甲府松菱時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 07:52 UTC 版)
甲府市では山梨県内初となる百貨店として1937年(昭和12年)に松林軒デパートが甲府市中央1丁目の甲府会館で営業を開始していたが、1945年(昭和20年)7月7日の空襲(甲府空襲)により外構を残して全焼し、百貨店としての事業を中止していた。終戦を迎え、甲府会館は山梨日日新聞の印刷所となっていたが、松菱の創業者である谷政二郎の協力のもと1954年(昭和29年)に甲府松菱として百貨店としての営業を再開した。 甲府松菱の営業開始後は、1938年(昭和13年)開業の岡島百貨店と1948年(昭和23年)に業態転換した中込百貨店と3店舗が競い合う状態の中、地元山梨県出身の小佐野賢治が社主だった国際興業は当時経営難に陥っていた山梨交通の買収と同時に甲府市内へ百貨店事業を展開しようとしていた。小佐野は当時の人口が約16万人だった甲府市に4つ目の百貨店を開業するのはオーバーストアになってしまうため既存店舗の買収に乗り出し、3店舗の中で一番規模の小さかった甲府松菱に注目。1961年(昭和36年)に山梨交通とともに譲渡され、国際興業傘下の山梨交通系列に編入された。また甲府会館が手狭で増床も困難であったことから、買収の翌年に廃止された山梨交通電車線の甲府駅前駅跡地を活用しようとバスターミナルを併設した地上6階建の屋上に小規模の遊園地を設置した建物を建設。1963年(昭和38年)に完成し、運営会社を株式会社山交(以下、山交)、百貨店名称を甲府松菱から山交百貨店(以下、山交百貨店)に商号変更のうえ移転開業した。 甲府松菱が撤退した後の甲府会館はパチンコ店などが入居していたが、老朽化により2005年(平成17年)に解体され、跡地はホテル(ドーミーイン甲府)になっている。 「甲府会館」も参照
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