坂本一角
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坂本 一角(さかもと いっかく、1897年(明治30年)10月10日[1] - 1947年(昭和22年)4月8日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、大学教授。
経歴
東京府西多摩郡檜原村出身。日本歯科医学専門学校(現在の日本歯科大学)を卒業。また、明治大学法律科にも学び、在籍中は柔道部に所属した[3][4]。東京府立第二商業学校教諭、日本大学講師・学生監、東京高等拓殖学校校長、拓殖大学教授を歴任した。東京市会議員に選出され、同参事会員に選ばれた。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第21回まで4回当選した。
1946年(昭和21年)、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放の該当者となった[5]。翌年4月8日死去。
脚注
参考文献
- 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。
関連項目
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