所属衆議院議員
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柿澤弘治 羽田内閣の外務大臣。所属政党は多岐にわたるため省略。衆院議員を一度辞職し1999年東京都知事選挙に出馬した。当時柿澤が所属していた自民党は明石康を推したが、柿澤はその方針に従わずに出馬を強行したため、自民党を除名された(この選挙では明石康、柿澤の他、国際政治学者の舛添要一、衆院議員を辞職し民主党を離党した鳩山邦夫らが出馬し候補者が乱立したが、結局は元自民党衆院議員の石原慎太郎が当選した)。2000年第42回衆議院議員総選挙に完全無所属で出馬して当選した後、無所属の会に入党した。2003年第43回衆議院議員総選挙では無所属の会公認で再選に臨むも、落選。そのまま政界を引退した。2009年死去。 粟屋敏信 羽田・岡田克也らとともに自民→新生→新進→太陽党・民政党を結党。太陽党政調会長。2003年の総選挙には出馬せず、政界を引退。 中田宏 日本新党→新進党。衆議院内では民主党と統一会派を組んだ(民主党・無所属クラブ)。しかし、2001年の首班指名選挙で自民党の小泉純一郎に投票したため、菅直人(当時民主党幹事長)により会派から除名される。2002年、横浜市長に転出。市長就任後も無所属の会解党まで同党所属を続けていた。 土屋品子 1996年完全無所属で当選。無所属は父・土屋義彦からの厳命である。義彦は当時埼玉県知事で、自民・新進・民主・公明から支持を得て知事職二期目に再選されたばかりだった。無所属の会には結党より参加。2001年9月26日までに無所属の会を離党し、同日自民党に入党。のち外務大臣政務官等を務める。 三村申吾 無所属の会田名部匡省参院議員の支援のもとで、無所属の会公認候補として、2000年当選。衆院議員となる。衆議院内では民主党と統一会派を組んだ(民主党・無所属クラブ)。しかし、2001年の首班指名選挙で小泉純一郎に投票、会派から除名される。2003年青森県知事に転出(このときまでに自民党系となっていた)。 近藤基彦 2000年第42回衆議院議員総選挙で完全無所属として当選、保守系無所属衆院議員たちの院内会派「21世紀クラブ」(当時山本幸三代表、9人)に入るも、同年12月、代表の山本を含む5人が自民党に集団入党。しかし近藤・金子・宇田川の三名は自民党入党を拒まれ、2000年12月27日付で無所属の会入党(ちなみに、同会派で無所属のままとなった最後の1人は森田健作衆院議員であった)。しかし2001年12月までに無所属の会を離党し、自民党に新たに入党。農林水産副大臣などを務める。 金子恭之 2000年第42回衆議院議員総選挙で完全無所属として当選、会派「21世紀クラブ」への参加から上記の事情により2000年12月27日付で無所属の会入党。2001年11月28日までに無所属の会を離党し、自民党に新たに入党。国土交通副大臣などを務める。 宇田川芳雄 2000年第42回衆議院議員総選挙で完全無所属として当選、会派「21世紀クラブ」への参加から上記の事情により無所属の会入党。2003年第43回衆議院議員総選挙に無所属の会公認として再選に臨むも落選(同一選挙区に同党ベテランの島村宜伸がいて、彼が当選を続けていたからだと思われる)。そのまま政界引退。次男聡史が政治活動を継いでいる(都議。当選後に自民に正式入党)。 山口壮 2000年第42回衆議院議員総選挙で完全無所属として当選、のち無所属の会入党。衆議院内では民主党と統一会派を組んだ(民主党・無所属クラブ)。2003年第43回衆議院議員総選挙に無所属の会公認として再選に臨むも落選。2005年に民主党入りし、総選挙に臨み小選挙区で敗退するも比例復活当選。民主党「次の内閣」外務大臣に就任。2015年に自民党に入党。 笹木竜三 新進党分裂後、新進党の残党から離れて、無所属の会を結党。しかし結党から3か月後、2000年4月の首相指名選挙で、地元とはいえなんと森喜朗の首相指名を支持する。バーターとして、次期総選挙での自民公認が確約されそうになるも、実際(2000年11月、第42回総選挙)の選挙では公認をもらえず、無所属で立ち落選。衆院議員の職を失う。2003年選挙でも非自民非民主の完全無所属として出馬し敗退。2005年に民主党入りし、総選挙に臨み小選挙区で敗退するも比例復活当選。民主党次の内閣初代防衛大臣等を歴任。
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