自民党離党~新生党結成~新進党結党~改革クラブ代表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 02:24 UTC 版)
「小沢辰男」の記事における「自民党離党~新生党結成~新進党結党~改革クラブ代表」の解説
1993年6月18日宮沢改造内閣不信任案の採決で造反し欠席、6月22日自民党を離党し、6月23日(前年竹下派を集団離脱した)改革フォーラム21羽田孜及び小沢一郎の新生党結成参加し顧問就任。嘘つき解散伴う第40回衆議院議員総選挙でも再選。 翌1994年自社さ連立政権・村山内閣発足で初の野党生活、12月10日には新進党結党大会に参加し両院議員総会会長就任、翌々1996年10月20日第41回衆議院議員総選挙では結果的に自身最後の出馬で比例単独候補として再選、その後1997年5月29日保保連合構想に伴って設立の日本会議国会議員懇談会発起人務め新進党分党後は改革クラブを結成し砂防会館に本部事務局構え、党代表を務めた。改革クラブは、旧公明党系の新党平和と院内会派「平和・改革」を結成し、小沢自身が党首となって、同年7月の首班指名の一回目の投票では衆参で同党所属国会議員の支持を集め翌1999年国旗国歌法案の採決では改革ク一丸となって成立に尽力した。なお当初総理総裁経験者で新進党初代党首の67歳誕生日前後の海部俊樹を想定していたものの、海部が改革クへの参加を拒否したため、長老議員で海部と1960年衆院初当選同期の小沢辰男がまとめ役を期待されて就任した。結党当時81歳であったが、これは日本国憲法になって以降では国会議員を擁する新党の党首として最高齢記録である(大日本帝国憲法時代では1945年に結党された日本進歩党で町田忠治が82歳で総裁就任の例がある)。
※この「自民党離党~新生党結成~新進党結党~改革クラブ代表」の解説は、「小沢辰男」の解説の一部です。
「自民党離党~新生党結成~新進党結党~改革クラブ代表」を含む「小沢辰男」の記事については、「小沢辰男」の概要を参照ください。
- 自民党離党~新生党結成~新進党結党~改革クラブ代表のページへのリンク