去来抄とは? わかりやすく解説

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きょらいしょう〔キヨライセウ〕【去来抄】

読み方:きょらいしょう

江戸中期俳論書。3冊(版本)。向井去来著。元禄15年(1702)ごろから宝永元年(1704)にかけて成立安永4年(1775)刊。芭蕉および門人俳論集成したもの。さび・しおり・不易流行など、蕉風俳諧本質触れたものが多い。


去来抄

読み方:キョライショウ(kyoraishou)

江戸時代俳論書。向井去来著。


去来抄

読み方:キョライショウ(kyoraishou)

分野 俳論

年代 江戸中期

作者 向井去来


去来抄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 02:41 UTC 版)

去來抄』(きょらいしょう)とは、向井去來松尾芭蕉からの伝聞、蕉門での論議、俳諧の心構え等をまとめた俳諧論書。 1702年(元禄15年)頃から去來が没した1704年(宝永元年)にかけて成立したとみられる。1775年(安永4年)に板行されて世に流布したが、去來の没後70年以上を経ていたため、本書が真実去來の著したものであるか否かが問題視された[1]。 しかし有力な反証もまた無く、その内容は蕉風を語る上では事毎に引用されてきた[2]。 蕉風の根本問題に触れた批評が多く蕉門の俳諧書として良くまとまり、近世俳諧史上、蕉風俳論の最も重要な文献とされている[3]。 『去來抄』をはじめとする元禄の俳論は現代に比しても優れたところがあり、芭蕉研究者にも、初心に俳諧を学ぶ者にも良い指針となっている[4]


人物

  1. ^ 蓑田卯七(1663-1727):江戸時代前期から中期の蕉門俳人。通称は八平次、別号として十里亭。去来と共に『渡鳥集』を編した
  2. ^ 勝峯晋三(1887-1954):東京の俳人・国文学者。別号に黄燈苑。俳句を父である錦風に学び、後に伊藤松宇にも師事した。東洋大学を卒業し新聞記者として15年を経た後、俳諧研究や著述に専念した
  3. ^ 吉田勝昌(1713-1795):江戸中期の俳人。初号は白芹、別号に絢堂・天地庵などがある。長谷川馬光に師事して3代目其日庵を継承し、葛飾派を築いた。門人には小林一茶がいる
  4. ^ 中村史邦(生没年不詳):元禄期(1688~1704)に活躍した蕉門俳人。中村春庵の名で尾張犬山の寺尾直竜に侍医として仕えた。後に上洛して蕉門に連なり、『猿蓑』には14句を入集した。芭蕉に二見の文台や硯箱などを与えられた
  5. ^ 伊東玄順(1648-1697):江戸時代前期の俳人で庄内藩主の侍医。医号は淵庵。別号に潜庵、潜淵庵がある。俳諧を大淀三千風に師事した。酒田俳壇の中心的人物であり、芭蕉は『おくのほそ道』の旅の途中で不玉宅に宿泊している。編著に『継尾集』『葛の松原』などがある
  6. ^ 加藤周挙(1732-1792):別号として買夜子、他朗、暮雨巷などがある。通称は平兵衛。尾張藩に出仕し、後に致仕して俳諧に専念した。俳諧を武藤巴雀・白尼に師事し、蕉風復興を目指した。多くの門人を養成し、暮雨巷一門を形成した
  7. ^ 松木伝七(1674-1761):江戸時代中期の大坂の蕉門俳人。初号は因角。別号に渭北、勃卒翁などがある。初めは椎本才麿門、江戸に出て立羽不角に師事し、芭蕉の没後は宝井其角についた。京都で名声を博し、のち大坂に移って浪花ぶり半時庵流と称する俳風を広めた

註釈

  1. ^ 1652年(承応元年)より1808年(文化5年)頃まで営業した俳書専門の書肆。住所は京都寺町二条上ル。代々通称として庄兵衛と名乗った。初代庄兵衛重勝は貞徳の門人で、広く貞門諸派の俳書を出版し延宝期には談林俳書も手掛けた。蕉門俳書のほとんどを手掛け、他書肆を圧倒して元禄俳書の版元として権威を確立した。以下、2代重晴・3代重寛・4代寛治・5代荘兵衛まで確認されている
  2. ^ 浅井乕雄の蔵書を基にし、京都大学に寄託されていた久原房之助の「久原文庫」が移転した際「古梓堂文庫」と名付けられた。戦後再び久原の所蔵に帰し、1948年(昭和23年)五島慶太に譲渡されて「大東急記念文庫」に架蔵された
  3. ^ 俳人熊坂紫羊(-1974)による芭蕉・蕉門関係書の蒐集

出典

  1. ^ a b c d e 掘信夫 1986, pp. 510–511.
  2. ^ a b c d e f g h 潁原退蔵 1939, pp. 204–236.
  3. ^ 藤村作 1933, pp. 3–4.
  4. ^ a b c 荻原井泉水 1925, pp. 3–6.
  5. ^ 堀切実 1991, pp. 12–37.
  6. ^ a b c d 南信一 1975, pp. 3–15.
  7. ^ a b 藤沢毅 1997, pp. 30–38.
  8. ^ 藤田徳太郎 1940, pp. 219–231.
  9. ^ 杉浦正一郎 1953, pp. 240–294.
  10. ^ 尾形仂 1982a, pp. 3–30.
  11. ^ a b 尾形仂 1982b, pp. 265–266.
  12. ^ a b c d e f g h i 宮本三郎 1989, pp. 18–27.
  13. ^ a b c d 志田義秀 1932, pp. 466–476.
  14. ^ 復本一郎 1995, pp. 148–170.
  15. ^ 杉浦正一郎 1958, pp. 417–435.
  16. ^ 国指定文化財等データベース 1978, 去來抄稿本.
  17. ^ 復本一郎 1987, pp. 180–197.
  18. ^ 大内初夫 1981, pp. 5–9.
  19. ^ 潁原退蔵 1939, pp. 5–8.


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