自民党総裁候補として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:48 UTC 版)
1960年代半ば、新聞社は佐藤派、池田派などは一派閥を複数の記者で担当することもあったが、三木派担当は他派との掛け持ちであるのが通例であった。三木はこのような新聞社の対応は三木派に対する軽視であると機嫌が悪かったという。実際この当時、新聞記者たちの中では、各派閥領袖の中で三木だけは首相になれないだろうと予想しあっていた。三木は新聞記者たちの予想を覆して首相に登り詰めることになるが、それまでに総裁選に3回挑戦し、いずれも敗北していた。
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