四大の回避を巡る「改暦」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 09:46 UTC 版)
太陰太陽暦においては原則では、朔望月に合わせて30日からなる大の月と29日からなる小の月が交互に訪れる。だが、月の動きによって生じる朔望月のズレから大の月や小の月が数か月続くことがあった。初唐に定朔に基づく戊寅暦が採用されたが、平朔を支持する李淳風がこの暦ではズレが蓄積されて大の月が4か月続く事態になるとして強く反発した。その後、李淳風が定朔を維持しつつ作成した麟徳暦は大の月が4か月連続するのは異常であるとしてこれを大小の入替などで回避する規則が導入され、同暦が儀鳳暦として日本に導入されて以後、大の月が4か月続くことを避けて、そうした場合には月の大小の差し替えや閏月の差し替えによってこれを避ける改暦がなされることとなった。なお、前述の朔旦冬至との関係で大の月が4か月続く場合には二重の改暦を施した。 ただし、その方法は時期によって違い、この例による最古の「改暦」が行われた康保元年(964年)から寛治2年(1088年)までの5回は前後の大小の月の入替で対応した。続いて、建仁2年(1202年)と弘安4年(1281年)の2回は閏節気の移動を行うことで避けた例である。これは前者は朔旦冬至、後者は閏8月との関係で大規模な操作が発生するのを防止するために行われたと見られている。正和5年(1316年)から応永2年(1395年)に行われた4回は閏月の移動と進朔の中止によって避けた例であった。ただし、明応2年(1495年)以後は大の月が4回続いても改暦は行われなくなった。 なお、日本の歴史上(儀鳳暦が正式採用されたとされる持統天皇6年(692年)より太陽暦導入までの1181年間)1年間にわたって大小が交互に訪れた年は仁和4年(888年)の1例しか確認されておらず、太陰太陽暦の大小交互の月は理想論に近く、実際は数か月大の月あるいは小の月が連続する例は珍しくなかったのである。
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