三木武夫とは?

みきたけお -たけを 【三木武夫】 ○

1907~1988政治家徳島県生まれ逓信運輸・通産・外務各省大臣などを歴任1974年昭和49首相となりロッキード事件究明をはかるが,76年退陣

三木武夫

三木武夫
総理在職期間
昭49.12. 9~昭51.12.24747
総理就任時年齢:67歳

三木武夫

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三木 武夫(みき たけお、1907年明治40年)3月17日 - 1988年昭和63年)11月14日)は、徳島県出身の日本政治家である。




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注釈

  1. ^ 三木の生家について、素封家であるとしたもの(竹中、2003 p.427)も散見されるが、明治大学三木武夫研究会による三木の故郷での現地調査を踏まえた鈴木(2011)pp.98-99は、素封家説を明確に否定している。
  2. ^ 鈴木(2011)p.103によれば、三木が退学処分を受けることになったバザーの不正疑惑に端を発する騒動については、当時の徳島毎日新聞と徳島日日新報とも報道しておらず、新聞記事からは事件の内容について確認できない。
  3. ^ 私立中外商業学校時代、三木は私立中外商業学校理事長の結城豊太郎の知遇を得たとの文献も見られるが、鈴木(2011)p.105によれば、当時結城は安田財閥の安田保善社に勤めていたが、安田家管理の保善商工教育財団が中外商業学校の経営に乗り出したのは三木の卒業後である1926年(大正15年)9月以降であり、中外商業学校時代に結城豊太郎と知り合った可能性は低いとし、三木本人が述べたという「私は結城先生が係わっておられた学校の卒業生(第二期生)です」。との発言が自然であるとする。
  4. ^ 鈴木(2011)pp.115-116によれば、三木がヨーロッパを単身で訪問したのか、長尾と一緒であったのかについて資料によって異なることを紹介した上で、途中まで長尾と同行していたとの文献もあるが、ヨーロッパはほぼ三木が一人で回ったとする。
  5. ^ 三木武夫事務所(1987)の年表では、神田の床屋としている。
  6. ^ 竹内(2012a)pp.80-81では、前回選挙時の選挙違反問題などを抱えた高島陣営の弱体化が目立っており、これが三木当選の要因のひとつとなったと分析している。
  7. ^ 三木(2011)pp.8-9によれば、結婚直後の夏に、徳島の三木の両親のところへ夫婦揃って挨拶には行っている。
  8. ^ 竹中(2003)p.449では、三木の翼協非推薦理由は反軍的な言動や反時局的な活動をしていたからではなさそうと分析している。
  9. ^ 竹内(2012b)p.11では、まだ政治家として駆け出しであった三木が、頭山満から直接推薦を受けることが出来たとは考えにくく、頭山と同郷の福岡県出身であり、三木とは日米同志会を通じて親交があった金子堅太郎を通じて推薦を依頼したのではないかと推測している。
  10. ^ 竹中(2003)p.459では、三木が同郷の内務省警保局長に頼み込み、選挙取り締まりを推薦候補並みにしてもらったとの記録もあることを指摘しているが、当時の警保局長は徳島ではなく愛媛の出身であり、真偽が定かでないとする。
  11. ^ 三木武夫研究会編、三木武夫略年譜(2011)p.373によれば、三木の父久吉は1941年(昭和16年)1月24日に没しており、実家は母タカノ一人であった。
  12. ^ 三木の協同民主党加入は、塩崎(1989)p.85は6月15日とし、竹中(1998)p.178は5月25日のこととする。いずれにしても5月24日の協同民主党成立後の入党である。
  13. ^ 竹中(1994)p.160では、翼賛選挙時には逆にアメリカ留学経験のある三木はアメリカのスパイであると中傷されたとのエピソードも、脚注で紹介している。
  14. ^ 三木(1989)pp.122-127によれば、三木も造船疑獄時に収賄の嫌疑がかけられたという。
  15. ^ 派閥の領袖として自民党の実力者の一人でありながら、派閥解消、政治資金の透明化を趣旨とした自民党の近代化を訴え続けることは矛盾した行動であるが、竹内(2016a)p.32では、これは理想を抱きながらも現実世界への対処をおこたらない三木の政治スタイルの特徴の一つであるとしている。
  16. ^ 一七会(1991)pp.370-373では、三木答申後、派閥は政策集団の看板を掲げざるを得なくなり、総裁選立候補は何名かの推薦人による推薦が必要となり、党に人事局や国民運動本部が設置されるなど、一定の改善が見られたとする。
  17. ^ 竹内(2011a)p.229、p.254によれば、海部俊樹は佐藤から三木に対し、禅譲をほのめかされていたことを知らなかったとのことで、三木はこの話をごく一部の側近のみにしか伝えていなかったとする。
  18. ^ 一七会(1991)pp.153-154、村松(2011)p.350によれば、三木と周との会談メモは家族に見せることも無く、常に身の回りに置いていたという。
  19. ^ 一七会(1991)p.166、北岡(1995)p.142では、中曽根の田中支持決定の背景には巨額の資金が流れたとの説があることを紹介している。
  20. ^ 一七会(1991)pp.334-335、国正、田中(1997)p.175のように、椎名の三木指名の背後には佐藤栄作の働きかけがあったとする資料もある。
  21. ^ 大河原(2006)pp.279-280によれば、ジスカールデスタン大統領はフランス、イギリス、西ドイツ、アメリカの4カ国でのサミット開催を考えていたが、アメリカの要請で日本が加わったとしている。
  22. ^ 田中(1982)pp.392-393は、三木はもっと早い7月初旬の段階で田中逮捕の予定について把握していたとする。
  23. ^ 御厨(2010)p.121によれば、後に小泉純一郎郵政解散時に、この三木の反対派閣僚罷免による解散検討を、先例として徹底的に調べたとする。
  24. ^ 田中(1996)pp.235-236では、三木の政治改革と並んで大平政権、中曽根政権での消費税問題、鈴木内閣、中曽根内閣の行財政改革などを挙げている。
  25. ^ 海部俊樹は、海部(2011)pp.386-389で、海部君を「くわいふくん」、国会の開会を「こっくわいのくわいくわい」と発音する三木の徳島訛りがなければ、もっと三木の演説は国民に浸透したのではないかと語っている。

出典

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