4系統
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4(→端44):北千住駅 - 千住桜木 - 尾竹橋 - 熊野前 - 田端駅 - 動坂下 - 駒込病院 1951年(昭和26年)3月1日に田端駅 - 熊野前間で開通。滝野川営業所所管。その後は路線の延長を繰り返し、1972年(昭和47年)7月2日付で千住営業所へ移管、同年11月12日に系統番号を端44系統に変更し現在に至る。 詳細は「都営バス千住営業所#端44系統」を参照
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4系統
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「神戸市バス松原営業所」の記事における「4系統」の解説
運行区間 4:神戸駅前 - 新開地 - 兵庫駅前 - 西市民病院前 - 地下鉄長田駅前 - 丸山 - 大日丘住宅前 路線の形態 神戸市中央区のJR神戸駅前から神戸市長田区の大日丘住宅前を結ぶ路線である。昼間時でも1時間あたり4本、加えて派生系統の40系統が毎時1本確保されている。 この路線は、起点から起点に戻ってくるという形態を取っている運行路線である点が特色的である。つまり、終点である大日丘住宅前が終点でなく経由地であり、そのまま神戸駅前まで戻ってくるという半循環路線である。つまり、丸山(丸山観音前)から大日丘住宅前を経由し丸山(丸山観音前)まで戻ってくる区間がある。この循環形態を神戸市交通局では「右回り一方循環」という呼び方をする。ただし、神戸市交通局では大日丘住宅前を「終点」と呼んでいる。 神戸駅前から長田8丁目までの区間は、国道28号線(多聞通)・市道永沢線(柳原線)・市道兵庫線前線(兵庫駅前通)・国道28号線(大開通)・市道長田線(長田本通)の区間は広い道幅の道路である。しかし、それ以降の明泉寺橋以降大日丘住宅前までの区間は道幅9メートルと狭く、急勾配と深いカーブが連続する。「右回り一方循環」としているのはこのように過酷な条件の経路をたどるためで、バス同士の行き違いが危険であることが理由である。加えて大型車で運行しているため、研修車がカーブを曲がりきれず一度後退せねばならないこともある程、高度なテクニックが要求される。特に明泉寺橋から大日寺前の区間では長い区間で大きくS字カーブを描く道路であるために、反対車線にリア部フロント部をはみ出して運行せざるを得ないために、2007年8月まで警備会社に委託して、反対車線を通る車を、明泉寺町1丁目12番地先と明泉寺町2丁目4番地先の地点で任意に停車させていた。 かつての4系統 かつては、駒ヶ林公園から地下鉄長田駅前(五番町七丁目)を経由し大日丘住宅前に至る101系統も併行路線として存在したが、1998年に市道長田箕谷線の供用に伴い廃止された。 また、かつては須磨営業所管轄の車両がこの路線を走ったこともあったが、須磨営業所の車両(例えば、旧都市新バス)須磨営業所廃止や規模変更に伴い松原営業所に転属された例もある。 さらに、かつては市道長田線は長田5丁目から長田8丁目(3系統と同じ位置)に至っていた。それまで、明泉寺橋 - 長田8丁目 - 長田5丁目は、上り線と下り線で異なる道路を利用していた。つまり、上り線(神戸駅前方面行き)は明泉寺橋から宮川町9丁目交差点に入ると交差点を直進し、長田8丁目付近の交差点に至り左折して一方通行の狭い坂を上がり、その後旧市道長田線に至る交差点で右折し旧市道長田線上にある長田8丁目停留所に着車する路線であり、これに対して、下り線(大日丘住宅前方面行き)は長田5丁目を出ると、直進し旧市道長田線上にある長田8丁目停留所を経由し市道房王寺線に至った後に、左折し坂を下った後に宮川町9丁目交差点に至り右折するという路線であった。 しかし、1998年以降に長田箕谷線供用に向けて市道長田線は新たな付け替えを行った。これに伴い、従来の「長田8丁目」停留所は新市道長田箕谷線上に移動した。 正月三が日の運行形態 正月三が日の1月1日から3日までの間は、長田8丁目から地下鉄長田駅前(五番町七丁目)までの間である市道長田線が車両通行止の規制を敷くために、通常に運行する事が出来ない。そのため、この期間は臨時の路線で運行される。この路線は、長田町9丁目地先と名倉町1丁目地先の道路上に「臨時長田8丁目」の停留所を臨時に設け、通常の名倉町・名倉小学校前・房王寺町5丁目・菊水町10丁目・鵯越町・夢野町3丁目・夢野町2丁目・熊野橋・東山町・湊川公園西口の各停留所を経由し、新開地に至る。この場合、新開地停留所は、新開地3丁目3番地先に設けられた通常の位置ではなく、水木通1丁目地先に設けられた乗り場に停車する。また、側面・リア部の方向幕を「臨4」とし、フロントも含めた全ての方向幕で「夢野2回り」と表示される。ただし、近年は神戸駅前~地下鉄長田駅前間は本来のルートを走り、そのあと重池町・房王寺町5丁目・名倉町を経由して本来のルートを走る形態に変更されている。 歴史 1934年にこの路線が開業されるが、第二次世界大戦には運行を休止した時代もあった。 戦後まもなく1945年に、新開地から兵庫駅前・長田・明泉寺橋を経由し丸山に至る5.14キロの路線が開設された。 その後、1955年11月10日にその路線が改変される。つまり新開地から行き先を丸山から現在の西丸山町方面に右折して、現在の大日丘停留所の北東に位置する鶯橋に至る形態に延長した。それに加えて、運転系統を新設し、新開地から丸山から左折して花山町2丁目に至る、5.841キロの「4の1系統」を設け、従来よりも奥に路線を伸ばした。 その10年後の1965年8月8日起点が新開地から神戸駅前に改められた。 翌年1966年10月1日には、「4の1系統」が花山町2丁目から大日丘住宅前まで延伸され、総延長7.625キロの路線とし、新たに「萩乃町」「丸山団地」「大日丘住宅前」停留所を設けた。 1971年5月16日に、従来の「4の1系統」終点の大日丘住宅前から「4系統」(鶯橋発着)の途中停留所であった大日丘に抜ける路線を設け、大日丘 - 鶯橋の路線を廃止した。そのうえで、運行形態を現在と同じ、神戸駅前を起点に丸山から花山町2丁目・大日丘住宅前・大日丘を経由して丸山へ戻り神戸駅前を終着地とする右回り一方循環路線とし、これを新「4系統」とした。狭隘区間を一方循環としたことで、ワンマン化することができた。 (以上の内容は、関連文献「神戸市交通局八十年史」を参考にしたものである。) 震災後の1997年には、「丸山」停留所を「丸山(丸山観音前)」と改称した。 1998年に長田箕谷線の供用に伴い、長田8丁目停留所の位置が改められた。 2005年4月1日には、松原営業所が阪急バスに管理委託されるようになった。 これまで前後扉のツーステップバスのみ充当されており、管理委託後はまれにワンステップバスが充当することもあったが、2010年4月以降はノンステップバスが積極的に充当されるようになり、ワンステップバスは充当されなくなった。
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「横浜市営バス磯子営業所」の記事における「4系統」の解説
磯子駅前 - 磯子車庫前 - 杉田 - 東富岡 - 富岡 - 金沢文庫 - 追浜駅前 - 追浜天神橋(京浜急行電鉄堀内営業所→杉田営業所→追浜営業所→横浜京急バス追浜営業所と共同運行)1947年(昭和22年):東京急行電鉄(湘南電気鉄道→京浜電気鉄道→大東急)平坂営業所所管だった路線を臨時運転契約する形で市営が参入。詳細は「京浜急行バス#営業所の変遷」、「横浜市営バス#戦争と市営バス」、および「東急バス#戦後の復旧」を参照 1949年(昭和24年)2月1日:京浜急行電鉄と相互乗り入れの協定を結んで、横浜駅 - 六浦の運行を開始する。 昭和30年代?:追浜駅前まで延長する。 1959年(昭和34年)4月1日:追浜本町2丁目へ延長する。 1967年(昭和42年)7月31日:横浜駅 - 杉田平和町間の折返し便の運行を開始する。 1971年(昭和46年)3月10日:区間便を110系統として分割し、同時に4系統を磯子駅前 - 追浜本町2丁目間の運行に変更する。 2007年(平成19年)3月31日:この日を以て横浜市営便の運行を終了。横浜京急バス追浜営業所単独所管となる。 2018年(平成30年)4月1日:横浜京急バスの合併解散に伴い、京浜急行バス追浜営業所の担当となる。 詳細は「京浜急行バス追浜営業所#磯子線」を参照
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