河北勘七とは? わかりやすく解説

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河北勘七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 04:31 UTC 版)

河北 勘七(かわきた かんしち、1864年元治元年7月[1][2][注釈 1]) - 1936年昭和11年)2月5日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴

山口県出身[2][注釈 2]。和漢学と仏学を学び[1]ベルギーに留学し[1][2]ブリュッセル大学を卒業し[1][2]、ドクトル・オブ・カンジターの学位を受ける[1][2]

1894年9月の第4回衆議院議員総選挙において山口1区から大手倶楽部公認で立候補して初当選する[3]1898年3月の第5回衆議院議員総選挙で落選する[4]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では国民協会公認で立候補して復帰した[5]。衆議院議員を2期務め、1902年第7回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。

このほか、日本歯磨製造(株)取締役第百十国立銀行監査役に就任[1][2]、1936年に死去した。

脚注

注釈

  1. ^ 『衆議院議員列伝』に「河北勘七」の見出しはない。
  2. ^ 『衆議院議員名簿』(1898年)18頁に住所は「吉敷郡上宇野令村」と記載。

出典

  1. ^ a b c d e f 山崎謙 編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年、217頁。NDLJP:778032 
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』196頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』22頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』28頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』33頁。

参考文献

  • 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

関連項目




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