顕昭とは? わかりやすく解説

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けんしょう〔ケンセウ〕【顕昭】

読み方:けんしょう

[1130ころ〜1210ころ]平安末・鎌倉初期歌人歌学者。藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)の養子義兄清輔とともに六条家歌学大成。著「袖中抄(しゅうちゅうしょう)」「古今集註」など。


顕昭

読み方けんしょう

平安後期歌人大治5年頃生。姓は藤原、亮公・亮君・亮阿闍梨称する歌学家である六条家中心人物一人幼時比叡山修学し、離山後は仁和寺御室守覚法親王親交して注釈多く著わし、歌合多く出詠した。著書に『今撰集』『古今秘注抄』『拾遺抄注』等がある。歿年未詳

顕昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/26 09:02 UTC 版)

顕昭(けんしょう、1130年大治5年)? - 1209年承元元年)?)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌僧。亮公(すけのきみ)、亮阿闍梨(すけのあじゃり)とも呼ばれる。父母未詳。左京大夫藤原顕輔養子となったため、藤原姓を賜っていた。

来歴

来歴は川上新一郎の年譜に拠る[1]

1130年(大治5年)出生(久曾神昇説)。1141年(永治元年)初めて和歌を詠む(『顕昭陳状』)。1144年(天養元年)7月1日から1146年(久安2年)11月21日にかけて、比叡山で『倶舎論』を書写校合する。1149年(久安5年)山路歌合に出詠し、以後数十回の歌合に出詠する[2]。その間、1183年(寿永2年)『拾遺抄注』『後拾遺抄注』『詞花集注』『散木集注』『後撰集注』『金葉集注』『堀川百首注』が成立、1185年(文治元年)『古今集注』が成立、いずれも守覚法親王に献呈する。1207年(承元元年)後鳥羽院に法橋位を許される。1209年(承元3年)長尾社歌合に出詠したのが確認できる最後の事跡である。

脚注

  1. ^ 川上新一郎「顕昭略年譜」『三田國文』第3号、慶應義塾大学国文学研究室、1985年、39-44頁。 
  2. ^ 萩谷朴『平安朝歌合大成 第10 (史論総説書志篇)』1969年https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1349533 

参考文献

関連項目




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