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小笠公韶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/17 03:16 UTC 版)

小笠公韶
おがさ こうしょう
生年月日 1904年12月16日
没年月日 (1985-09-13) 1985年9月13日(80歳没)
出身校 東京帝国大学経済学部卒業
前職 中小企業庁長官
所属政党自由党→)
日本民主党→)
自由民主党→)
無所属→)
自由民主党
称号 勲一等瑞宝章

選挙区 徳島県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1971年7月2日 - 1977年7月10日

選挙区 徳島県全県区
当選回数 5回
在任期間 1953年4月19日 - 1958年4月25日
1960年11月20日 - 1969年12月2日
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小笠 公韶(おがさ こうしょう、1904年12月16日[1] - 1985年9月13日)は、日本商工官僚政治家衆議院議員(5期)。参議院議員(1期)。

経歴

旧制八高を経て1929年東京帝国大学経済学部を卒業後、商工省入省[2]

1950年中小企業庁長官。

1952年第25回衆議院議員総選挙徳島県全県区自由党から出馬するが、落選。1953年第26回衆議院議員総選挙で初当選。以後5期務める。派閥は岸派

1957年第1次岸改造内閣通商産業政務次官を、1958年から第2次岸改造内閣内閣官房副長官をそれぞれ務める。

1969年第32回衆議院議員総選挙で落選した後、参議院にくら替えし、1971年参議院議員通常選挙徳島県選挙区で、三木與吉郎(参議院議員3期、衆議院議員1期、元徳島市長三木俊治の父)の後継者として、三木武夫の推す自民党公認の伊藤薫を破り、当選(無所属)。

1985年、死去[2]。80歳没。死没日をもって勲一等瑞宝章追贈(勲四等からの昇叙)[3]

元秘書

脚注

  1. ^ 『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』49頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』261頁。
  3. ^ 『官報』第17587号11-12頁 昭和60年9月24日号

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
官職
先代
鈴木俊一
内閣官房副長官(事務担当) 次代
佐々木盛雄



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