来歴・概説
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共に横浜市立小田中学校出身で、2年生の時同じクラスとなりコンビを組んだ。 コンビを組むきっかけとなったのは学校行事のキャンプファイヤー。点火役は代々女子がやっていたがその年は女子が嫌がり、上仲がその役を買って出た。新村はそれを「ひょうきん者だな、やるんだなこの子」と思って聞いていたが、上仲は「新村と二人でやります!」と新村を勝手に指名したという。ちなみにその時のコンビ名は「パラパラガールズ」(点火する火の精の名前)。翌年、文化祭の司会をした時は「アンディインディ」というコンビ名だった。 以前は三木プロダクションに所属。 「ヘテロ」というコンビ名で活動していたが、その後、地元の地名を入れたいという理由で「横浜ヘテロ」と改名。 現在のコンビ名に改名したきっかけは、テレビ番組出演時にスタッフから「横浜へ、テロ」(横浜にテロをする)とも取れるが大丈夫ですか、と言われたことがきっかけ。そのエピソードを事務所の先輩である関根勤に話したところ、「今すぐにコンビ名を変えたほうがいい」と言われ、冗談半分で関根に新コンビ名の命名をお願いしたところ快諾され、一日中考えて出た名前が、「横浜ヨコハマ」と「目黒西口」というものであり、二人は横浜ヨコハマを選んで現在のコンビ名となった。 30歳の時から、横浜市伊勢佐木町で毎週日曜日に路上ライブを行っている。ゆずが同じ伊勢佐木町で路上ライブをやっていたのを思い出して始めたとのことである。 同じく横浜出身の音楽ユニット・コアラモード.や、馬車道発横浜アイドル・ポニカロード、着ぐるみ懐メロ音楽隊・日ノ出サンデーズとは、共にイベントを行うなど親交がある。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/16 03:26 UTC 版)
「TOY (お笑いコンビ)」の記事における「来歴・概説」の解説
二人は東京女子体育大学ダンス部の同級生同士。ダンス部は「高校・大学ダンスフェスティバル神戸」の第23回、第24回連続で、大学創作コンクール部門で2年連続特別賞を受賞。 大学卒業後の2012年4月、二人でワタナベコメディスクールに16期生として入学、2013年3月卒業 後、ワタナベエンターテインメントに所属となってデビュー。 2020年3月31日を以って解散。解散後、跡部は芸名を「ドラゴン龍」に改めてコラージュ作家など前衛アーティスト、コンテンポラリーダンスの活動を続ける。 コンテンポラリー・ダンスの要素を取り入れ、「ミュージカルコント」と言われるアヴァンギャルドなとも言われるコントや創作ダンスを取り入れたネタを持ち、「爪女」、「背が伸びすぎた女」、「黒髪ロング」 などがあった。 お笑いライブの他にも、ダンスの公演にも出演することがあった。
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来歴・概説
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「プーケットマーケット」の記事における「来歴・概説」の解説
2人ともワタナベコメディスクール17期生(2012年10月入学・2013年9月卒業)出身。ワタナベエンターテインメント所属が決まる最終審査において、ひだかは「スライドピットポリスマン」というコンビで所属が決定。いのうちは、最終審査はピン芸人として受けて落選したものの、半年後に「案山子」というコンビで所属が決定。しばらくして両者ともに解散。ワタナベエンターテインメントを離れる。 その後、いのうちとほんだ(旧メンバー)が「アルティメットレジェンド」というコンビを組んでいたが、「ママスパパス」を解散したひだかが「次に組んでくれそうな仲のいい人間が2人しかいなかったから」という理由で加入し、トリオとなった。 その後、オスカープロモーションの事務所ライブに出演するようになったが、2018年3月にほんだが「トリオだと2人に頼ってしまう」という理由で脱退。現在のコンビとなる。 プーケットマーケットの公式サイトでは、いのうちが作成した「逆ボーリング」、「無限テプマス」などのゲームがプレイできるようになっている。 2018年4月よりコミュシルにて「お役所ごはん」を連載中。 月刊公民館の連載を、2018年7月号~2018年9月号まで担当。 2018年9月27日放送のスマートフォンデュの番組内、“始発で帰れる若手芸人限定「10秒ネタゴングショー」”にて賞金を獲得した。 2019年4月いっぱいでオスカープロモーションを退所し、フリーとなるが、7月よりビクターミュージックアーツ預かりとなる。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/07 08:33 UTC 版)
二人とも吉本総合芸能学院(NSC)大阪校26期生出身。2003年結成。2005年6月1日放送の『ゲンセキ』(TBSテレビ、第15回)に出演。その後、ゲンセキ出演芸人の中からこの後番組『10カラット』のレギュラー出演者に選ばれる。2007年に解散。以後、上木は『キューティー上木』としてピン芸人となり、谷本は男女コンビ『ラブリーミント』で活動した後、ピンで活動。 ベイビーは番組で共演したとんねるずの木梨憲武に顔のことをいじられ「笑わそうと思って整形した?」と言われたことがある。 東京都内のピザチェーンでアルバイト生活をしていたことがある。 Dr.上木は河村隆一のモノマネが得意である。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/11 23:11 UTC 版)
「ジェシカ (お笑いコンビ)」の記事における「来歴・概説」の解説
2人ともNSC大阪校26期生出身。2人はNSCで出会い、2004年4月に結成、同月に初舞台を踏む。当初は吉本興業に所属、吉本のライブ『吉本ホルモン女学院』(ジェシカは出席番号7番)などに出演。一時活動を停止していたが、2005年1月に活動を再開。翌2006年1月に吉本興業を退社、翌2月に松竹芸能に移籍。大阪でB1角座などのライブに出演した後、2006年7月に大阪本社から東京支社に所属が変更となり、上京。上京後の初めての仕事は『こたえてちょーだい!』の出演だった。 門脇が石原をリードして活動することが多い。門脇が「しっかり者キャラ」、石原が「アホキャラ」とも言われている。かつては2人とも、黒系の色が多くズボンは丈が膝あたりまでの物で、石原がネクタイを締めているという衣装が定番だった時があった。 喋り主体の漫才やシチュエーションコントなどを演じている。石原の大きめの声やヘラヘラしたような演技が特徴。節約をするため、2人で同居している。 2011年3月13日を以て解散、石原は引退して帰郷、門脇はピン芸人として活動を続けることがブログにて発表された。門脇は松竹芸能を退社して、フリーでピンで活動していたが、2011年10月に雨宮詩織とコンビ「キャラメル」を結成し、キャラメルのメンバーとして活動していた。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 12:35 UTC 版)
2017年5月21日結成。いい塩梅として初出場したM-1グランプリ2017にて準々決勝まで進出。 お笑いライブ「いい○月」(「○」には開催月の数字が入る)を主催していた。 芸風は主に漫才。松村が、いわゆる塩顔男子である久保田に対して竹内涼真や高橋一生と同系統の「流行り顔」であると羨むネタが主力。 メンバー二人の生年月日が1日違いである。 2019年2月1日にTwitterで解散を発表。解散後もそれぞれ芸人を続ける。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 02:32 UTC 版)
2015年に松竹芸能タレントスクールではつをとちばなが出会い、二人ともソフトボール経験者ということで意気投合し、2015年12月15日に結成。スクール卒業後の2016年にプロデビュー。2017年途中まで大阪松竹、その後は東京松竹に所属。 ネタは漫才、コントともに演じている。 ソフトボール経験者として、2020年東京オリンピックに向けてソフトボール日本代表チームを盛り上げようと、代表選手らや競技の魅力などをtwitter、YouTube、会員制交流サイトなどのSNSで発信して応援するという活動もしている。そして競技の普及イベントにも頻繁に登場、2019年8月には2019 JAPAN CUP国際女子ソフトボール大会in高崎(高崎市ソフトボール場)の初戦の日本対チェコ戦で始球式を務め、ボールの被り物姿で臨んだ。その草の根活動として「とにかく球場に足を運ぶこと」を目標とし、レンタカーに乗って、時には車中泊もしながら2人で全国を巡っている。そして自作のソフトボールの球のかぶり物で観戦している。そして2020年4月までにこれに使った費用は200万円を超えたという。そしてそのうち2人の活動が「ソフト大好き芸人」として選手や監督らの目にも止まるようになり、2018年8月に千葉県で行われた世界女子ソフトボール選手権大会に応援に行った際に元日本代表監督の宇津木妙子と話す機会に恵まれた。なお、宇津木との交流はその後も続いているという。 2020年7月31日を以って、5年間所属していた松竹芸能を退所。コンビでの活動はそのまま継続していたが、同年12月いっぱいをもって解散を発表。それぞれ芸人は続ける。2021年1月1日から、はつをは芸名を「はつぞのゾノ」に改名したことを発表。同年、プライム所属となる。 ちばなは2020年10月から教員として勤務、2021年4月に復帰。「ちなちゃん」名義でエフエム那覇番組に出演している。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 16:04 UTC 版)
日本人の母とカメルーン人父を持つハーフ。しかし父と一緒に暮らしたことは無い。また、カメルーンはおろかアフリカ大陸にも行ったことが無く、日本語(名古屋弁)しか話せなかった。 部活は、小学生から高校生まで一貫して美術部。名古屋大谷高等学校を経て、愛知県内の大学を卒業。 「自分のアイデンティティを探すため」として、2004年にアメリカに渡り、ニューヨークの演劇学校「HB Studio」で3年間、歌と演技を学び英語も取得。同校卒業後は、多くの映画、ミュージカル、舞台などに出演。また、シンガーソングライターとしても活動し、2010年に自主制作によるファーストアルバム『My Baby NY』を発表。 母親らに帰国を促され、2012年に帰国。その後はAMEMIYAに影響される形で、AMEMIYAと同じSMAに自分を売り込んで所属することが出来、同年9月にお笑い芸人へ転身。 第1回、第2回歌ネタ王決定戦で準決勝進出。R-1ぐらんぷり2017、準決勝進出 (2013.14.15、3回戦進出)。長州小力によるMCでニコニコ生放送にて放送中の、マシェリバラエティ「小力の小部屋」の勝ち抜きネタバトル、マシェ1グランプリにて5週勝ち抜き、ピン芸人初の4代目マシェ1チャンピオンに輝いた。第4回、第5回お笑いハーベスト大賞本選大会出場。2013年11月に初単独ライブ『天邪鬼〜Amanojyaku〜』を行った。 おはスタスーパーライブに「地図記号の歌」を歌う謎の男として不定期でレギュラー出演していた。2016年4月1日の放送の終盤にて、番組を卒業する山寺宏一を見送る群衆の一人として久々に出演。 視力が良いイメージのあるアフリカ人とのハーフだが、実際の視力は2003年の時点で左右共に0.3しかないことを持ちネタにしている。 区役所に行った時に通訳が出て来たことがある。また身分証明書を出した時に本名と外見のギャップから偽物と思われ拒否されたこともあった。 2017年12月限りで約5年間所属したSMA HEET Project(ソニー・ミュージックアーティスツ)を離れ、2018年1月にサンミュージックプロダクションに移籍。 その後、2020年9月にサンミュージックを退所し、フリーになる。「竹内きらら」名義でエッセイ漫画も描いている。レンタル黒人としても活動している。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 02:54 UTC 版)
玉置は1997年ではバンビ高橋とのコンビ『パレドール中野』で活動、この年の途中でコンビ名を『恋の予感』に改める。玉置自身もこの当時、芸名を『紀州梅干』としていたことがあった。『恋の予感』は、翌1998年に解散。その後はチャンス大城とのコンビ『右心臓800』(2000年結成、2002年解散)、同じ大川興業に所属していたメンバー同士の、プチ鹿島(俺のバカ)、倉元幸二とのトリオ『第三勢力』(2002年結成、2003年解散)で活動。その後『ミヨポン』結成までのしばらくの間『ベスト=ポングー』の名前でピンで活動。 一方、三好は当初は作家として大川興業入りしたが、間もなくして芸人活動を始める。『右心臓800』を解散したばかりのチャンス大城と、コンビ『昭和右心臓』を2002年7月に結成。昭和右心臓は翌2003年に解散。 『第三勢力』『昭和右心臓』のそれぞれのグループが解散したばかりの2人により、2003年に『ミヨポン』結成。 コント、漫才ともに演じ、公式プロフィールにおいては「昭和を思わせる雰囲気」のように評されている。 コントでは主にゴルフを題材にしており、相方玉置がゴルフクラブで打ったマシュマロやたこ焼きを三好が口でキャッチするという大道芸的な技もある。 三好が飼っているセキセイインコ(芸名:金正日大将軍様)も加わり、文字通り『鳥オ(トリオ)』となっている。 『ベルセルク三好』としての芸には、マスクを被ったマゾヒズム的なキャラクターを演じ、「旦那様~! 旦那様~! に捧げるショートコント」などの出だしの台詞があり、乳首を洗濯ばさみなどでつまんでそこからラジコンのヘリコプターやペットボトルロケットをつないで飛ばしたり、吹き矢を自分で吹いて自分の尻に刺させるなどのものがある。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:45 UTC 版)
「きつね (お笑いコンビ)」の記事における「来歴・概説」の解説
2人とも大阪府出身で、小学校1年生からの幼馴染同士。大阪府立堺西高等学校、桃山学院大学と同じ学校に在籍していた。高校では部員を5人集めて、柔道サークルを創設した。2人で初めて立ったステージは高校の文化祭で、お笑いではなくバンドとしての出演だった。なお、バンドで唯一作ったオリジナル曲は「誰よりも目立ちたい」というタイトルの曲だった。2人ともラーメンズのコントを見てラーメンズについて話し合う「ラーメンズ部」というサークルに所属していた。 柔道サークルの部員5人中4人が同じ大学へ進学し、部員が7回生1人しかいなかった演劇部を乗っ取るような形でコントサークルに変えた。19歳でお笑いを始めた当初は5人組のユニットだった(その中には後にシュテンドウジを結成する上田遼馬もいた)。その後、メンバーの1人が留学で脱退。さらに上田がネタ合わせに遅刻したことを理由に脱退させられ、トリオとなる。ユニット名も「100ジャシカ」→「100レノン」→「インベーダーズ」と改名を重ねた。 学園祭でミス・コンテストのMCを担当したことをきっかけにスカウトを受け、大阪の松竹芸能に所属していたがラーメンズへの憧れからトリオで上京して東京に拠点を移す。上京後は改めて養成所「目黒笑売塾」の11期に入り、2014年4月、同塾卒業に伴いホリプロコムへ所属。卒業のタイミングでまた1人が脱退し、現在のコンビとなった。タレントになりたいと思って所属先は敢えてラーメンズと同じ事務所を選ばなかった。バナナマンの影響もあり、吉本興業やワタナベエンターテインメントでは自分たちにチャンスが回って来るかどうかわからないと考えて現在の事務所を選んだという。 地上波テレビ初出演はPON!(日本テレビ)の2015年9月7日放送「お笑い数うちゃPON!」のコーナー。当時披露していたのは柔道ネタだった。 現事務所への所属は2014年だが、松竹芸能にスカウトされ所属したのは大学2年生の頃(2009年)であるため、芸歴はNSCにおいて大阪校31期・東京校14期と同期である。目黒笑売塾での同期にはパンプキンポテトフライなどがいる。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 22:22 UTC 版)
「スーパースター (お笑いコンビ)」の記事における「来歴・概説」の解説
コンビ『首都高ヴィーナス』で活動後、ピン芸人として活動していたドラマチック貞と、コンビ『メロンソーダ』で活動していた黒騎士ハヤシモトの2人により結成。なお、ドラマチック貞は引き続きピン芸人として活動することもある(浅草東洋館『雷ライブ』など)。 NOモーション。、あがいん、ムートン、つーからの5組でのライブ『トドロコ』を定期的に行っていた。トドロコは『ウクイウタ』の2009年7月26日千秋楽公演を以って活動休止となった。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 15:49 UTC 版)
地元で剣道を教えながら4〜5年ほどピン芸人として活動していたそのせんが、日本大学のお笑いサークルに所属していたよしきに声をかける形で結成。両者の特技でもある剣道をメインのネタとして披露していく一方で、剣道とエンターテイメントを融合した新しいコンテンツを作成することを目標に「剣道YouTuber」として活動の場を広げている。 渡辺正行や深沢邦之とともに芸能人剣道チーム「チーム渡辺」を結成して社会人剣道大会に参加している。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 23:47 UTC 版)
結成の前年の2014年に、宇田川のコンビ「シーランド」、鈴木のコンビ「パルパティーン」共に解散。その翌年2015年に「あま福」を結成し、同年3月から活動開始。なお「あま福」は「余り者同士で、福を掴めるように」と言う意味で付けたコンビ名である。 ネタは漫才とコント共に行っていた。漫才のネタには「ヒーローインタビュー」などがある。宇田川が三角形のチーズを象った帽子をかぶってチーズに因んだアメリカンジョークを披露する「チーズボーイ」というキャラを編み出し、このキャラでネタを披露することもある。 2017年9月に解散を発表した。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 20:30 UTC 版)
東京NSC13期生。 ネタは主にコントを行っていた。 元高知さんさんテレビの寺島舞アナウンサーと久松は成城大学の同級生である。 2012年4月26日、向坂の引退に伴いコンビ解散。1年後に久松も引退。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 07:34 UTC 版)
父親が日本人で母親がポーランド人。日本語・ポーランド語・英語・ドイツ語の4カ国語が堪能のクワドリンガルである。 2011年4月、太田プロエンタテイメント学院3期生として入学、2012年3月卒業。 高校を中退したため、高卒認定に合格しその後立教大学現代心理学部卒業(番組の企画で早稲田大学、法政大学も受験し、いずれも合格した)。 IQは146で、メンサの会員でもある。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 09:50 UTC 版)
子供の頃は児童文学やアニメに夢中で、自分で自作のキャラクターを描いたりストーリーを作ったりと、空想の世界に入るのが好きだった。また、繁殖させて飼うほどダンゴムシが好きだった。また子供の頃から、両親と共にお笑い好きで良くライブに通い、特にカンニングのファンで、携帯電話の待ち受け画像もカンニングにしたり、ファンレターも送ったことがあった。プロデビュー以後にカンニング竹山と共演する機会もあり(子供の頃からファンだったことを話したらキレて返されたとのこと)、今は尊敬の思いに変わっているという。 小学生の頃からお笑いライブを観に行っていてお笑い好きだったが、高校生の時まで芸人になろうとは特に思っていなかった。しかし高校3年生の時に大きなライブを観て格好いいと思い、お笑いの道に進むと決心して高校卒業後は東京アナウンス学院に進み、同学院卒業後、マセキ芸能社に所属する。 東京アナウンス学院在学中の2011年5月からコンビ「いちごみるくぷりんあらもーど」で活動。2012年5月で相方が引退により解散、以後はピン芸人として活動。喧嘩別れという形での解散で、「コンビに憧れていたが、一人っ子で協調性が無く、コンビというスタイルには向いていなかった」と明かしている。 子供の頃は「将来はポケモンマスターになりたかった」と言うほどのポケットモンスターファン。こういったことから、『おはスタ』の『おはスタポケモン部』コーナーにレギュラー出演する他『ポケモンゲット☆TV』にも出演。その中で好きなポケモンはデデンネ。 2014年8月より開催されているライブ『ピンフォール!』を主催していた。 2020年4月7日をもってマセキ芸能社を退所し、芸人を辞めることを発表。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 04:24 UTC 版)
共にワタナベコメディスクール23期生(2015年10月入学、2016年9月卒業)出身。養成所の同期として出会い、後にコンビを結成。2016年10月よりプロとして活動を開始。 ネタは主に漫才。ワタリは「レスキュー!」と叫びながら登場するのが主である。主にななえがツッコミ、ワタリがボケというポジションではあるが、ななえがボケ的な振りを見せることもある。2人の普段からの掛け合いが親子喧嘩のようだったということで、これをそのまま漫才に活かしたという。 2020年3月をもってコンビ解散。ともに芸人を続ける。ワタリは引き続きピン芸人として活動し、ななえは吉本興業に復帰してNSC同期の松間雄亮(元イブンカ、ジュゴン)とのコンビ「スロッピ」を結成。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 10:10 UTC 版)
2人ともワタナベコメディスクール17期生(2012年10月入学・2013年9月卒業)出身。ワタナベエンターテインメント所属が決まる最終審査において、まるゆかはピンで、ねもよしは違うコンビで臨んだが2人とも落選。同い年で話が合っていたということもあり、「それならダメだった同士で」ということで結成。最初に付けたコンビ名は「ちまなこ」。しかしライブのアンケートなどでこのコンビ名を否とする意見も多かったということで、「夢見るまなざし」というような意味を後付けして「ユメマナコ」と改名した。 フリーで活動した後、2014年11月に現在のサンミュージックに所属が決まる。 2人はネタ合わせの時やライブの後に喧嘩することはあっても、それ以外は仲が良いとのことで、ライブがある日には朝のアルバイト(バイト先が同じ)から終電の時間までずっと一緒にいる時もあるという。ねもよしはまるゆかのことを「女として見てる」ことがあって、『芸人報道』(日本テレビ)2015年12月29日放送ではねもよしが手紙を読み上げて告白としたが、まるゆかに断られたということがあった。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 02:48 UTC 版)
少女ジャンプーズを2014年7月に解散し、その後ピンで活動していたおおたさゆりと、2015年4月にちむちむちぇりーを解散した⊿あべみなの二人により、2015年5月から『アポロ満天』という仮のユニット名で不定期に活動した後、2016年2月1日から正式に『ジョリー惑星』として活動を開始。おおたがお笑いを「すぐやめそう」と思ったことから、あべみなからアプローチした。同時におおたの芸名は「フラポテおおた」となり、⊿あべみなが以前から所属している松竹芸能東京に移籍。コンビ名のうち「ジョリー」はおおたの体毛の具合から、「惑星」は、あべみなの好きなポルノグラフィティの曲『惑星キミ』から採っている。 2018年にスタートする芸能人女子eスポーツクイーン決定戦「EQリーグ」に2人とも、松竹芸能チーム「Shochiku Sisters」にメンバーとして参加。⊿あべみなはそのキャプテンに就いた。 2019年9月に解散。ジョリー惑星として最後の出演は、2019年10月16日開催の『なんとなくPINKPINK』(東京・錦糸町 シルクロードカフェ)だった。フラポテおおたは引退、⊿あべみなは元トノサマピエロ・クラチ、元コスモスライダー・石田とのトリオ「ストロベリーロマンス」で活動、2020年7月よりK-PRO所属。⊿あべみなは2021年3月14日のライブ『バイバンク』を最後にストロベリーロマンスを脱退、しばらく活動休止の後、活動を再開。なお、K-PROには引き続きピン芸人として在籍している(ストロベリーロマンスは石田とクラチの二人で活動を継続、後に新メンバーとしてクドウミキコが加入)。 これまで、コント、漫才ともに演じていた。コントはネタが出来たら二人で即興コントをやってみて面白かったのものを使い、漫才はお互いにボケネタを羅列していって形にする、という流れでネタ作りをしていたという。ジョリー惑星として初出場となったキングオブコント2016では2回戦まで進出。ネタの題材は「よくいる女」が多く、「勘違い女」(ストーカーを真剣に愛情表現と思い込んで喜ぶ)、「ひがみ女」(女友達の幸せに横槍を入れる)、「潔癖症の女」などのネタがあった。漫才では、⊿あべみなが「~じゃなーい?」などという台詞の時におおたの方に向けて大きく頭と髪を振るアクションを見せていた。また、おおたには「ポテトあ~げ~た~て~!」の台詞などを発する「フライドポテト人間」のネタ・パフォーマンスがあった。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 14:22 UTC 版)
2017年夏休みの思い出作りのためM1グランプリに応募したのがきっかけでコンビを結成。初出場のM1グランプリでは、アマチュア賞を受賞した。 KOEDOお笑いグランプリでの優勝に向けて次男が加入し、現在の3人体制となる。ネタはパパがメインに考え、長男次男と布団の中でネタ合わせをしているという。 埼玉県川越市を中心にイベント出演し、Youtubeで動画を公開している。動画の最後は「さようなら」を意味する秋田県の方言「へば」で締める。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 22:37 UTC 版)
専門学校東京アナウンス学院在学中に結成。同学院卒業。 コントのネタには、腐女子コントや女子高生に扮した二人が、大好きな先輩である葉月先輩の事を妄想するネタ等がある。 おぎやはぎの「ブス」テレビに岡本がレギュラー格で出演しており、「ホンコンさん」と呼ばれている(ほんこんに似ていることから)。
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来歴・概説
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地元・広島県でお笑いの活動を開始。最初は別々のコンビで活動していた。共演の機会もあり、お互いの芸風に惹かれたという形で、2005年5月に二人で東京に上京し、このみを結成。 「お好み焼きの国から来た このみ」を自称し、ライブのあいさつでこのフレーズを使ったことがある。コンビ名も、広島名物のお好み焼きから「このみ」としている。 2006年から芸能人女子フットサルチーム『YOTSUYA CLOVERS』に二人とも、 2008年12月21日まで所属していた。背番号はおぎたが「13」、村田が「14」だった。 漫才、コントともに行い、時々広島弁をネタに織り交ぜていることも特徴である。主なネタに二人で「微妙」なことを並べて喋っていくものなど。 2014年10月頃より、ライブで度々派遣OLの日常をコントにしており、同年11月の事務所ライブ「月笑」に出演。 2016年4月から、拠点を地元・広島に移し、所属は太田プロのままで活動を継続。
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来歴・概説
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高校生の時にお笑い好きが集まるコミュニティサイトで知り合う。石本は「ばぶりんぐ」、前田は「たいぴ~えん」という別々のコンビで2010年ハイスクールマンザイ九州地区に出場した際に初めて会う。その大会で石本のコンビは優勝。その後、石本が前田を誘う形で東京アナウンス学院に進学。前田は現スタンダップコーギーの三森大輔と、石本は元ヤマダイラーの大野アドゥドゥドゥとコンビを結成。後に前田、石本、大野の三人で「3LDK」というトリオを結成。2016年1月12日に解散し、前田と石本でペッパーボーイズを結成する。 2019年7月4日放送の『上田ちゃんネル』にてオーディションに合格。マンスリーゲストとしての出演を果たす。 2019年7月21日放送の『ゴッドタン』の「この若手知ってんのか!? 2019」という企画で、とにかくヤバい芸人として4位にランクイン。 M-1グランプリ2019にて3回戦進出。 2020年12月をもって解散。石本は芸人を継続し、豆乳ちゃんと「ぶーどっぐ」を結成するが2022年5月に解散。前田は芸人を引退するが、LGBTやトランスジェンダーについての発信活動は続けたいとしている。
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来歴・概説
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「サッチ (お笑いコンビ)」の記事における「来歴・概説」の解説
2012年結成。神田の前コンビ「ティーチ」の解散後で、神田から、TOKYO☆笑BIZの同期生で、同様に「ルーキング」を解散していた苅込を誘って組んだ。コンビ名は、神田が好きな漫画『ONE PIECE』のキャラクター「サッチ」(白ひげ海賊団4番隊隊長)から名付けた。 神田の攻撃的なツッコミに対し、苅込は何となくな感じでボケると言ったスタイルの漫才が多い。またどっちがボケかツッコミか関係無く、そのまま二人ともエスカレートしていくというネタの流れもある。苅込には両方の手を自分の顔の頬の下に持って行って手の平を上に向け、顔を動かして「ヘイッ」という一発ギャグがあり、これをネタの所々に頻繁に入れている。 ネタ作成は全て神田が担当。お互いではほとんど仕事の話しかせず、神田はお互いの関係を「不仲」とも話している。
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来歴・概説
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「トリコロール (お笑いトリオ)」の記事における「来歴・概説」の解説
クルクルキューティクルで前田友理香、その後ピン芸人・十文字ゆりかとして活動してきた梨花に、2008年9月にオーディションに合格してホリプロ入りし、お笑い活動はこれが初めてとなる風花、桜花の2人を加えてトリコロールを結成。2008年10月12日の『ホリプロお笑いライブ』の55秒ネタ見せコーナー『マッハ55GO!』でデビューした。トリコロール結成前は、風花と桜花の2人で「エスニックなキャラの『エスニッカーズ』を組もうか」と言う話もあったという。その後、エスニッカーズとしての出演は2009年11月14日の『お笑いプロデュースライブ』(東京・新宿Fu-)で実現した。 衣装は白系のワンピースで、最初は各メンバーのイメージカラーに合わせたヘアバンド、リストバンド、カラータイツというもので、かつらを被っていた。後にヘアバンドに代わって頭に花飾りというスタイルになり、梨花のカラーは白に変わり、かつらは無くなっている。またライブによっては、それぞれのイメージカラー(青、白、赤)の入ったブレザーの制服姿で登場することもある。 最初は「お笑い界のPerfume」を自称していたが、「お笑い界のAKB48」とも自称したことがあった。 2009年11月中には、梨花が舞台『リンダリンダラバーソール』出演により、一部を除いて稽古などのためにトリコロールでの活動を休み、この間は風花、桜花の2人で活動。2人の守護天使という設定のキャラ『アンジェリカ』(語尾に「〜リエル」が付く口癖という設定)や、前述の『エスニッカーズ』(エスニックな服装で、ギターを弾き、駄洒落などのギャグを言う芸風)で出演した。その後、梨花の元に「アンジェリカ」の2人が出て来るという形のコントを3人で演じたこともあった。また、2010年4月の『ホリプロお笑いライブ』の『マッハ55GO!』コーナーでは、風花がこのキャラでピンネタを演じていた。 風花が2009年12月19日に更新したオフィシャルブログの記事『売れない女芸人から見たカッコいい芸人』が、同年12月22日のアメーバニュースで採りあげられた。 レギュラーアシスタントを務めている『PE'Zのサタデーナイトラジオ』の企画で、『恋のトリコロール』という曲で歌手としてもデビュー。 2011年10月31日で解散。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 08:48 UTC 版)
2017年5月結成。元々はベッキーに憧れてタレントを目指していたが、所属のサンミュージックからコンビを組むことを勧められ、本人たち曰く「やってみよかー」という流れでコンビを結成し、お笑い活動を始めたという。 ネタは主に漫才。センターマイクは置かず、二人がそのまま舞台の中央に出て来て話し出すというスタイルをとっている。形式上はももみがボケ、あゆがツッコミであるが、途中から単なるガールズトークになりあゆがほとんどツッコミをしなくなる。そしてネタの終わりには二人とも客席に背中を向けて客と一緒にインスタグラム用の写真を撮って終わるということもしている。また、事前のネタ合わせ中や反省会の時にもインスタグラム用の写真を自撮りしているという。 二人で両手を頭の上に持って行きピースサインをして「まちむすめで~す!」と言う"まちむすめポーズ"が特徴。「芸人としてちゃんとやっていくつもりは無い」と公言している。 2019年3月14日に解散を発表。解散後はそれぞれモデルとして活動している。
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来歴・概説
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「ジャイアントジャイアン」の記事における「来歴・概説」の解説
二人ともワタナベコメディスクール13期生(2010年10月入学、2011年9月卒業)出身。二人ともピン芸人として活動していた時の2013年6月に結成。最初はキングオブコントに出場する目的で組んだコンビだった。ピンの時にそこそこウケていたので、一緒になったら笑いが倍増するだろうと思って結成したが、結成したばかりの頃にネタをやったら、本人たち曰く「笑いが4分の1になって焦った」と言う。最初はフリーで活動していたが、2014年中に浅井企画に所属になる。 漫才はかーしゃの「始まるよ。」の台詞で主に始まる。かーしゃのネガティブさ、こまたつの明るさを活かし、こまたつが喋る間も取らせないようにかーしゃが自分でボケて、「〜だよ!」と言った口調で自分でツッコむというスタイルが主の漫才で、「被害妄想満載自己完結型漫才」とも言われている。また、ネタの中に雑学を盛り込むという流れや“セルフツッコミ”も多い。このネタのスタイルにしたのも、たまたま遊びのような感じで作ったネタがウケたのがきっかけで、これで行くことにしたと言う。また、こまたつがネタを覚えられないということから、かーしゃが自分でボケてツッコもうと思ったということも理由とのこと。 2015年7月2日開催の事務所ライブ『55☆NEXT!!』にて初優勝。 この他実績は、浅井企画事務所ライブにおいて三か月連続優勝。2015年のM-1グランプリでは準々決勝まで進出。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 16:40 UTC 版)
裏庭コミックス解散後、フリーでピン芸人として活動していた白幡いちほと、同じくWASABI解散後はピンで活動していたおおたさゆりにより、「ハネリスピカ」として2012年8月に結成。ハネリスピカとして初のライブ出演は2012年8月15日の『お子様ランチvol.20』(東京都中野区・野方区民ホール)。所属は、それまでおおたが所属していたのと同じくトゥインクル・コーポレーションとなった。なお、前コンビ名・ハネリスピカの意味は、おおたの名前から、ハワイ語で「百」の意味の「ハネリ」、白幡の本名からラテン語で「穂(穂先)」の意味の「スピカ」を合わせたものである。 2013年3月1日を以って、コンビ名をハネリスピカから「少女ジャンプーズ」に改名。この新コンビ名は、同じ事務所の先輩・やついいちろうがMCを務める『エンダン』(NOTTV)において、視聴者の応募から決定した。 これまで、コント、漫才ともに演じている。コントのネタは「親子の会話」「女子高生の会話」「魔法主婦と動物」など。おおたが動物キャラ、変な女子高生のキャラなど変わった役を演じることが多かった。おおたには『フライドポテト人間』のネタ・パフォーマンスがある。 2013年5月25日に、初の単独ライブ『おままごと』(東京・渋谷 シアターD)を行った。2014年7月に解散。白幡はトゥインクル・コーポレーションを離れ、アイドルに転身。おおたは同社に残ってピン芸人となり、「おおたさゆり」または「フライドポテト人間」として活動、また2015年5月からは元「ちむちむちぇりー」のあべみなとコンビ()を組んでの活動も不定期に行い(このコンビの初舞台は同年5月15日のライブ「TEPPEN.219 テッペンハニー」)、2016年2月1日からはこの二人で正式に『ジョリー惑星』というコンビ名となる。同時におおたの芸名は「フラポテおおた」に改名し、あべみなが以前から所属している松竹芸能東京に移籍。なお、コンビ名のうち「惑星」は、あべみなの好きなポルノグラフィティの曲『惑星キミ』から採っている。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 06:09 UTC 版)
2009年頃まで、「ひでよし☆のぶもと」と「hdyshit」というアーティスト表記にて、音楽活動、並びにバンド活動をしていた。 18歳で上京後、池袋のライブハウス「MANHOLE」にて、ブッキングマネージャー業。 主な輩出バンドは、Northern19、RUNNERS-Hi、TOTALFAT等。 当時の仕事で出会った音楽仲間とは今でも深い親交がある仲間も多い。 数々のバンドにて、ベースでサポートメンバーを経験しており、代表バンドにはMARSAS SOUND MACHINEがある。 only yesterdayというバンドでミニアルバムを2枚リリースしている。 27歳で、ライブハウスの仕事を辞め、約2年後に松竹芸能の養成所に入所。 東京松竹華の20期に辺り、同期にはキンタロー。、青年タイアップ金井(元座敷ボウラー)などがいる。 養成所時代に、日本テレビ系列「ものまねグランプリ」内、「B'z軍団」でTV出演。 現、B'z軍団メンバー。 ものまねレパートリーには、B'z、シャ乱Q、河村隆一等、歌マネがメインであるが、キレのあるダンスパフォーマンスを活かし、SMAPの木村拓哉の動きモノマネも取り入れている。 2012年9月には劇団レッド・フェイスプロデュース第39回公演「七慟伽藍」に出演。浅井長政役を演じている。 2015年4月より、本人の出身地である岡山県備前市のびぜん観光大使を務めている。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 04:34 UTC 版)
「スーパーニュウニュウ」の記事における「来歴・概説」の解説
2012年9月3日にユニバーサルボンボンが解散した大将、同年同月末であげものわっしょいが解散したふるやにより同年10月に結成。2人の前のコンビの頃から既にお互い気になる存在でもありインパクトがあるからまた男女コンビを組みたいと思い、ふるやなら顔が良く華もあると思っていた大将と、大将のツッコみ方が良かったから組みたいと思っていたふるやの意見が合うような形で結成となった。2013年6月からマセキ芸能社にユースとして所属。 コンビ名は大将が好きなAV女優・Hitomiが超乳と呼ばれていたことに由来(超乳→スーパーニュウ)し、新しく組みなおす意味で「NEW」を付けた。なお、ふるやが提案したのは「シルバーネックレスギンギン」。 自主ライブ『東部第33部隊』を行っている。
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来歴・概説
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「クマムシ (お笑いコンビ)」の記事における「来歴・概説」の解説
2010年4月、二人ともワタナベコメディスクールに12期生として入学。同年クマムシ結成。最初は二人ともピン芸人志望だったが、ワタナベコメディスクールの講師に勧められてコンビを組んだ。ワタナベコメディスクール在学当時、それぞれの外見が長谷川がいかつく、佐藤がチャラいと言うことで二人ともスクールの中で孤立していたとのことで、コンビ結成の話は佐藤の方から持ち掛けたが、長谷川は最初「うわ、こいつか」と思ったという。そして、結成当初ライブでコントを演じて優勝したこともあった。翌2011年3月同スクール卒業後、同スクールの2次審査を経て、ワタナベエンターテイメント所属が決まる。なお、コンビ名は佐藤が決定し「過酷な環境の中でも生きていけるクマムシのように、厳しい芸能界を生き抜いて行けるように」と言う意味を込めたという。 元々はコント師を目指し、かつては長谷川が「おにぎり丸司」(おにぎりまるつかさ)と言うキャラクターに扮して自作のヴィジュアル系ソングを披露するなどのネタのコントをしていたなどのこともあった。しかし事務所ライブでの評価がいまいちだったことや、予算などの都合でコントは断念し、漫才スタイルに転向した。そして、作家に「とにかく好きなネタをやってみたらいい」などとアドバイスされたことで、長谷川が子供の頃から歌が好きだったこと、佐藤も英文をメロディを付けながら勉強していたほど音楽好きだったことから、歌ネタを始めることとなった。 ネタは「アイドルソング漫才」と称して、「もしも女の子に生まれ変わったら」などのテーマで歌ネタを披露し、その中で様々な温かく感じるものを長谷川が「あったかいんだからぁ〜」と歌い、佐藤がそれに突っ込むというスタイルのものなどがある。なお、このネタについては長谷川は「こぶじまだいこ」を名乗り、この名前については佐藤が長谷川を「コブダイの親分みたいだよ」と表現していることに由来する。このネタが出来たきっかけは、この前にやっていたヴィジュアル系の歌をネタにした漫才の続編を作ろうとしていたところ、アイドルソングにした方が長谷川の見た目とのギャップが生じて面白そうと思ったことだった。最初、本来は魚をモチーフにした歌ネタがメインだったが、それらを繋ぐ「あったかいんだからぁ~」と言うフレーズの方がライブでウケて、事務所ライブの観客投票で3位になるほど良い評価を得た。最初は2人ともこの客の反応が良くわからなかったが、結局このネタを続けていくことになった。なお「あったかいんだからぁ~」と言うネタを思い付いたきっかけは、長谷川が薬局で棚卸しのアルバイト中、コーンスープのパッケージに書いてあった「あったか〜い」と言う文字を見つけたことからという。そして、2014年9月25日放送の『アメトーーク!・ザキヤマ&フジモンがパクリたい-1GP』(テレビ朝日)でこのネタを披露したところ話題となり、直後に着ボイス化が決定、後にこの着ボイスがデイリーランキング1位も獲得した。このネタについては、柏木由紀、松井珠理奈らAKB48グループのメンバーもハマっていたり、BIGBANGがライブで披露したり、SEKAI NO OWARIがこの歌を演奏したり、きゃりーぱみゅぱみゅやSHU-Iのジンソクがインスタグラムでこの歌を公開するなど、お笑い界の枠を超えて音楽界にもファンが広がっているという話題もある。「あったかいんだからぁ~」で売れてからは、長谷川が「あったかい方」、佐藤が「冷たい方」などとも言われているという。 2014年12月には、日本武道館で行われたロックバンド・シドが主催するライブで前座として出演した。 2015年2月4日、「あったかいんだからぁ♪」でユニバーサル・ミュージックよりCDデビュー。第57回日本レコード大賞で特別賞を受賞。2015年度ブレイクタレントランキングでは第6位にランクインした。 2016年以降は全国的な露出は減少し、佐藤の地元である富山県を中心とした北陸地方での活動が増えている。富山県と石川県では複数のレギュラー番組を抱え抜群の知名度を得ており、営業もその地域が特に多い。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 17:19 UTC 版)
2001年、妹・わかなが姉・れいなを誘いコンビを結成。最初のコンビ名は「連戦連笑」。当時は二人ともまだ高校生であった。 実の姉妹でありながら、あまり似てないということを語っており、また『スタイルいいけど不細工』ということも自称していた。2007年3月10日には東京・中野区のStudio twlで初の単独ライブ『血を分けたボケとツッコミ』を行った。 まぁこ、ブルームフラワーとの女性芸人同士のユニット『連戦まぁブル』で活動していたこともある。 (れいな)「私が姉です」、(わかな)「私が妹です」などが、主な最初のあいさつ。 『R-1ぐらんぷり』に、わかな一人で出場したことがある(第5回(2007年)など)他、2010年にはれいな、わかな個々に出場した。 2008年5月24日に東京・渋谷シアターDで行われた第2回単独ライブ「シスターコンプレックス」のエンディングで約1年間の活動休止を発表(この時は2009年9月までと発表)。休止期間中れいなは中国へ語学留学、その間わかなは「妹わかな」(いもうとわかな)の名前で、ピンで活動していた。翌2009年8月8日にわかな一人での単独ライブ『妹・わかな 大長編ライブ「ピン芸人生活、ぱたむ。」』(東京・新宿バイタス)を行い、このライブをピンでの最後の活動となったとしている。この後より、二人での活動を再開した。 2010年6月4日事務所ライブにて解散を発表、れいなは同日をもって芸能活動を引退した。 解散後わかなはピン芸人へ転身し活動を継続していたが、2011年1月14日付の自身のブログにて「持病の悪化及び療養専念のため、芸能活動を無期限休止する」旨を発表し休養。その後2012年4月から「かわむらわかな」の名前でピンで活動を再開したが、健康上の理由から芸能活動引退を決め、2013年3月30日の単独ライブ『かわむらわかな引退ライブ「卒業式」』を以って、活動を終了した。この時点でわかなの持病の病名は明言されていなかったが、2020年4月9日にわかなが死去した際、同期の芸人のまぁこによって脳腫瘍であったことが明かされた。 ネタには、不細工に関する“あるあるネタ”をテーマにしたものや、“ゴージャス姉妹”を演じるもの、五十音ショートコントなどの漫才・コントがあった。わかなのピンネタでは、主に「文学少女」に扮して童話・名作を面白おかしくアレンジして朗読するというものがあった。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 06:31 UTC 版)
「ワンワンニャンニャン」の記事における「来歴・概説」の解説
共に千葉県野田市出身で、保育園、小学校(野田市立南部小学校)、中学校(野田市立南部中学校)が同じ。 またミュージシャン、ナオト・インティライミも小・中学校の同級生で、所属クラブも3人ともサッカー部だった。 2002年に松竹芸能タレントスクール東京校に1期生として入り、コンビ結成。 コンビ名の由来は二人の誕生日である11月1日と2月22日から、11月1日=ワンワン、2月22日=ニャンニャンとなった。また、結成当時には「ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、とんねるずのように『ン』の字が入っているコンビは売れる、という説」があったということから、『ン』の字を4つも盛り込んだということも理由だという。 かつては、林あいと『たまご学級』というユニットでも活動していた。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 09:06 UTC 版)
2009年4月結成。結成年月日は、マセキ芸能社の養成所に入った日としている。コンビ名の由来は石田がプロレスが好きで、プロレスの技名(田口隆祐の得意技「どどん」)から。約1年間フリーで活動した後、2010年から浅井企画に所属。 2010年12月19日、『第2回 仙台お笑いコンテスト』で、仙台ガールズプロレスリング賞を受賞。 2012年4月24日に、単独ライブ『カタカタひら』(しもきた空間リバティ)を開催。また、2013年5月9日には初となるトークライブ『ドドんトークライブ“法話”〜時の流れとは怖いもので、石田が修行の思い出をもう忘れちゃいそうなので、ここいらでいったん話しておきますスペシャル〜※他の話しもするのでご安心下さい。』(しもきたEmuスタジオ)を行った。現在は、奇数月の第二金曜日にトークライブを開催している。 2015年9月9日、『歌ネタ王決定戦2015』で決勝進出。同年9月22日〜23日には、K-PRO耐久LIVE「ドド博2015」を開催し、2日間で17公演を行った。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 14:11 UTC 版)
かつて「ジャンファンカ」というコンビ名で活動。このコンビ名の由来は「きゅうりの漬物」を意味する中国語から。 2008年に入ってから、現在のコンビ名に改名。 ネタは主に漫才。 いわゆる黒服としても働いていることもあり、『草野☆キッド』出演時には『現役黒服芸人』と紹介された。
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来歴・概説
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「ボーイフレンド (お笑いコンビ)」の記事における「来歴・概説」の解説
小学校からの幼馴染コンビ。しかし、正反対の性格から4年生頃までは互いを嫌っており、宮川は黒沼をイジめている側の生徒だった。高学年の頃、もう1人仲の良かった男子と共に「ウィッキーズ」というトリオを組んでいた。 2001年4月、コンビ「年中無休」を結成。当初はキーストンプロで活動(当時、他にはハマカーンやランチランチなども所属していた)。 2006年12月末にキーストンプロが解散した後、3ヶ月のブランクを経て2007年4月にNSC東京校へ13期生として入学。この頃にコンビ名を現在の「ボーイフレンド」に改名し、卒業後はよしもとクリエイティブ・エージェンシー(現:吉本興業東京本社)所属となる。NSCの同期にはアモーレ橋本・田畑藤本・少年感覚・ダイス・TEAM BANANA・ピスタチオなどがいるが、「年中無休」時代を含めると彼らより先輩である(ダイスは自身のコンビ「天然軍」時代を含めると、ボーイフレンドよりも先輩となる)。 2012年、THE MANZAIの認定漫才師50組に選ばれる。2014年にはオンバト+第4回チャンピオン大会に進出し、M-1グランプリでは2010年・2015年・2020年に準々決勝へと進出した。 2018年、ジェラードンと共に「大宮セブンV」に二代目メンバーとして加入。大宮セブンの今後の大躍進を願い「M-1グランプリ2020で準決勝まで行かないと降格」と発破をかけたものの、2020年8月31日開催の1回戦で敗退となってしまう。その後、同年9月13日によしもと幕張イオンモール劇場にて行われたプロデューサーX緊急招集企画『大宮セブンボーイフレンド問題について話し合う 〜大宮セブンジュニア降格へ赤信号点滅〜』にて、下部組織「大宮セブンジュニア」に降格する事となった(もう一組の「大宮セブンジュニア」メンバーであったピンタンパンは、昇格という形での加入となっている)。なお、その後M-1グランプリの再エントリー制度を利用し1回戦を突破し、最終的に準々決勝まで進出した。 2021年3月をもって大宮セブンジュニアは解散となり、その後はヨシモト∞ホールのムゲンダイユースメンバーに転籍。 2021年12月6日、双方のTwitterアカウントにて解散する事を発表。同年12月17日開催のライブ「ボーイフレンドLIVE12月 ~気になる寄席~」(ヨシモト∞ドーム ステージI)がボーイフレンドとして最後のライブとなった。黒沼は事務所に残り、芸人活動を継続し、宮川は芸人を引退した。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 22:29 UTC 版)
松村は出身が大阪であることもあり、面白い人間が一番になれるという環境で育ったため、お笑い芸人は天職だと思っていたが、それを仕事にする勇気がなかった。一方細田はM-1グランプリでお笑いに目覚め、大学でサークルに入る。真空ジェシカやストレッチーズがプロ入りを決める中、自然とプロを目指していたという。 各々が別のコンビを組んでいたが、以前よりライブで一緒になることがあったため、ふたりは知り合いであった。新しくコンビを組むことを提案した細田の「M-1で決勝に行きたい」という思いの強さに心を打たれた松村がそれに応じた。お互いに元のコンビを解散しておよそ4日後にコンビを結成。マセキ芸能社のオーディションライブ「オリーブゴールド」を経て、2019年中にはマセキ所属を決める。 M-1グランプリ2019では3回戦、2020では準々決勝まで進出した。2020年に、K-PROとaudiobook.jpが主催した「お笑いスター発掘ラジオバトル」で優勝。特典としてK-PROでの主催ライブ開催、audiobook.jpでの冠番組獲得の権利を得た。その後、実際に冠番組「ひつじねいりの荒走り教習所」をスタートさせている。 コンビ名は、二人とも名前に「祥」の字が入っており、「羊」の字に「礻」(しめすへん(ねへん))が「入って」いるという意味から「ひつじねいり」とした。
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「ツインクル (お笑いコンビ)」の記事における「来歴・概説」の解説
1999年にコンビを結成。 代表するものに、警察官に扮してのコントがあり、アメリカンジョークを発しながらホットドッグやケチャップなどを模したパーティーグッズを使ったネタを披露している。 2009年の大晦日に富士急ハイランドのカウントダウンイベントで行われたお笑い大会「Q-1グランプリ」にて参加総数108組の中で優勝。2010年の富士急ハイランドイメージキャラクターになり、富士急ハイランドのラジオCMやイベントに出演。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 20:24 UTC 版)
二人とも大正大学で同じクラスのコメディ研究会出身。川口は大学卒業後一度吉本に入るが、後に野村から誘われるような形で2005年4月にコンビ結成。同年の夏に、だいなおのライブを見に来ていた松竹芸能東京支社長の難波規精に声を掛けられ、松竹入りが決まる。 2007年9月26日には初の単独ライブ『だいとなおでだいなおです!』を、東京・新宿のシアターモリエールで行った。 旅芸人を自称しており、ペルーアマゾン河の源流、最低気温記録地ロシアオイミャコン村、北極などテレビ取材で僻地へ行ったこともあった。2010年10月からはJAグループのキャンペーン「JAゴー号」全国キャラバンで、一年間かけて全国のJAを回りながら動画を配信した。 2014年12月6日に解散。川口はサンミュージックプロダクションに移籍し、元ばろんの吉間洋平とともに「ペンギンズ」を結成。
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来歴・概説
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2002年に結成、活動を開始。WAHAHA本舗の舞台を観て感銘を受け各々WAHAHA本舗に所属したというグループ。現在のメンバーはトニー、正源。グループ名は、『トーキング・ヘッズ』と、短編コメディ映画『三バカ大将』の2つを合わせて、当初は3バカヘッズだった。 アメリカ・ニューヨークのマンハッタンにあるオフ・ブロードウェイにて、ブルーマンのショーを観たことがきっかけで自分たちもブルーマンのような芸の方向性を目指すようになり、そこから全身タイツ芸などのパフォーマンスアートを始めるようになる。 2007年7月に、3バカヘッズから3ガガヘッズに改名。 2009年より「勝手にワールドツアー」と題して海外ライブツアーを開始。現在までにアメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアの計33ヵ国での公演を行っている。
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来歴・概説
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「こゝろ (お笑いコンビ)」の記事における「来歴・概説」の解説
二人とも元ヤンキーで、山出谷は中学対抗のケンカ大会に参加したり、荒木もチームを組むなどして、「全て卒業式で刺繍の入った学ランを着るため」にケンカに明け暮れていたという。なお、ケンカは中学生限りで卒業した。 二人は共に高校卒業後に東京に出て来て働き始め、共に大阪出身の共通の知人から紹介されて東京で出会い、その日のうちに意気投合。大阪に帰れなかった2014年の正月に2人で飲みに行った時に、山出谷が芸人になるのが夢だったことを打ち明けたところ、荒木も同じ考えだったということで、それならコンビをやろうということになって2014年4月にワタナベコメディスクールに20期生として入学。同スクール卒業後の2015年4月1日にプロデビュー。 ネタ作りは山出谷が担当。ネタは荒木の、山出谷の顔色をうかがいながらの太鼓持ち的なボケや行動や言動に山出谷がイラついて脅したりするようなツッコミをするという内容が主で、それでも「仲良しで、ジャイアンとスネ夫みたいな関係の漫才」で、実生活でもこのような関係と話していたことがある。なお、ワタナベコメディスクール入学後半年ほどはコントをしていたが伸び悩み、同期の芸人らから「学生時代の話が一番面白いのに、なぜそれを活かしたネタをしないのか」と言われ、そこから漫才に転向すると同スクールのライブで優勝できるようになったという。 なお、コンビ名の英語表記は「COCOLO」で、公式プロフィールの写真で着ているTシャツの表記も「COCOLO」である。これはアパレルブランドCOCOLO Brandに起因している。
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来歴・概説
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「TEAM BANANA」の記事における「来歴・概説」の解説
桐生市立商業高等学校の同級生だった2人が2005年にコンビを結成。最初はM-1甲子園出場が目的の結成で、高校2年の時に藤本から誘った。 2005年のM-1甲子園では地区予選を通過できなかったが、2006年のM-1甲子園で優勝する。 高校卒業後、2人そろって東京NSCに入学。M-1甲子園の審査員だったオール巨人(オール阪神・巨人)の総評での発言から、当時特待生制度が無かったNSCにおいて学費無料で入学できた。そのため正式なプロデビューはNSC卒業後の2008年となる。 ネタは主に山田の様々なボケに藤本がツッコむスタイルのしゃべくり漫才。「ガールズトーク漫才」「女性版のあるあるネタ」と言われている。最初は正統派漫才をやっていたが堅苦しくなり過ぎたということから、2015年頃から日常でむかついたことについて悪口で言い合うというスタイルの漫才を始めた。 コンビ仲はとても良い。 ヒルナンデス!(日本テレビ)では前説を務めている。 女芸人No.1決定戦 THE Wでは2017年から2019年まで3年連続で準決勝へ進出し、2020年・2021年と2年連続で決勝へ進出した。 新道竜巳は「女版ニューヨーク」と称している。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 07:49 UTC 版)
2人は小学校の同級生同士で、当時から仲が良かった。お笑いを始めたのは別々ではっしーは天然ピエロ、ともは虹色ポッケとして活動。この2組はたまたま同時期に解散、2人が再会したのがきっかけで結成に至った。 ともは「中学生時代めっちゃモテた」他、虹色ポッケ時代にテレビ和歌山『@あっと!テレわか』でレギュラーを持つなど「不幸は全くない」として自分を幸せキャラとする一方、はっしーは上記のこともあって自分を不幸キャラとしている。 2018年1月、同じ事務所の先輩である永野が名付けたコンビ名である『デスチャ』への改名が発表されたが、同年内には元のコンビ名に戻っている。 2人ともキャバクラ嬢を兼業しており、勤務地はともが東京都町田市、はっしーが江戸川区小岩。キャバ嬢としての収入は出勤日数が多い分、はっしーの方が断然上だという。 ネタはリズムネタが多い。かつては違った感じのリズムネタをやっていたが、その後「~したーい!」「いっちゃうよ、シング・ア・ソング」で始めて、七五調の多いフレーズネタを「それいいやん! それいいやん!」などの台詞で繋げていくリズムネタを頻繁に演じていた。持ちネタには「Help me」「Big Dream」などがある。現役キャバ嬢から見た目という特性を生かし、ネタには男女の本音やそのディープな裏側を描くものもある。ゴッドタンでネタを見た劇団ひとりからは「お笑いごっこじゃねぇんだからよ!」と酷評され、彼女たちのネタをコピーする企画では「年齢の問題じゃねえ、プライドの問題だ」と拒否されている。 2020年1月31日を以って解散を発表。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 06:42 UTC 版)
ワタナベコメディスクール16期生(2012年4月入学、2013年3月卒業)出身。同スクール在学中の2012年6月に扇谷(やほし)と川口(ぐっち)の2人で「ロールキャンキャン」結成。なお、ロールキャンキャンは元々ぐっちのピン芸人としての芸名で、これをそのままコンビ名とした。ロールキャンキャンは2013年4月、ワタナベエンターテインメント所属が決まる。同期生のさくらリエとのとコンビ「さくらアンタツ」を2013年5月末で解散 したラティーンが同年7月にロールキャンキャンに加入する形でトリオとなり、トリオ名をぷらんくしょんとする。プランクトンを可愛くした感じにしてこのトリオ名を名付けた。引き続きワタナベエンターテインメントに所属していたが、2014年4月に所属を離れてフリーとなる。 フリー時代からマセキ芸能社のライブに出演を続けた後、2016年7月に同社にマセキユースとしての所属が決まる。 2019年4月16日にラティーンが脱退、引退。一旦解散という形となり、やほしとぐっちでコンビ「ぷらんくしょん」として再始動する。そのため、ラティーン加入前の「ロールキャンキャン」と同じ形態に戻ることになった。なお、コンビとなってからはマセキ所属を外れてフリー扱いとなっている。 2019年7月半ば頃から、やほしの声の絶不調、ぐっちの一身上の都合などの事情もあって、同年8月から実質ネタを演じる活動を休止している(賞レースには、2019年の女芸人No.1決定戦 THE Wには出場。同年のM-1グランプリには不参加)。2019年8月からは、2人で『コノ星の輝きをミロ!』の名義でYoutubeチャンネルを開始。ここでは、やほしは『星乃』、ぐっちは『ミロ』を名乗って出演している。2020年1月からは、やほしがバニーガールの格好で料理をする『やほキッチン』のYoutubeチャンネルも開始。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 22:34 UTC 版)
「ラムズ (お笑いコンビ)」の記事における「来歴・概説」の解説
2013年結成。NSC(東京校)18期生(2012年入学)出身。 コンビ名の由来は、石田の飼っていた犬の名前の『ラム』から。しかしそれだと「自分の要素が無い」と風間が注文を付けたことから「ズ」を付けてラムズとした。ちなみにその犬の名前のラムはうる星やつらのラムに由来しているという。 2017年9月より、馬鹿よ貴方はの新道竜巳率いる「新道竜巳軍団」の一員としても活動。 2019年8月30日、初単独ライブ『うるせい奴ら~とびきり長い近況報告~』(東京・新宿バティオス)を開催した。 2021年10月21日、解散を発表。最後の舞台は発表前日の10月20日に出場したM-1グランプリ2回戦(東京・雷5656会館ときわホール)だった。 ネタは漫才、コントともに行う。漫才の時にはネタに入る前に「みんな~、笑ってくれなきゃ嫌だっちゃ」という台詞を発するのが定番である。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 01:04 UTC 版)
2人は筑波大学附属中学校・高等学校での同級生同士。中学生時代、文化祭で漫才をやるために星野が相方を募集、それにただ1人申し込んで来たのが一平だった。コンビ名は「『ん』が2つ付く」「視認性向上のために2種以上の文字種を使う」「受容されやすいP音を採用する」という条件のもとに一平が命名した。没となったコンビ名に「あんぱん粘土」があった。中学・高校の文化祭で漫才を披露する活動をしており、同じ中高の同級生だった現・XXCLUBの大島育宙と3人で漫才をやっていたこともあった。高校時代の2008年、第1回キングオブコントにエントリーし、1回戦初日のトップバッターとなった。 その後、2人とも一緒に早稲田大学商学部に進学。大学生時代は2人とも落語研究会と「早稲田大学お笑い工房LUDO」に所属、13期。LUDOでは星野は13期の会計係、一平は同期の副幹事長を務めた。全国の大学お笑いサークルによる団体戦「NOROSHI 2015 presented by 大学芸会」にてまんぷくユナイテッドとともに出場し優勝を果たす。LUDOの先輩にはハナコ・岡部大、後輩にはにゃんこスターのアンゴラ村長やカニササレアヤコがいた。同時期の他大学お笑いサークルにはナイチンゲールダンスやさすらいラビー、水溜りボンドなどがおり、学生芸人でコンビをシャッフルする企画にて星野と水溜りボンド・カンタが即席コンビを組んだことがある。大学卒業後は一度解散、一平はリクルートに就職、星野はプロになりたい気持ちがあったが、公認会計士の資格取得に必須な実務要件を満たすため一旦就職した。 転機は2015年、一平はこの年に復活したM-1グランプリを見て「お笑いやらないと人生ダメだ」と再び情熱を感じて思い直し、再び、一度は諦めたお笑いの道へ。星野を誘うことになった。ちょうどこの時、星野もプロへの道を模索しており、他の人と組もうとしていたが、一平からの誘いを受けて一平と組むことに考え直して再結成に至り、2016年4月、ワタナベコメディスクールに24期生として入学した。同スクール卒業後の2017年4月1日にワタナベエンターテインメント正所属となりプロデビュー。 2018年10月21日に本選が行われた第5回NHK新人お笑い大賞で優勝。ここでは1本目に「アイドルファン」、2本目に「データボクシング」のコントを披露した。この時のネタは、LUDO時代に原案を作ったものだったという。
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来歴・概説
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「フタリシズカ (お笑いコンビ)」の記事における「来歴・概説」の解説
2人ともワタナベコメディスクール23期(2015年10月入学、2016年9月卒業)出身。2016年11月結成。ワタナベコメディスクール時代に当時ピンで活動していた横井のダンスネタに加賀谷が爆笑したことで気に入り、加賀谷から誘って結成に至った。しかし結成の話を切り出す時に加賀谷は関係無い話ばかりしていたために、結局、先に周りからその話を聞いて知っていた横井から先に本題を切り出したという。 横井は加賀谷のことを異性として好きであると公言する。「全くビジネスではなく、ガチンコ」ということで最初はあまり好きではなかったが、コンビを続けていくには相方を好きにならないといけないと考えて好きになる努力をしていくうちに本当に好きになったという。結成して1年ほど経ったある時、突然横井から加賀谷に愛を告白したがこれをドッキリだと思った加賀谷は丁寧にお断りしていた。このようなことから、横井は自分たちを「片思い男女コンビ」だとしている。横井は「好きな人と一緒に居られるし、お笑いと恋愛が同時に出来るなんてラッキー」と話し、本格的に付き合うことになったら「彼氏の前でおバカな姿は見せられないので、解散する」とも話している。 また、自分たちを「踊る体育会系男女コンビ」とも称している。 2018年、第39回ABCお笑いグランプリで決勝進出。結果はファーストステージ(Bブロック)敗退。2020年、第41回ABCお笑いグランプリで二度目の決勝進出、本選の結果は第3位であったが、AbemaTVの視聴者投票で決められた「ABEMA賞」にて優勝。AbemaTVの冠特番の出演権を獲得した。 2021年1月1日(2020年12月31日深夜)放送の『ぐるナイおもしろ荘 お笑い第7世代NEXTスター発掘スペシャル』に出演を決め、準優勝。 ネタは主にコント、音ネタ。M-1グランプリに出場して漫才を演じたこともある。横井が全力で演じるダンスや、特技であるボイスパーカッションを大きな武器としてネタ中に取り入れている。
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来歴・概説
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ワタナベコメディスクール17期生(2012年10月入学、2013年9月卒業)出身。同スクール在学中の2012年12月1日に結成。最初ピンでやっていた杵渕の一生懸命な態度に、女性コンビを組みたくて相方を探していた山田が惚れ込み、結成を持ち掛けた。 ネタは「乙女コント」と言われ、女子学生に扮して女子学生の恋話や友達などに対する嫉妬、勘違いした気持ち、女子の気持ちを表現したネタのコントが多い。ネタ作りを請け負っているのは杵渕で、それを山田に見せた上で完成する。杵渕曰く実体験を還元しながらネタを作っているという。これについて山田は「ネタの編集長的なポジション」と話している。杵渕が元々吉本新喜劇などの鉄板ネタが好きであることから、体を張った動きの多いネタも多い。ネタは全てノートに手書きで、これは「ネタや発想は、書く方が出てくる」からという。また大量にネタを書いているため、杵渕の手にはペンだこが出来ているとのこと。そして過去の書いたネタが良かったりすることもあるので、過去を振り返られるよう常にノートを3冊は持ち歩いている。 2017年『女芸人No.1決定戦 THE W』にて決勝進出を果たすが、結果はファーストステージではなしょーの敗退となった。この決勝大会生放送の副音声で松本人志(ダウンタウン)と高須光聖から「動きにキレがある」「番組で使いやすい」と好評価を受けた。2019年にも2回目の決勝進出を果たし、準優勝となる。 2018年、お笑いハーベスト大賞本選会(2018年7月28日開催)出場。 2人ともニッチェがコント師として憧れの存在。2017年「女芸人No.1決定戦 THE W」では、ファーストステージでそのニッチェと対戦した。 「にょきにょき、ぱっ」(のち、「んーぱっ」に簡略化)というオリジナルのポーズがある。 2020年2月17日に決勝戦が行われた『ワタナベお笑いNo.1決定戦2020』で優勝。全出場115組の頂点に立ち、はなしょーにとってこれが初タイトルとなった。 2022年4月6日に解散を発表。2人ともそれぞれピン芸人として芸人活動は続行する。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 02:23 UTC 版)
ワタナベエンターテイメントカレッジで同期生だった和泉、浜名の二人が同校の卒業公演で出会ってすぐに意気投合、ある人に二人の喋りが面白いと言われたことがきっかけで、浜名の方からお笑いをやろうと誘って、2011年9月1日にコンビを組む が、お笑い芸人としての活動を本格的に始めたのは翌2012年5月からである。最初、コンビ名は二人の名前を合わせて『きょうのランチ』。この当時は「きょうのランチはたまランチ、あヨイショッ」が決め台詞だったショートコント等を主に行っていた。最初和泉は女優、浜名はタレントを目指していたが、演技レッスンなどでのやりとりを見ていた周りの人に芸人転身を勧められ、お笑い界を目指すようになった。 その後、いくつかの事務所のオーディションを受けたりライブに出演していった末、ケイダッシュステージのライブで1位を獲得したことから所属が決まり、2013年にケイダッシュステージに移籍。結成2周年となった同年9月1日に『ハルカラ』に改名。理由は「パソコン検索だと食べ物屋さんばかり出て来た」からとのことで、現コンビ名は二人の好物が春巻きとから揚げであることと、改名当時、和泉が黄色、浜名がピンクという春をイメージした色の服がステージ衣装だったこと、「春から心機一転のつもり」という意味を込めたものだと言う。このことから「春巻きが好き。から揚げが好き。ハルカラです!」と言う定番の挨拶がある。その後、この挨拶に「胃薬パウダーさらさら〜」という台詞が追加された(2016年9月22日開催のライブ「ハルカラララ♪ラフトーク vol.6」にて決定) が、後にこの追加分の台詞の挨拶はされなくなっている。また、和泉が顔の横に右手で「○」、浜名が同じく顔の横に左手で三本指を出す『ハルカラポーズ』と言うものがあり、これは二人とも食べることが好きなことから「○」はスプーン、三本指はフォークを表している。、そして、自分たちのファンのことを「アゲマキ」と呼んでいる。 かつてはTAIGAの「お前誰だよ!」のネタの時に、123☆45と共にバックダンサー兼コント要員としての『TAIGAロックンロールオールスターズ』として出演することもあり、ヲタルのネタの時に同じ123☆45と『SGC』(Sexy Gogo Crew(セクシーゴーゴークルー)の略)として出演することもあった。 『ヒルナンデス!』(日本テレビ)では、同じ事務所の先輩・オードリーがレギュラー出演している水曜日で、前説を務めている。また、『メレンゲの気持ち』(日本テレビ)の前説も務めている。その他、アイドルライブ『PIKE PANIC PARTY』のMCも定期的に行っている。 2014年8月1日、初単独ライブ『夏カラー!!』開催。 2020年2月下旬から和泉が産休に入る(予定より早い産休入りとなった)。産休の間は浜名が一人で活動。2020年7月22日の『マチコミ』(テレビ埼玉)の生放送から和泉が仕事復帰。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 01:39 UTC 版)
スクールJCA24期生(2015年入学)出身。結成日は5月18日。伊藤は男女コンビ志望、玉は“誰とでもいい”でJCA時代に相方探しをするも断られ続けて誰とも組むことが出来ず、それを見かねた人に言われて「しょうがなく」(伊藤談)結成。そしてもう一人余っていた女性を誘ってトリオでスタートした。しかし結成2か月ほどでその女性メンバーが脱退。結成したばかりの頃は伊藤と玉は直接話をすることがあまり無く、その女性メンバーが“仲介役”となってお互いの話すことを伝えていたという状態だったが、その仲介役がいなくなり、二人きりになって何を喋っていいか分からない状態でこの時解散の話が持ち上がったが、伊藤が「私は玉とまだまだやってみたい」と話したことでコンビは継続、現在に至る。JCA卒業後の2016年にプロデビュー。コンビ名は、二人で初めて食事に行った店がターリー屋だったことに因む。ターリー屋が「自分たちの原点」だと話している。舞台衣装は黄色が基調であるのが特徴。 以前はアイドル、女優のイベントにもガヤ枠で定期的に出演していた。 2018年10月、神奈川県警相模原警察署より防犯応援大使に任命される。 千葉テレビ『白黒アンジャッシュ』内の大会『白黒-1グランプリ』では、2017年、2018年、2019年、2020年と4年続けて決勝戦進出。2020年、『白黒-1』で決勝出場4回目にして優勝を果たす。 キングオブコントでは2020年に自己最高となる準々決勝進出。 女芸人No.1決定戦 THE Wでは2019に準決勝まで進出。2020年は準決勝で敗退となったが、スパイクの新型コロナウイルス感染による欠場に伴って繰り上がりで決勝進出を果たした。しかし、1stステージでは紅しょうがに満場一致で敗退した。玉によると、このことを決勝戦1週間前に知らされたということで、自分たちは落ちたと思っていたことから「てんやわんやだった」という。そして、全国ネットのテレビ番組でネタを演じたのはこれが初めてだった。 2020年1月から、オフィシャルYouTubeチャンネルを開始。 2021年12月29日~2022年1月10日(優勝発表生放送特番)放送のNHKラジオ第1放送の特別番組『音だけで笑わせろ! 耳-1グランプリ』で、リスナー投票で1位を獲得し優勝。そしてこの大会の優勝者への副賞としての優勝記念特番『ターリーターキーラジオ』が2022年3月23日にNHK-FM放送にて放送。 2022年6月19日、初単独ライブ『ターメリック』を開催。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/10/05 13:07 UTC 版)
2012年4月よりお笑いライブEmuson's出演。2012年6月よりお笑いライブEmuson'sレギュラー出演。また、同時期にホリプロコムのネタ見せに行き、2012年8月よりホリプロコムのライブ「ホリプロお笑いライブ夏祭りSP〜真夏の20万円争奪選手権!〜」出演。その後継続的に出演中。 ネタは主にコント。ひきこもりの生徒(高橋)と説得に来た教師(タケイ)の設定、黒ヤギと白ヤギに扮した設定、漫才師のコント、など。シュールだが白熱した演技を見せ、高い演技力で評判が高い[要出典]。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 06:14 UTC 版)
2018年2月にコンビ結成。それぞれが相方を探していたところ、共通の知人からの勧めがきっかけでコンビを組む。この時わくわくあやは、自分でオリジナルバンドをやって有名になりたいと色々考えていた後、コミックバンドがやりたいと考えていた頃だった。 2019年1月から浅井企画に所属。 芸風:コント、漫才。設定が変で特殊的なネタも多く、ネタのタイトルには『マジックミラー号』『おっぱいをもぎ取るおじさん』など下ネタありで変態的なコントもある。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/24 01:31 UTC 版)
確実性は少ないが、当たれば飛ぶと言われるパンチ力が魅力。 2006年にワールドベースボールクラシック中国代表に選出された。2005年までは江蘇ホープスターズに所属していた。
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来歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 04:27 UTC 版)
小学校時代からの同級生同士で結成 同事務所のブーブートレインとのユニット「助走」としても活動。 結成当初はブーブートレインの織田もメンバーだった。
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