自民党野党転落、谷垣総裁時代とは? わかりやすく解説

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自民党野党転落、谷垣総裁時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 15:10 UTC 版)

宏池会 (谷垣派)」の記事における「自民党野党転落、谷垣総裁時代」の解説

2009年自民党野党転落した第45回衆院選では宏池会所属衆議院議員25人と半減させたものの、第1派閥清和政策研究会、第2派閥平成研究会それぞれ1/3に議席数を減らしたため、衆議院では第1派閥となった麻生総裁退任受けた9月2009年総裁選では、谷垣禎一勝利自派含めて幅広く支持集めて圧勝だったものの、小野寺五典が自ら立候補模索した上で河野太郎支持回ったほか、菅義偉派閥退会し河野積極的に支持するなど、総裁選派閥単位動きよりは世代対立様相呈した宏池会総裁派閥となるのは、前回野党転落時の河野洋平以来14年ぶりで、党中央へ権限集中もたらす小選挙区制定着したものの、国政選挙での相次ぐ退潮議員の数も減った状況で、総裁派閥としてのメリット生かせるかは微妙な情勢となっていた。 自由民主党総裁だった谷垣再選目指し2012年総裁選への立候補意欲を示す中、谷垣出身派閥領袖である古賀誠が「若い人バトンタッチするべき」として、谷垣出馬反対意向示した谷垣に近い古賀派議員反発する中、古賀参議院議員から初めてとなる立候補目指し林芳正支援乗り出した最終的に谷垣は、当時執行部一員幹事長石原伸晃立候補することを受け、執行部として候補を一本化するために立候補断念追い込まれた。こうした状況派閥内部では対立激化古賀会長職を辞任した古賀会長辞任に伴い宏池会派閥会長岸田文雄禅譲し、派閥座長林芳正就任し古賀名誉会長就任した。これを受け、マスメディアでは岸田派呼ばれるうになる。この過程で、古賀谷垣への再選不支持などに反発した谷垣に近い逢沢一郎川崎二郎などの約10人の旧谷垣派出身議員退会届を提出したまた、党の慣例従い総裁任期中派閥を離脱していた谷垣総裁退任後も宏池会への復帰見送り宏池会退会した逢沢らが谷垣により発起された勉強会参加するなど、事実上分裂状態となった

※この「自民党野党転落、谷垣総裁時代」の解説は、「宏池会 (谷垣派)」の解説の一部です。
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