甲府道祖神祭礼の歴史的背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 06:23 UTC 版)
「甲府道祖神祭礼」の記事における「甲府道祖神祭礼の歴史的背景」の解説
近世後期の甲斐国では在方における諸産業の発達により甲府町方では経済的衰退が起こり、また城下はたびたび自然災害や社会不穏の影響を受けた。こうした経済・社会的状況と『永代帳』における支出の年次的増加は相関していることから、甲府道祖神祭礼の歴史的背景には経済・社会的苦境に陥った際の都市において、宗教的な道祖神への信仰が興隆したものと考えられている。 陣幕は本来武家の作法であるが、近世には一般社会においても芝居小屋などで悪霊・邪気を防ぐ効果を期待した陣幕の作法が浸透しており、広重『甲州日記』における幕絵製作に関する記事には陣幕作法とみなせる記述があることも指摘されている。また、広重の『名所江戸百景』は嘉永7年(1855年)の安政の大地震において被害を受けた江戸の復興を祈念した世直しの意図も指摘されており、江戸名所が描写された甲府道祖神幕絵にも甲府城下の都市復興を祈念した意図があると考えられている。 また、甲府道祖神祭礼の運営においては若衆・下層民から家持町人へ主導権が変化しているが、一方で祭礼の執行は都市下層民への雇用確保や富の還流をもたらすため、城下における景気浮揚や社会不穏の解消という機能ももっていた点が指摘され、宗教的意味合いのみならず現実的な景気浮揚の効果も及ぼしていたと考えられている。
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