甲府城下町の成立と道祖神祭礼
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甲府は戦国期に甲斐守護武田氏の本拠である城下町として発展し、武田氏の滅亡後も甲府は甲斐統治の政治的拠点として機能した。近世初頭には戦国期の武田城下町南端にあたる一条小山に甲府城が築城され、甲府城下町は南方に遷移し城下町が再形成された。近世甲府城下町は甲州街道が東西に通過するほか諸街道が結集する甲府柳町宿が成立し、年貢米も集積される経済都市としても機能し、江戸中後期には亀屋座などの芝居小屋も出現し町人文化が興隆した。 甲府城下を中心とする国中地方は当初甲府藩が設置され大名支配が行われていたが、享保9年(1724年)には甲斐一国が幕府直轄領となり、甲府城下には甲府勤番が設置され町方支配が行われ、甲府町政は甲府町年寄によって担われていた。 道祖神祭礼は農作物の豊穣を祈念する民間信仰で、甲府町方のみならず甲斐国一円で行われ、今日でも小正月行事として様々なツクリモノが作られる民俗行事が行われている。道祖神祭礼は近世期には全県的に記録が残り、民俗的意義のみならず共同体としての庶民の娯楽であった点や、景気浮揚効果も意図して実行されていた点が注目されている。
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