自民党議員として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:34 UTC 版)
郵政造反組復党問題においては、無所属議員の復党を強く支持したが、落選していた衛藤晟一の復党・参院選出馬が持ち上がった際は参院選の責任者の立場から「百害あって一利なし」などと発言している。衛藤の復党に反対した理由として、舛添は「公明党との選挙協力に支障が出るため」と述べている。 自身は憲法改正に前向きな姿勢を示しているが、自民党改憲案の取り纏めでは民主党や国民に受け入れられにくいことを重視し、保守色を薄めるべく調整にあたった。また、元首相中曽根康弘が中心となって作成した自民党憲法草案の原案から、「日本の国柄」を明記した箇所を当時の自民党総裁小泉純一郎の了承を得て削除させたと主張している。
※この「自民党議員として」の解説は、「舛添要一」の解説の一部です。
「自民党議員として」を含む「舛添要一」の記事については、「舛添要一」の概要を参照ください。
- 自民党議員としてのページへのリンク