あらきだ‐ひさおゆ【荒木田久老】
あらきだひさおゆ 【荒木田久老】
荒木田久老
荒木田久老
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/02 14:34 UTC 版)
荒木田 久老(あらきだ ひさおゆ、延享3年11月21日(1747年1月1日)[1] - 文化元年8月14日(1804年9月17日)[1])は、江戸時代中期から後期にかけての伊勢神宮祠官、国学者[2]。初名は正恭[1]、後に正董[1]と名乗った。通称は弥三郎、主税(ちから)、斎(いつき)など[1]。号を五十槻と称し[1]、家号を五十槻園(いつきのその)と称した。
伊勢国度会郡に生まれる[1]。実父は外宮権禰宜橋村正身(はしむらまさのぶ)で[1]、自身は二男にあたる[1]。明和2年(1765年)江戸で賀茂真淵に師事し[1]、国学や和歌などを学び、特に『万葉集』を研究した。『万葉考槻之落葉』『祝詞考追考』『日本紀歌之解』『続日本紀歌之解』『竹取翁歌解』などの研究書を著している。1775年(安永4年)内宮権禰宜の荒木田(宇治)久世の養子となり[1]、荒木田久老と名乗る[1]。なお、晩年は伊勢国の県門として本居宣長の学派と対立した。
参考文献
- 岡本勝、雲英末雄編『新版 近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、233ページ
- 高津春繁、手塚富雄、西脇順三郎、久松潜一 著、相賀徹夫 編(日本語) 『万有百科大事典 1 文学』(初版)小学館〈日本大百科全書〉 (原著1973-8-10)。
- 中根粛治編『慶長以来諸家著述目録 和学家之部』(1893年、青山堂支店)[3]
関連項目
脚注
荒木田久老と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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