荒木田久守
荒木田久守
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 09:51 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動荒木田 久守(あらきだ ひさもり、安永8年3月1日(1779年4月17日)‐ 嘉永6年5月8日(1853年6月14日))は、江戸時代後期の神職、国学者、歌人である。名は令睦または正任。通称は宇治求馬。号は瓊鈴舎、五十槻園。
経歴・人物
度会姓を名乗り、父の後継として伊勢神宮の権禰宜となった。父の没後は本居春庭に師事し、国学者としても活躍した。門人には橘守部等がいる。また、和歌を学ぶ等歌人としても活躍し『石川集』、『真菅集』に和歌を入集した。
著書に『倭姫命世紀古文解』、『万葉集鳥獣草木考』等がある。
脚注
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 59頁。
出典
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