銅造観世音菩薩坐像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 00:55 UTC 版)
「観音寺 (対馬市)」の記事における「銅造観世音菩薩坐像」の解説
像高50.5センチメートル。結跏趺坐する観音菩薩像である。右手を胸の辺に挙げ、左手は腹前に掌を上にして構え、両手とも第3指を屈する。宝髻を高く結い上げ、両肩に垂髪を表す。両耳部の耳璫、胸部や膝部に表された瓔珞、両脚部の複雑に表された衣文の扱いなどの煩雑な表現に高麗時代(918年~1392年)の中期から末期にかけての特色がみられる。像内に納入されていた結縁文に天暦3年(元徳2年、1330年)2月に戒真ら三十数名の発願によって造立されたとあり、14世紀の朝鮮半島で制作された仏像であると考えられている。結縁文には「高麗国瑞州浮石寺」と記されているため、かつては同寺に安置されていたものと考えられる。 観音寺に安置されるようになった経緯は不明。ただし、鎮護国家である高麗が仏教を保護したのに対し、儒教を国教とした朝鮮王朝(1392年~1910年)は仏教を弾圧するようになり、仏像も没収・破壊が繰り返されていたため、朝鮮人にとって価値が低下した仏像を仏教を信仰する対馬の日本人が交易の中で手に入れたものではないかと日本側は見ている。一方、韓国・東国大学の名誉教授は、1370年頃に倭寇が同像を略奪したとの論文を発表している。
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