銅造薬師如来坐像(金堂安置)
主名称: | 銅造薬師如来坐像(金堂安置) |
指定番号: | 41 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1952.03.29(昭和27.03.29) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | 光背裏面に丁卯年仕奉の銘がある |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | 607 |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造薬師如来坐像
主名称: | 銅造薬師如来坐像 |
指定番号: | 75 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1933.01.22(昭和8.01.22) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | 頭部のみ |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造薬師如来坐像
主名称: | 銅造薬師如来坐像 |
指定番号: | 1215 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1940.10.14(昭和15.10.14) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 奈良 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 奈良時代の作品。 |
銅造薬師如来坐像
主名称: | 銅造薬師如来坐像 |
指定番号: | 3406 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1988.06.06(昭和63.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 左手先と右手のすべてを別鋳とする銅造の薬師如来坐像である。 薬壺を載せる左手先の当初のものは失われ、現在、木で補作されているが、一具同作とみられる銅製光背には七躯の薬壺を持った薬師如来が配されており、いわゆる七仏薬師像として造られたものと考えられる。 二重円相内に透彫の宝相華樹を立ち上らせ、葉の先端を火焔状に表わして、外縁を構成する光背の形式、宣字の形を示す台座上に裳を懸けた、いわゆる裳懸宣字座は、奈良新薬師寺の本尊木造薬師如来坐像(国宝)のそれに似てきわめて古式である。 しかし、本体の端正な相貌や引き締まった体躯、動的で深い衣文の彫りなどには鎌倉時代十三世紀頃の南都仏師の作風が顕著に認められる。 仏師善円が嘉禄元年(一二二五)に造った東大寺釈迦如来坐像(重文)は、その類似の一例としてあげうるが、この像に比べると、やや形式化がすすんでいるかに眺められる。 像高一四・一センチの小品でありながら、右手や左手先を別鋳とする技法も当代金銅仏の傾向を示すもので、薄く均一に、しかも像内まで滑らかに鋳上げられた本体には、堅実な鋳技がうかがわれ、宝相華樹を打ち抜き、あるいは台座の文様を刻出するタガネの使用も巧みで、この種金銅仏の美作として高く評価し得る。 制作の時期は十三世紀半迄は下らぬと思われるが、奈良興福寺旧蔵であったことを思えば、当寺の鎌倉復興期の造像遺品の一かと推察される。 既述した左手先の他に、台座下框の中・下段が木製後補であるが、仏・光・座をほぼ完全に伝存する当代七仏薬師像の稀有の遺例としてその存在価値はきわめて高い。 |
銅造薬師如来坐像(鶴岡八幡宮伝来)
主名称: | 銅造薬師如来坐像(鶴岡八幡宮伝来) |
指定番号: | 3437 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1993.06.10(平成5.06.10) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鶴岡八幡宮の回廊東南隅にあった座不冷壇所【ざさまさずのだんしよ】に伝来し、明治初年の神仏分離に際して寿福寺に移された薬師如来像である。左手に薬壺をもつ像容は薬師如来に通例の姿であるが、腹前に近い位置で仰掌する左手の構えや、内衣を表し、左袖縁を装飾的に折り畳み、右袖には波状のうねりをつける処理に特色がある。 両足部を含み頭躰を一鋳とし、像内は中空で、銅厚は〇・五~〇・九センチと薄く、均一に鋳上げられている。両手首先は別鋳とする。現在、表面は後補の漆箔に覆われるが製作当初は鍍金仕上げであったとみられる。 頬の丸く張った面部の輪郭、厳しさのある表情、面部をうつむけ、上躰をゆったりと構えた体勢や著衣の制は、運慶一門により建暦二年(一二一二)頃に造像された興福寺北円堂弥勒仏坐像(国宝 昭二六・六・九)に通じるところがある。原型はおそらく慶派仏師によるものであろう。 『吾妻鏡』建暦元年(一二一一)十一月十六日条によれば北条政子発願の金銅三尺薬師三尊が同日供養され、鶴岡神宮寺に安置されたことが知られる。本像は近世にはこの政子発願像の中尊にあたるとされており、作風から本像の製作の時期もその頃と考えられる。所伝のとおり本像が政子発願像にあたる可能性は高い。 |
銅造薬師如来坐像
銅造薬師如来坐像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:27 UTC 版)
重要文化財。奈良時代。像高15.4センチ。もと西円堂本尊薬師如来像の胎内仏であったと伝えるが、確証はない。台座は蓮華座の上に裳裾を広げた裳懸座で、光背は後補である。面相は童子を思わせるもので、飛鳥時代後期(白鳳期)の仏像につながるものがある。しかし、台座の裳裾の布が、その下の蓮弁の凹凸にしたがって上下する表現は盛唐風であり、本像が盛唐の影響を受けた奈良時代の作であることを示している。光背とそれを支える支柱は、本来この像に属したものではなく、他像分の転用と思われる。光背は本像のものとしては大きすぎ、様式的にも釣り合わない。
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