菊亭家
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菊亭家(きくていけ)は、藤原北家閑院流西園寺家の庶流にあたる公家・華族。公家としての家格は清華家、華族としての家格は侯爵家。近代前には今出川家(いまでがわけ)の家名も併用されたが、明治以降の戸籍制度のもとで菊亭を名字に定めた。家紋は三つ紅葉。
注釈
出典
- ^ a b c d 華族大鑑刊行会 1990, p. 41.
- ^ "今出川晴季". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2022年11月8日閲覧。
- ^ a b 羽倉敬尚『幕末の宮廷』(平凡社、1979年4月)p.255
- ^ 小田部雄次 2006, p. 323.
- ^ "菊亭脩季". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2022年11月8日閲覧。
- ^ 「教」の字は室町幕府第6代将軍足利義教から偏諱を賜ったものである。
- ^ 「晴」の字は室町幕府第12代将軍足利義晴から偏諱を賜ったものである。
- ^ 内大臣・徳大寺公信の子。
- ^ 左大臣・西園寺致季の子。
- ^ 内大臣・西園寺公晃の子。先代・公言の従兄弟にあたる。
- ^ 関白・鷹司輔熙の子。高祖父の鷹司輔平は閑院宮直仁親王の第四王子であり、皇室の男系子孫である。
- ^ 賢子の実子、菊亭実賢の実孫かつ養子
菊亭
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「花嫁のれん (2010年のテレビドラマ)」の記事における「菊亭」の解説
菊(きく) 演 - 南一恵 「かぐらや」と一二を争う老舗旅館「菊亭」の大女将。姓:朝倉(あさくら)。本当は志乃とは気が合うが、40年ほど前に若女将だった頃、百万石まつりに着ていく着物を選んだ際、同じ一点物の反物に惚れこみ取り合いになったため、志乃をライバル視している。楓に「菊亭」を継がせたいと思っているが、志乃の孫である翔太と交際していることを知り、東京の大学への進学を反対していたが、大学の4年間だけの条件付きで上京を認める。女将塾の面接試験時は審査員を務めた。 また、南はこのドラマの方言指導も担当している。 吾郎(ごろう) 演 - 木ノ内頼仁(第1シリーズ) 「菊亭」の料理人。辰夫が倒れた為、応援で「かぐらや」の板場に入る。 楓(かえで) 演 - 指出瑞貴(第2シリーズ) 菊の孫。同じ高校の同級生である翔太と交際している。成績優秀で生徒会役員を務め、華道部に所属している。料理が得意。ファッションの勉強をするために東京の大学への進学を希望する。
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