自民党道連婦人部長とは? わかりやすく解説

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自民党道連婦人部長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:34 UTC 版)

中川イセ」の記事における「自民党道連婦人部長」の解説

1961年昭和36年)、自由民主党北海道支部連合会(自民党道連)の婦人部長指名された。本来なら、婦人部長北海道議会議員またはその夫人前提であり、当時小樽市札幌市1人ずつその候補がいたが、それぞれ推すグループ同士衝突して決着がつかずにいた。そこで当時北海道幹事長である岩本政一仲裁入って市議会から選ぶことになり、自民党系の市議中川含め北海道内に3人いたが、中川以外の2人早々に辞退したことで、中川白羽の矢立ったのである。なお中川が自民党入った理由は特になかったと見られており、中川本人も「いつの間にか」と語っている。 尋常小学校しか出ていない中川は「自分の名前さえ満足に書けないので務まらない」と一度断ったが、岩本政一度胸気に入り「字が書けないなら秘書をつける」といって婦人部長任せた。これにより中川1973年昭和48年)までの12年間、常に秘書つきで婦人部長務めた1971年昭和46年)の北海道議会議員選で同党幹事長武部勤立候補する際、道連入党難色を示す中、中川入党助力をした。また同年堂垣内尚弘北海道知事選出馬の応援依頼された際は、網走出身である香千枝夫人「香」取って「かおり会」を結成し北海道を2巡して会員募ることで女性支持者5万人にまで増やし当選大きく貢献した山形県出身代議士応援演説駆けつけた際は、2000収容可能な演説会場が超満員になり、入りきれなかった1000人以上の聴衆会場の外まであふれるほどの人気ぶりであった在任中の内閣総理大臣である池田勇人佐藤栄作田中角栄らとも親交深めた中でも特に、奉公しながら苦学した身である田中は、似た境遇中川を気にかけ、可愛がったという。

※この「自民党道連婦人部長」の解説は、「中川イセ」の解説の一部です。
「自民党道連婦人部長」を含む「中川イセ」の記事については、「中川イセ」の概要を参照ください。

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