自民党離党と復党、政界引退とは? わかりやすく解説

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自民党離党と復党、政界引退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:10 UTC 版)

海部俊樹」の記事における「自民党離党と復党、政界引退」の解説

1994年6月29日自民党総裁河野洋平が、党の政権復帰のため日本社会党新党さきがけ自社さ連立政権構想合意し首班指名社会党村山富市投票することを決めると、これを拒否して自民党を離党した。同じく造反した津島雄二説得により、旧連立与党である新生党日本新党から首班指名統一候補として担がれるも、自民党からの造反期待されたほどは起こらず決選投票敗れることになる。 同年7月18日公職選挙法235違反による裁判参議院議員新間正次有罪判決確定新間当選無効に伴う再選挙野党9党派労働官僚都築譲擁立し7月27日海部都築総合選対本部長就任した対す自民党国連職員水野時朗に出馬要請し、党県連会長村田敬次郎海部絶縁する宣言行った海部番頭格だった服部光孝県議も「25年間の縁を切る」と強い口調述べ自民党との溝は一層深まったまた、7月27日海部自由改革連合結成して代表に就任している。 同年12月10日新進党結党して初代党首就任。同じ旧愛知3区江崎鐵磨新進党結成参加した同年11月21日政治改革四法における小選挙区具体的な区割り法案国会で可決海部江崎鉄磨一宮市を含む愛知10区公認主張して譲らなかったが、1995年3月17日新進党本部調整海部愛知9区江崎愛知10区決まり、両現職戦争回避された。 新進党分党後は1年1ヶ月無所属暮らし院内会派無所属の会」)を経て自民党との連立政権加わった自由党入党2000年の同党分裂の際には、自民連継続派の保守党所属する保守新党改組して臨んだ2003年第43回衆議院議員総選挙では、民主党新人岡本充功比例復活許したが、小選挙区勝利連続当選記録伸ばし選挙直後吸収合併される形で自民党復党した。復党後は古巣河本派後継である高村派には戻らず二階俊博一緒に復党した旧保守新党議員らと二階グループ結成した自民党復党の折には自民党幹事長安倍晋三から復党を「諸手をあげて歓迎しますと言われ離党した際に撤去され海部肖像画も再び掲額された。 2009年第45回衆議院議員総選挙にて、小選挙区民主党岡本に8票以上の大差つけられ惨敗し、党の73歳定年制もあって重複立候補できなかったため、比例復活もできず落選した同日政界引退表明海部総理大臣在任中の成果強調し選挙挑んだが、海部首相時代知らない若い世代有権者増えたことも落選一因とされる首相経験者落選したのは、1963年第30回衆議院議員総選挙石橋湛山片山哲以来46年振り自民党総裁経験者としては石橋以来2人目である。解散時点で海部連続当選回数16回、勤続年数48年9ヶ月衆議院議員として現職トップだった。このとき当選していれば、尾崎行雄師匠である三木などに続いて衆議院議員在職五十年に到達するところであった

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