甲府空襲における警防団の活動
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「甲府空襲」の記事における「甲府空襲における警防団の活動」の解説
太平洋戦争開戦前の1939年(昭和14年)1月には警防団令(勅令第20号)が発令され、全国的に警防団が組織された、警防団は防護団と消防組(消防団)を合併して組織された民間防空単位で、山梨県内では同年4月時点で207団体計45000人、当時の甲府市域では6団計5181人の規模で組織されている。 甲府空襲に関する警防団活動の史料として2010年(平成22年)に発見された甲府市新紺屋地区警防団資料があり、町内会における防空活動に関するものとしては『甲府市史調査報告書3 武井家所蔵 戦時中 町内会関係史料』(甲府市史編纂委員会、1992年)がある。 甲府市新紺屋地区警防団資料は平成22年の調査で発見された。資料が伝来した新紺屋地区は現在の甲府市宮前町にあたり、甲府市街の北部に位置する。甲府空襲における被害も比較的軽微な地域で、警防団に関わる貴重な資料が伝来した。同家には他に明治期から昭和期にかけての資料群が伝来し、明治期の俳諧関係資料なども含まれる。平成22年に全96点が山梨県立博物館に寄贈された。 伝来した資料群のうち警防団関係資料は平成22年調査の時点で7点が確認され、警防団が組織された1938年(昭和13年)から解散の年にあたる1947年(昭和22年)にかけての一連の資料が含まれる。内容は団員名簿や当番日記、出動記録、団務記録など。小畑(2011)では個人名などが伏せられた形で一部の資料が翻刻されている。
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