事については、「法隆寺の仏像」の概要を参照ください。


銅造観音菩薩立像(旧金堂阿弥陀如来像脇侍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:27 UTC 版)

法隆寺の仏像」の記事における「銅造観音菩薩立像(旧金堂阿弥陀如来像脇侍)」の解説

重要文化財奈良時代像高61.5センチ。もと金堂「西の間」阿弥陀如来像鎌倉時代作)の右脇侍像として安置されていた像だが、阿弥陀像および左脇侍像とは全く別の奈良時代の像である(金堂「西の間」の本来の右脇侍像は、明治期海外流出しパリギメ美術館所蔵となっている)。右腕軽く曲げて水瓶執り左腕前方突き出して第一指と第三指で玉を持つ。宝冠天衣などのデザイン装飾的ななかにも自然さを失わないものとなっている。衣端が台座上に垂れかかる様も自然に表されている。

※この「銅造観音菩薩立像(旧金堂阿弥陀如来像脇侍)」の解説は、「法隆寺の仏像」の解説の一部です。
「銅造観音菩薩立像(旧金堂阿弥陀如来像脇侍)」を含む「法隆寺の仏像」の記事については、「法隆寺の仏像」の概要を参照ください。


銅造観音菩薩立像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:27 UTC 版)

法隆寺の仏像」の記事における「銅造観音菩薩立像」の解説

重要文化財像高56.7センチいわゆる「止利式」仏像典型的な作品大ぶり宝冠いただき両手胸前合わせ宝珠捧持する宝冠には日輪三日月組み合わせたササン朝風の意匠を表す。左右対称形に図式的に表現され垂髪天衣などは止利式の特色で、金堂釈迦三尊脇侍像と類似する点が多い。ただし、金堂脇侍像が背面空洞であるのに対し、本像は背面省略せず造形している。内部頭部内面まで空洞とする(製作時には頭部内面まで中型土が詰まっていた)が、これも止利派の金銅仏特色である。

※この「銅造観音菩薩立像」の解説は、「法隆寺の仏像」の解説の一部です。
「銅造観音菩薩立像」を含む「法隆寺の仏像」の記事については、「法隆寺の仏像」の概要を参照ください。


銅造観音菩薩立像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 20:02 UTC 版)

浄土寺 (横須賀市)」の記事における「銅造観音菩薩立像」の解説

2021年令和3年)に横須賀市指定指定重要文化財指定された。善光寺式の鋳銅鍍金像で、高さは30センチメートルほど。造立年代鎌倉時代後期ごろとされる中世遡る金剛仏の遺例として国内彫刻史上貴重なのである

※この「銅造観音菩薩立像」の解説は、「浄土寺 (横須賀市)」の解説の一部です。
「銅造観音菩薩立像」を含む「浄土寺 (横須賀市)」の記事については、「浄土寺 (横須賀市)」の概要を参照ください。


銅造観音菩薩立像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/06 15:37 UTC 版)

東畑遺跡」の記事における「銅造観音菩薩立像」の解説

平安住居跡覆土中からは銅造観音菩薩立像が出土し現在のところ山梨県内最古金銅仏鍍金仏像)として注目されている7世紀末から8世紀初頭飛鳥時代後期)の制作推定されており、出土地点との年代にずれが生じることから外部から持ち込まれ念持仏であると考えられている。 古代甲斐国への仏教文化到来7世紀後半で、この頃には盆地北部笛吹市春日居町寺本古代寺院寺本廃寺建立されている。また、東畑遺跡周辺には供給寺院不明であるものの古代瓦が出土している川田瓦窯跡が存在していることも注目される。本像の発見古代甲斐へ仏教文化到来を示す資料となっている。 像は総高11.1センチメートル像高は9.7センチメートル)の小金仏で、青銅と錫の合金)製。現在でも鍍金残されている。 頭部大きく、髻が表現されている。髪は正面両耳前で垂らし後頭部では髪をかき上げ垂髪三筋別れて髪筋刻まれている。蓮肉上で直立し左手下げ右手掲げて掌を正面向けている。上半身裸形で、肩には天衣をかけている。胸部ふっくらとし胸飾が表現され腰部は窄んでいる。下半身は裙の薄布が表現され腰帯からは瓔珞垂らす国内での制作とも考えられているが、唐代彫刻影響指摘されている。1996年平成8年)に山梨県指定有形文化財となる。

※この「銅造観音菩薩立像」の解説は、「東畑遺跡」の解説の一部です。
「銅造観音菩薩立像」を含む「東畑遺跡」の記事については、「東畑遺跡」の概要を参照ください。

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