甲府学問所、旧・徽典館
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「山梨師範学校」の記事における「甲府学問所、旧・徽典館」の解説
1872年 (明治5年) までの年月は旧暦による。 1795年(寛政7年): 甲府城内に甲府学問所設置。江戸幕府により、武家子弟・農工商有志に漢学を教授する目的で開設された。江戸・昌平黌の分校。 1803年(享和3年): 追手門南三町 (現・甲府市丸の内1丁目) に移転。 1805年(文化2年): 大学頭 林衡によって徽典館と命名。『書経』 舜典の 「慎徽五典」 (慎みて五典を徽[よ]くす) が出典。五典とは、(1) 父子の親 (2) 君臣の義 (3) 夫婦の別 (4) 長幼の序 (5) 朋友の信、すなわち人倫 (人の道) のことと解釈されている。 1843年(天保14年): 校舎改築。江戸城紅葉山文庫・昌平黌の一部図書を移収。「重新徽典館碑」 はこのころの作。 1868年(慶応4年)3月: 甲府開城により一時休講。 1868年7月: 再開。
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