自民党離党、新党さきがけを結成とは? わかりやすく解説

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自民党離党、新党さきがけを結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 06:32 UTC 版)

田中秀征」の記事における「自民党離党、新党さきがけを結成」の解説

1992年文藝春秋1992年6月号)で新党樹立宣言をした細川護熙週刊東洋経済1992年9月12日号)で対談し意気投合対談後に細川希望パレスホテルでじっくり話をし、師事する宮澤喜一内閣終わったら行動を共にする約束する1993年4月武村正義新党結成決断二人鳩山由紀夫最初に誘い、そこから離党する仲間は計10人なった。6月18日宮澤改造内閣不信任決議案採決では反対票を投じたものの、同日、他の9人の仲間とともに自民党を離党武村正義宮澤内閣不信任案賛成迫ったが、首班指名宮澤の名を書いたのだから自分にも責任がある、宮澤のごく近く政治活動をしてきた自分が、野党出した不信任案同調するなんてもっての外と、宮澤内閣不信任案反対して離党した挨拶行った際に、宮澤から「筋を通したんだね。立派だよ。」と激励された。 同年6月21日新党さきがけ結党武村正義代表の下で党代表代行就任党名を「新党・さきがけ」としたのは、隣に座っていた井出正一前に置いてあった井出後援会機関誌の名称が「先駆け」なのを見てさきがけにしようと言い出した井出周囲離党についてなかなか納得せず悩んでおり、言葉響きがいいのと、井出機関誌の名を党名にすれば井出プラスになるのではと思ったからだという。 さきがけ政治理念田中原案をつくり、結成議員全員討議して決めたという。①「日本国憲法尊重」②「侵略戦争反省政治的軍事大国路線目指さない平和へ貢献」③「地球環境への貢献」④「わが国文化と伝統拠り所である皇室尊重全体主義抑止健全な議会政治確立」⑤「新し時代臨んで自立責任時代精神捉え社会的な公正が貫かれ質実国家」を政治理念として草案する。田中はこの五項目の政治理念所属していた宏池会政治姿勢念頭に置き、保守本流バトン引き継いでいくという意識強く持ちながら起草したという。 田中は、冷戦終わったこと、保守本流神通力だった財政金融政策いままでどおりの効果を持たなくなったことから、自民党時代的役割終わったではないかという危機感持っていた。また、やみくも経済成長至上主義疑問抱いていたこと、地球環境問題1990年代初めから人類史課題になっていたことを念頭に執筆皇室尊重全体主義進出許さないは、日本人として常識的な路線であり、自分たちが保守勢力であるという強い自覚に基づくものが背景にあった。 「質実国家」は、昭和元年12月28日昭和天皇践祚後朝見式ノ勅語にある一節「それ浮華斥け質実を尚び・・・」が由来である。田中秀征は、これは昭和こういう時代にしたいという昭和天皇の夢であり、浮華退けて虚飾排してという意味と捉え、「背伸びせず内容本位自然体」と説明していた。 新党さきがけ結党時、日本新党との合流考えており、細川護熙武村正義三人会った時に、「われわれが一緒に党をつくる時、細川さんが代表、武村さんは幹事長」と二人の前で念押しした。この事実歴史残しておきたいと言っている。

※この「自民党離党、新党さきがけを結成」の解説は、「田中秀征」の解説の一部です。
「自民党離党、新党さきがけを結成」を含む「田中秀征」の記事については、「田中秀征」の概要を参照ください。

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