四大公害病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:41 UTC 版)
日本の高度経済成長期、つまり1950年代後半から1970年代に、公害により住民へ大きな被害が発生した。このうち被害の大きいものを「四大公害病」という。 四大公害病は、第二次大戦後に発生した公害病を指す呼称であるため、同様に重大な健康被害を多数の住民に出した川崎公害(川崎喘息)など、昭和の戦前期から戦後期にかけての公害病は含まない。 水俣病 1953年(昭和28年)頃から1960年(昭和35年)にかけて熊本県水俣湾で発生した奇病。付近の工場廃液にふくまれる有機水銀(メチル水銀)による水質汚染や底質汚染を原因とし、魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じた。手足や口のしびれる症状が出て、死亡する人もいた。裁判の結果、廃液を流していた会社から賠償金の支払いと、国に対しても被害者認定の遅れを認めることになった。 最終的に認定された患者数は、2200人以上に及んだ。 第二水俣病(阿賀野川水銀中毒)(新潟水俣病) 1964年(昭和39年)頃から新潟県阿賀野川流域で発生した奇病。熊本県水俣と同じく、有機水銀(メチル水銀)による水質汚染や底質汚染を原因とし、魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じた。 最終的に認定された患者数は700人に及んだ。 四日市ぜんそく 1959年(昭和34年)から1972年(昭和47年)頃までの高度経済成長期に三重県四日市市を中心とした地域で発生した都市公害。主に亜硫酸ガスによる大気汚染を原因とする。 多くの人が気管支炎やぜんそく、肝障害を起こし、死者も出た。 同じような公害は、川崎市や尼崎市などいくつかの工業地帯でも発生している。 最終的に確認された患者数は1700人に及んだ。 イタイイタイ病 1910年代から1970年代前半に富山県神通川流域で発生した奇病。子供を出産した女性に多く発症し、手足の骨がもろくなり、激しい痛みが伴うので、イタイイタイ病と名が付けられた。 カドミウムによる水質汚染を原因として、米などを通じて人々の骨に対し被害を及ぼした。 最終的に確認された患者数は190人に及んだ。
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