荒木田久老とは? わかりやすく解説

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あらきだ‐ひさおゆ【荒木田久老】

読み方:あらきだひさおゆ

[1747〜1804]江戸後期国学者歌人伊勢内宮神官。号、五十園(いつきぞの)。賀茂真淵(かものまぶち)に学び、のち、同門本居宣長対立。著「万葉考槻の落葉」「日本紀歌解」など。


あらきだひさおゆ 【荒木田久老】

老はオイとも。江戸後期国学者歌人度会家に生まれ荒木田氏養子となる。号は五十園。伊勢内宮権禰宜加茂真淵入門、のちに同門宣長学派対立。著『万葉考槻落葉』『日本紀歌之解』他(一七四六一八〇四)。『万葉集鳥獣草木考』などの著者荒木田久守は、その子

荒木田久老


荒木田久老

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/02 14:34 UTC 版)

荒木田 久老(あらきだ ひさおゆ、延享3年11月21日1747年1月1日[1] - 文化元年8月14日1804年9月17日[1])は、江戸時代中期から後期にかけての伊勢神宮祠官国学者[2]。初名は正恭[1]、後に正董[1]と名乗った。通称は弥三郎、主税(ちから)、斎(いつき)など[1]。号を五十槻と称し[1]、家号を五十槻園(いつきのその)と称した。

伊勢国度会郡に生まれる[1]。実父は外宮権禰宜橋村正身(はしむらまさのぶ)で[1]、自身は二男にあたる[1]明和2年(1765年江戸賀茂真淵に師事し[1]国学和歌などを学び、特に『万葉集』を研究した。『万葉考槻之落葉』『祝詞考追考』『日本紀歌之解』『続日本紀歌之解』『竹取翁歌解』などの研究書を著している。1775年(安永4年)内宮権禰宜の荒木田(宇治)久世の養子となり[1]、荒木田久老と名乗る[1]。なお、晩年は伊勢国の県門として本居宣長の学派と対立した。

参考文献

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 岡本勝, 雲英末雄編 『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、233頁。 
  2. ^ 『江戸時代人物控1000』山本博文監修、小学館、2007年、18-19頁。ISBN 978-4-09-626607-6 
  3. ^ 関隆治・編 『國学者著述綜覧』森北書店、1943年、8頁。 



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