銅造釈迦如来及び脇侍像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:27 UTC 版)
「法隆寺の仏像」の記事における「銅造釈迦如来及び脇侍像」の解説
重要文化財。飛鳥時代(628年)。像高は釈迦像16.7センチ、脇侍像13.6センチ。三尊形式で、三尊全体を包み込むように蓮弁形の光背を配する、いわゆる一光三尊像の作例。ただし、右脇侍像(向かって左)は失われている。小像ながら、作風や全体の構成、服制などは止利仏師作の金堂釈迦三尊像と似ている。小像のため、中尊の螺髪は植付けではなく、タガネで格子状の線を刻んで表す。左脇侍像は頭部と両肩部を除いて、背面の造形を省略している。失われた右脇侍像のあったところには、光背に像を取り付けるための枘穴が左右に2つ並んでいる。一方、現存する左脇侍像の背面の枘は、左右に並ぶのではなく、後頭部と体部に1つずつ設けられており、型式が異なっている。このことから、左脇侍像は本来の一具ではないとする説もあるが、一方で釈迦像と左脇侍像の作風が似通っていることから、やはり本来の一具だとする説もある。光背には以下の4行48字の銘文がある。
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