銅造菩薩半跏像
主名称: | 銅造菩薩半跏像 |
指定番号: | 120 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1937.05.25(昭和12.05.25) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 奈良 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 奈良時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像(法隆寺献納)
主名称: | 銅造菩薩半跏像(法隆寺献納) |
指定番号: | 3220 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1966.06.11(昭和41.06.11) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像(法隆寺献納)
主名称: | 銅造菩薩半跏像(法隆寺献納) |
指定番号: | 3221 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1966.06.11(昭和41.06.11) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像(法隆寺献納)
主名称: | 銅造菩薩半跏像(法隆寺献納) |
指定番号: | 3222 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1966.06.11(昭和41.06.11) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像(法隆寺献納)
主名称: | 銅造菩薩半跏像(法隆寺献納) |
指定番号: | 3223 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1966.06.11(昭和41.06.11) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像
主名称: | 銅造菩薩半跏像 |
指定番号: | 3364 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1982.06.05(昭和57.06.05) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像
主名称: | 銅造菩薩半跏像 |
指定番号: | 3393 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1986.06.06(昭和61.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 江戸時代に鞘仏として造立された木造如意輪観音半跏像の胎内に納置され、当寺の本尊として祀られていた小金銅仏である。右手の第二・三指を頬にあて、左足を踏み下げる半跏思惟の形をとる。その大きな頭部は前に傾け、やや面長の頬や口元の肉付けに自然な柔らかさが感じられるが、胴のくびれた痩身の躰躯と細く長い腕は簡略な肉取りとしている。大ぶりの宝冠の中央に房飾りをあらわし、冠紐と腰佩を左右に張り出すが、それらの背面にはモデリングが施されず、裳や榻座背面に懸る布の、規則的な意匠を表す襞の構成も古様である。こうした像容の源流は六-七世紀の朝鮮に求められ、わが国では長野・観松院と奈良・神野寺にこの像とよく似た小金銅仏(各重文)が伝存している。ただ、時期的に先行すると考えられる観松院像の両眼が輪郭に沿って鋭く彫り込まれているのに対して、ここでは大阪・野中寺の銅造弥勒菩薩半跏像(重文)をはじめとする七世紀中頃以降の作例に多い上瞼を一段高く盛り上げた優しい伏目となっている。胸や腹部に加わる丸味や右脚部の線条による衣文は、右肘の下におく宝珠の形式とともに神野寺像との相近い関係を示唆するものといえるが、肢躰の構成は神野寺像に比較してのびやかであり、榻座にめぐらす襞も深く、力づよい表現を示す。七世紀後半も早い時期における優品として注目されよう。 像は台座を含めた全容を蝋型によって一鋳としており、頭部はムクであるが、胸以下はこの時期の金銅仏としては比較的薄手のほぼ均一な厚味(〇・四-五センチ)につくり、鋳上りもよい。榻座背面に嵌金で塞いだ方形(縦二・五センチ、横一・六センチ)の型持痕があり、後頭部に光背の〓を鋳出す。表面は火中による焼肌を呈して鍍金の痕をとどめず、左足先を含む像底の一部が欠失している。 |
銅造菩薩半跏像
主名称: | 銅造菩薩半跏像 |
指定番号: | 171 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1937.05.25(昭和12.05.25) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像
主名称: | 銅造菩薩半跏像 |
指定番号: | 1657 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1909.09.21(明治42.09.21) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像(法隆寺献納)
主名称: | 銅造菩薩半跏像(法隆寺献納) |
指定番号: | 3061 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1958.02.08(昭和33.02.08) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | 台座框に丙寅年の刻銘がある |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像(法隆寺献納)
主名称: | 銅造菩薩半跏像(法隆寺献納) |
指定番号: | 3064 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1958.02.08(昭和33.02.08) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像(法隆寺献納)
主名称: | 銅造菩薩半跏像(法隆寺献納) |
指定番号: | 3216 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1966.06.11(昭和41.06.11) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像(法隆寺献納)
主名称: | 銅造菩薩半跏像(法隆寺献納) |
指定番号: | 3217 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1966.06.11(昭和41.06.11) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像(法隆寺献納)
主名称: | 銅造菩薩半跏像(法隆寺献納) |
指定番号: | 3218 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1966.06.11(昭和41.06.11) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像(法隆寺献納)
主名称: | 銅造菩薩半跏像(法隆寺献納) |
指定番号: | 3219 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1966.06.11(昭和41.06.11) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
銅造菩薩半跏像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 09:06 UTC 版)
本尊の弥勒菩薩像。重要文化財指定名称は「銅造菩薩半跏像」となっている。飛鳥時代(6 - 7世紀)に製作された長野県で最古の仏像で、昭和53年に松川村の文化財に指定され、昭和57年(1982年)に国の重要文化財に指定されている。松川村に祀られるようになった経緯も年代もはっきりしていない。 像高(座高)16.4センチメートル、総高(台座含む)30.2センチメートル。榻座(とうざ)と呼ばれる円筒形の台座に腰掛ける形の半跏像(左脚を踏み下げ、右足首を左腿に乗せる)である。頭上の宝冠の上部には三日月形の上の宝珠を表し、その下には房状の飾りがある。かつて火災に遭ったため、像表面は焼け肌になっており、鍍金は一部に痕跡を残すのみで、台座背面にはゆがみや亀裂がみられる。右前膊の半ばから先は木製の後補である。像は台座を含めた全体を一鋳とする。鋳造には中型(なかご)を用いており、銅の厚みは均一になっている。胴を細く絞り、腕を細く表すプロポーション、眉と髭を線刻で表す点、右膝に掛かる衣がS字状に大きく反転する点も特色である。以上のような技法的・造形的特色には朝鮮半島の影響が強くみられ、制作は6ないし7世紀とみられるが、飛鳥時代の日本製とみるか、朝鮮半島からの渡来仏とみるかについては意見が分かれる。
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