事故・インシデント
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1980年代前半は農薬散布中の事故が多発した。2000年代以降は資材輸送、物資輸送中の事故が多く発生している。 1974年4月7日 - 調布飛行場でセスナ175A(英語版)(JA3136)が地上滑走中に建物と接触、中破した。 1975年5月17日 - 福島県郡山市で川崎ベル47G3B-KH4(JA7501)がエンジン始動時にメインローターの不具合により、メインローターがテイルブームに接触、中破した。 1975年10月27日 - 宮城県黒川郡大郷町で肥料散布中のセスナA188B(英語版)(JA3731)が墜落、大破した。機長が死亡した。 1976年10月20日 - 調布飛行場でシュドSE3130アルエットII(JA9002)が、試験飛行終了後に着陸する際、格納庫にテイルローターを接触させ小破した。 1978年8月12日 - 岩手県宮古市で取材飛行中のセスナ172C(JA3175)が墜落、搭乗していた3名のうち機長および放送員が死亡、カメラマンが重傷を負った。 1979年3月20日 - 福島県原町市で資材輸送中のアエロスパシアルSA360C(英語版)(JA9166)がエンジンの不具合により不時着、中破した。 1979年8月6日 - 新潟県西蒲原郡西川町で農薬散布中のヒューズ269C(JA7573)がエンジンの不具合により不時着、中破した。 1980年4月7日 - 埼玉県飯能市で物資輸送中のSA315Bラマ(JA9081)が地上の吊り荷に接触してハードランディングとなり、大破した。 1980年7月21日 - 千葉県香取郡多古町で農薬散布中の川崎ベル 47G3B-KH4(JA7501)が高圧線に接触して墜落、大破した。機長が重傷を負った。 1980年8月15日 - 栃木県河内郡上河内村で農薬散布中の川崎ベル 47G3B-KH4(JA7520)が高圧線に接触して墜落、大破した。機長が重傷を負った。 1981年7月22日 - 新潟県燕市で農薬散布中のヒラーUH-12E(JA7665)が高圧線に接触して墜落、大破した。機長が軽傷を負った。 1981年12月29日 - 山形県山形市で写真撮影中のAS350B(JA9302)が墜落、中破した。搭乗していた機長、整備士、カメラマン2名のうちカメラマン1名が死亡、もう1名が軽傷を負った。 1982年6月4日 - 香川県小豆郡内海町で農薬散布中のヒラーUH-12E(JA7639)が高圧線を回避する際、立木に接触して墜落、大破した。機長が重傷を負った。 1984年4月8日 - 山形県の鳥海山で人員輸送中のSA360C(JA9231)が墜落、大破した。機長および同乗者6名が重傷を負った。 1984年7月13日 - 宮城県黒川郡大衡村で農薬散布中の川崎ベル47G3B-KH4(JA7475)が電柱の支線に接触して墜落、大破した。機長が死亡した。 1985年8月4日 - 新潟県北蒲原郡中条町で農薬散布中のAS350B(JA9340)のテイルローターに地上の調査員が接触、中破した。調査員は死亡した。 1985年8月7日 - 宮城県登米郡石越町で農薬散布中のヒューズ269C(JA7581)が送電線を回避する際に姿勢を崩し墜落、大破した。機長が軽傷を負った。 1988年6月8日 - 東京ヘリポートで取材飛行へ向かうSA341G(JA9164)がホバータクシー中にエプロンに不時着、中破した。 1991年6月5日 - 山形県東田川郡羽黒町で物資輸送中を行っていたSA360C(JA9166)が不時着、横転大破した。 1994年10月14日 - 長野県北安曇郡白馬村で白馬山荘へ物資輸送中を行っていたSA315Bラマ(JA9081)が吊り荷を地上に接触させ墜落、大破した。機長が重傷を負った。 1996年4月27日 - 長野県長野市篠ノ井でテレビ信州の取材飛行を行っていたAS350B(JA9792)が、長野放送の取材飛行を行っていたAS355F1(JA9633)と空中接触して墜落、東邦航空機は4名(機長、整備士、記者、カメラマン)が死亡した。 2002年1月6日 - 長野県大町市鹿島槍ヶ岳で山岳救助を行っていたSA315Bラマ(JA9826)が遭難者4名および救助隊員1名を救助用ネットでつり上げ中、救助隊員でありトーホーエアーレスキューの社長であった篠原秋彦が落下して死亡した。 2002年2月7日 - 東京都御蔵島村で物資輸送を行っていたSA315Bラマ(JA6166)が不時着、中破した。 2005年8月20日 - 山形県西村山郡西川町で資材輸送を行っていたSA315Bラマ(JA6117)の吊り荷が地上にいた技術者に衝突、技術者が死亡した。機体の損壊はなかった。 2007年6月2日 - 岐阜県中津川市で緑化資材散布を行っていたベル 412(JA9991)が墜落、大破した。機長が死亡した。 2007年6月4日 - 長野県松本市の穂高岳山荘で物資輸送を行っていたSA315Bラマ(JA9826)が墜落、大破した。 2008年10月23日 - 秋田県仙北市の田沢湖周辺で資材輸送を行っていたSA315Bラマ(JA6117)が接地面に敷いてあったブルーシートを巻き込み中破した。 2011年10月3日 - 神奈川県愛甲郡清川村で資材輸送を行っていたAS350B3(JA508A)が墜落、大破炎上した。乗員2名のうち機長が死亡、機上誘導員が重傷を負った。 2017年11月8日 - 山梨県早川町 から栃木県芳賀郡芳賀町 の栃木ヘリポートに空輸中であったAS332L(JA9672)が群馬県多野郡上野村乙母の藤沢橋(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度05分06.3秒 東経138度46分11.4秒 / 北緯36.085083度 東経138.769833度 / 36.085083; 138.769833)に墜落、大破炎上した。乗員4名全員が死亡した。事故前に機体を修理した際に一部の部品を交換する必要があったのに怠っていたことが分かり、2018年2月2日に国土交通省東京航空局が航空法に基づき事業改善命令を出した。 2018年8月10日 - 群馬県前橋市のヘリポートを離陸し、途中長野原町で消防隊員を乗せ、群馬県草津町付近を飛行していた群馬県防災航空隊のベル 412EP(JA200G)が、草津白根山付近で行方不明になった。その後、機体の残骸が発見された。乗員乗客9人全員が死亡。 2019年6月21日 - 神奈川県愛川町の事件を取材していたテレビ朝日のヘリコプターのエンジン2機のうち1機が停止し、同市の河川敷に緊急着陸をした。
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事故・インシデント
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「ボーイング777」の記事における「事故・インシデント」の解説
777ファミリーは、1995年以来1,000機以上が製造・運航されている。運航開始当初から長らく全損事故・死亡事故は発生していなかったが、2008年にブリティッシュ・エアウェイズが初の全損事故を起こし、2013年7月にはアシアナ航空が全損かつ初の死亡事故を起こした。ただし、777の全損事故は2017年8月時点で6件であり(エンジン構造起因1件、火災3件、ヒューマンエラー1件、テロによる撃墜1件、不明1件、その他インシデントで1件)、乗客と乗員が死亡した事故は前述のアシアナ航空の事故と2014年のマレーシア航空の2件で540人が死亡している。この3件以外では乗員乗客の死亡者は出ておらず、他の全世界に広く普及している機種と比較して事故の件数は少なく、事故遭遇後の乗客の生還率も高い。 2008年1月17日、北京首都国際空港発ロンドン・ヒースロー空港行きブリティッシュ・エアウェイズ38便(777-200ER型機、機体記号:G-YMMM)が着陸直前に2基のエンジンの出力を失い、滑空状態で滑走路手前の不整地に着地した。その後胴体を数百メートルにわたって引きずり、滑走路直前で停止した。この事故で胴体底部と両エンジン、主翼の一部が大破し、大量の燃料が漏れたものの幸い火災は発生しなかった。着地の衝撃などで18名が負傷した。詳細は「ブリティッシュ・エアウェイズ38便事故」を参照 2011年7月29日、カイロ国際空港発キング・アブドゥルアズィーズ国際空港行きエジプト航空667便(777-200ER型機、機体記号:SU-GBP)がでコックピットから出火し全損した。出火した原因は不明である。詳細は「エジプト航空667便火災事故(英語版)」を参照 2013年7月6日、仁川国際空港発サンフランシスコ国際空港行きアシアナ航空214便(777-200ER型機、機体記号:HL7742)がサンフランシスコ国際空港で着陸に失敗、炎上し全損した。搭乗していた乗員乗客307人のうち3人が死亡、日本人1人を含む182人が病院に運ばれた。詳細は「アシアナ航空214便着陸失敗事故」を参照 2014年3月8日、クアラルンプール国際空港発北京首都国際空港行きマレーシア航空370便(777-200ER型機、機体記号:9M-MRO)が離陸後に管制塔との交信を絶った。航空機は北京首都国際空港に向かう途中だった。なお、この飛行機には12人の乗員と、2人の幼児を含む227人の乗客が搭乗していた。詳細は「マレーシア航空370便墜落事故」を参照 2014年7月17日、アムステルダム・アムステルダム・スキポール空港発クアラルンプール国際空港行きのマレーシア航空17便(777-200ER型機、機体記号:9M-MRD)が、ロシア国境に近いウクライナ東部のドネツィク州ドネツィク市近郊で墜落。ロシアのインタファクス通信がウクライナ内務省高官の情報として、地対空ミサイル攻撃で撃墜。乗員と乗客、合わせて298人全員が死亡したと発表した。詳細は「マレーシア航空17便撃墜事件」を参照 2015年9月8日、ラスベガス・マッカラン国際空港発ロンドン・ガトウィック国際空港行きブリティッシュ・エアウェイズ2276便(777-200ER型機、機体番号:G-VIIO)が離陸滑走中に左エンジンが発火したため離陸を中止した。この便に乗っていた乗員13名、乗客159名は非常時に使用する緊急脱出スライドを使用し、機外に避難したが、脱出の際に7人が軽傷を負った。詳細は「ブリティッシュ・エアウェイズ2276便火災事故」を参照 2016年5月27日、東京国際空港発金浦国際空港行き大韓航空2708便(777-300型機、機体番号:HL7534)が離陸滑走中にエンジン火災事故を起こした。この影響で東京国際空港は約2時間にわたって全面閉鎖、また当該機が離陸に使用していたC滑走路は約6時間にわたって閉鎖され、静岡空港や成田空港への目的地変更や出発地への引き返しなどが相次ぎ、約400便の欠航が発生するなど7万人以上の影響が出た。詳細は「大韓航空2708便エンジン火災事故」を参照 2016年6月27日、シンガポール発ミラノ行きシンガポール航空368便(777-300ER、機体番号:9V-SWB)が、離陸して約2時間後に操縦室でエンジントラブルを示す警告ランプが点灯したため、チャンギ国際空港へ引き返した。同空港の第2滑走路へ緊急着陸直後に右エンジンから出火した。当該便は乗員19人・乗客222人の計241人が乗っていたものの、全員脱出して無事。この影響で、第2滑走路は約2時間にわたって閉鎖された。777-300ERの事故は初。なお同機はその後修理を施し、通常通りの運航に戻っている。詳細は「シンガポール航空368便火災事故」を参照 2016年8月3日、トリヴァンドラム国際空港発ドバイ行きエミレーツ航空521便(777-300、機体番号:A6-EMW)が、着陸復航の際にオートパイロットを過信してスロットル操作を行わなかったため速度が低下し、降着装置が格納された状態で機体が滑走路に接触。機体は炎上し全損した。この便には、乗員18人・乗客282人合わせて300人が搭乗していたものの、全員脱出して無事だった。しかし、消火活動の際に消防士1名が死亡した。777-300で初の全損事故であり、就航以来無事故を誇ってきた同社としても初の事故であった。この影響でドバイ国際空港は約5時間半に渡り全面的に閉鎖され、他空港への目的地変更などが発生した。詳細は「エミレーツ航空521便着陸失敗事故」を参照 2017年9月5日11時頃、東京国際空港発ニューヨーク行き日本航空6便(777-300ER型機、機体番号:JA743J)が羽田空港34R滑走路を離陸滑走中、第1(左側)エンジンから出火した。離陸後、燃料投棄をし、12:09に羽田空港に緊急着陸した。乗員15人、乗客233人には怪我は無く、その後乗客は同型機別機材に乗り換え、17:15に再出発した。運輸安全委員会が重大インシデントとして調査を進めた結果、当該エンジンの低圧タービン第5段静翼の1枚に破断が見つかり、事故原因を、アーチバインディングによる応力集中により生じた亀裂が、エンジンの運転に伴う繰り返し応力により破断に至ったもの、と推定した。詳細は「日本航空006便エンジン火災事故」を参照 2018年6月29日12時40分頃、仁川国際空港発成田国際空港行きの大韓航空703便(777-300型機、機体番号:HL7573)が、成田空港着陸時に右主脚の車軸のひとつが折れ、その後誘導路で立ち往生した。乗客乗員335名にけがは無く、乗客は約2時間半後にバスでターミナルビルへと移動したが、国土交通省は、事故につながる恐れがある重大インシデントに該当すると認定した。 2020年7月22日15時20分頃、上海浦東国際空港発アディスアベバ経由南米行きエチオピア航空3739便(777-200LRF型機(貨物機)、機体番号:ET-ARH)が、上海浦東国際空港で荷物の積み込み中に機体後部で火災が発生した。けが人はいなく、出火原因は不明。火災の影響で空港を離着陸する他の便に一時遅れが発生した。 2020年12月4日、那覇発東京国際空港行きの日本航空904便(777-200型機、機体番号:JA8978)が離陸直後に左エンジンに不具合が発生し、那覇空港へ緊急着陸した。着陸後の点検で左エンジンのファンブレード2枚の脱落やエンジンカウルの損傷などが確認され、国土交通省は重大インシデントに認定。日本航空と全日空に同機全てのファンブレードの緊急点検を指示し、同月7日には問題がないことを確認した。 2021年2月20日、デンバー発ホノルル行きユナイテッド航空328便(777-200型機、機体番号:N772UA)の右エンジンナセルがカウリングを含めて全て脱落、部品を地上に撒き散らし、エンジンの燃焼状況を露わにしながらデンバー空港に引き返す事態が起きた。上記日本航空機同様、同機のエンジンがプラット・アンド・ホイットニー PW4000だったため、国土交通省は同一仕様の全ての777について運行を停止するよう日本航空と全日空に指示した。またユナイテッドもPW4000を装備する全ての777を運航停止した(アメリカで同一機がある社はユナイテッドのみ)。詳細は「ユナイテッド航空328便エンジン事故」を参照
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事故・インシデント
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「ノルウェージャン・ドーン」の記事における「事故・インシデント」の解説
2005年4月16日、荒天のジョージア州沖を航行中、波高約21メートルの大波に3度にわたり遭遇した。3番目の波により9デッキおよび10デッキの複数の窓が損傷、いくつかのデッキに浸水した。船の損傷は軽微ですぐに修復されたが、4人の乗客が軽傷を負った。 2009年11月27日、カリブ海クルーズの帰路、マイアミへ向かって航行中、全電源が失われ漂流した。アメリカ沿岸警備隊の船艇とヘリコプターが支援のために現場に派遣された。2,000名以上の乗客が乗船していたが、気温29度、湿度67パーセントの環境で、水、電気、空調の供給が絶たれ、トイレも使用出来ない状態となった。応急処置により一部復旧した後、プエルトリコのサンフアンへ入港し、修理のためマイアミまでの旅程はキャンセルされた。 2010年8月27日、エンジントラブルにより、予定より早くバミューダを発って、低速でニューヨークに帰港した。 2013年8月24日、夕方、エンジントラブルにより船内の電源が失われた。照明はほとんどすぐに復旧したが、約2時間の間、大西洋を漂流した。修理は順調に進められ、夜のイベントは予定通り開催され、翌朝予定通りバミューダに到着した。 2015年5月19日、バミューダを出港直後に座礁した。事故原因は、舵の軽微な故障により、航路を外れたためであった。6時間後の満潮を待って離礁し、水中調査により船底に損傷がないことを確認した上で、ボストンに向かった。
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事故・インシデント
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「ノルウェージャン・スピリット」の記事における「事故・インシデント」の解説
2005年にジュノーで、2007年にニューヨークでそれぞれ埠頭に衝突し、軽微な損傷が生じたが修理されている。2008年5月25日、東部カリブ海で8日間のクルーズを終えニューヨークへ帰港した際に、90番埠頭に接触、駐車場の支柱と船首が損傷した。 2006年1月、トルトラ島沖で巨大波に遭遇した。 2011年3月、メキシコでの埠頭への衝突と、船上で死亡者が発生したトラブルにより、クルーズが約12時間遅れで運航された。
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事故・インシデント
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「コーンケン空港」の記事における「事故・インシデント」の解説
2014年11月3日、コーンケン空港発スワンナプーム国際空港行きTG047便(エアバスA330-300、機体記号:HS-TEG)が、離陸のため滑走路に向けて走行中草地へ逸脱し自力での移動が不可能となり空港が閉鎖された。搭乗していた乗員、乗客にけがはなかった。
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「はまゆう (関釜フェリー)」の記事における「事故・インシデント」の解説
2005年5月2日、0時39分ごろ、釜山港から下関港へ向かって関門海峡の北西沖を航行中、排気ガスが機関室内に逆流し、右舷主機がハンチングしていたため停止、左舷主機のみで航行を継続して下関港に入港した。接岸後、右舷機排気系統の点検が行われたが異常が発見できなかったため、通常通り下関港から釜山港へ向かったが、同日19時37分ごろ、六連島付近を航行中、同様に排気ガスが逆流したため、運航を中止し、左舷主機のみで翌朝、下関港に帰港した。排気系統の異常の原因は、右舷主機の消音器の製作時の不適切な溶接で、消音器の天板が脱落したためであった。1998年10月には右舷機、2001年9月には左舷機の消音器の底板が脱落して修理されていたが、その際に十分な点検が行われなかったため、溶接不良が見逃されていた。
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「フェリーはまなす」の記事における「事故・インシデント」の解説
1972年8月8日、定期運航中、能登半島猿山岬の沖で沈没した貨物船第13萩浦丸の捜索救難に参加、救命筏で漂流中の船員10名を救助した。この功績で同年9月29日に第9管区海上保安本部から表彰を受けている。
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「アヴローラおくしり」の記事における「事故・インシデント」の解説
2006年4月28日、16時42分ごろ、奥尻港から江差港に向かって航行中、2号補機が異音と振動を発したため、1号補機に運転を切り替え、航行を継続した。点検の結果、2号補機の過給機内部の損傷が確認されたため、過給機は新造品と交換された。事故原因は、2006年4月に施工した第一種中間検査で2号補機の過給機の分解整備を行った際に、取り外し・取り付け作業の不備でワッシャ、スペーサが脱落、運航復帰後に補機を運転した際に過給機に吸い込まれ内部を損傷したものであった。
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「フェリーあけぼの (初代)」の記事における「事故・インシデント」の解説
1996年7月31日、18時15分ごろ、鹿児島港新港地区に入港する際、潮流に圧流され北防波堤の南東端に船首から衝突した。衝突により、本船は右舷船首部の外板に破口を生じ、北防波堤は衝突箇所が一部損壊した。事故発生時は、大潮で港口付近には約2.7ノットの北への潮流があった。事故原因は、潮流に対する措置が不十分で、北防波堤に対して圧流されたこととされた。
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「ニューあかつき」の記事における「事故・インシデント」の解説
2003年3月2日、20時20分ごろ、那覇港へ入港する際に船倉甲板で貨物の固縛作業を行っていた甲板員が4.1メートルの高さから墜落した。墜落現場はコンテナと隔壁に囲まれており、救出が困難だったため、甲板員はコンテナの移動後に救出されたが、腰椎圧迫骨折などの重傷を負った。船倉には20フィートコンテナの上にフラットコンテナが重ねて積載されており、甲板員は固縛作業の際にフラットコンテナの枠を伝って移動していた。事故原因は貨物の固縛作業の安全措置の不備とされた。
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「フェリーきかい (3代)」の記事における「事故・インシデント」の解説
2015年4月8日、22時10分ごろ、奄美大島から喜界島へ向かっていた本船は、喜界島湾港の北西5.0海里の地点で右舷主機が停止したため、左舷主機のみで名瀬港へ引き返した。右舷主機のカム軸駆動装置の中間歯車接続ボルト全12本が折損しており、左舷主機の同ボルトにも緩みが生じていた。折損の原因は、新造時に規定トルクで締め付けられていなかったためとされた。
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「さんふらわあ さつま (2代)」の記事における「事故・インシデント」の解説
2001年2月5日、0時2分ごろ、志布志港から大阪港へ向けて室戸岬西方沖27.4海里を航行中、右舷主機が1番シリンダの連接棒ボルトの折損により損傷、左舷主機のみで運航を継続して大阪港へ入港した。 2011年12月21日、3時42分ごろ、志布志港から大阪港へ向けて室戸岬東北東方沖13海里を航行中、左舷主機が1番シリンダのブローバイにより損傷、右舷主機のみで運航を継続して大阪港へ入港した。
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事故・インシデント
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「トライアングル (海運)」の記事における「事故・インシデント」の解説
1998年5月4日13時25分ごろ、猿島航路に就航していた「しーふれんど2」が三笠公園桟橋に着岸する際に、船首から桟橋に衝突、乗客17名が負傷した。事故原因は定員一杯の乗客を乗せた状態で、着桟時の減速措置が不十分だったため、とされた。
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事故・インシデント
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1971年10月13日 - 佐賀県三養基郡基山町で送電線建設のための資材運搬を行っていたシコルスキー S62が乱気流により墜落。8人の乗員のうち4人が重軽傷。 1975年6月6日 - 宮崎県北諸県郡三股町で農薬散布中の川崎ベル47G-2A(JA7417)が送電線に接触して墜落、大破した。機長が軽傷を負った。 1975年7月7日 - 宮崎県北諸県郡高城町で農薬散布中の川崎ベル47G3B-KH4(JA7566)が操縦ミスで墜落、中破した。 1975年12月12日 - 宮崎県宮崎郡佐土原町で送電線巡視飛行中の川崎ベル47G3B-KH4(JA7562)がテールローターシャフトの異常により操縦困難となり墜落、大破炎上した。機長と巡視員のうち、機長が重傷を負った。 1977年3月3日 - 宮崎県串間市で農薬散布中の川崎ベル47G-2A(JA7405)が索道を回避しようとして墜落、大破した。機長が軽傷を負った。 1977年5月8日 - 熊本県阿蘇郡阿蘇町で農薬散布中の川崎ベル47G3B-KH4(JA7507)が修理後のボルト取り付けミスにより操縦不能となり墜落、大破した。機長が重傷を負った。 1979年7月6日 - 宮崎県西諸県郡須木村で農薬散布中の川崎ベル47G3B-KH4(JA7524)が操縦ミスで離陸直後に水田に突っ込み墜落、大破した。 1979年7月16日 - 熊本県下益城郡松橋町で農薬散布中の川崎ベル47G3B-KH4(JA7477)が配電線に接触して水田に不時着、中破した。 1979年12月15日 - 熊本県八代郡泉村で資材運搬を行っていたSA315BアルウェットIII(JA9106)が、吊り荷のワイヤロープを落下させテイルローターなどを損傷した。 1980年8月7日 - 熊本県八代郡山江村で資材運搬を行っていたSA360C(JA9240)が過負荷によるエンジントラブルで落着、中破した。 1980年9月21日 - 鹿児島県大口市で資材運搬を行っていたSA360C(JA9262)がメインギアボックスのトラブルにより緊急着陸、中破した。 1981年8月11日 - 鹿児島県種子島の東方約30kmの海上でロケット打ち上げのための警戒飛行を行っていたSA360C(JA9262)が墜落、大破水没した。機長および同乗者4名が死亡した。警戒飛行はひまわり2号を搭載したN-IIロケット2号機を種子島宇宙センターから打ち上げるためのもので、夜間の警戒飛行の実施は今回の打ち上げが初めてだった。 1982年8月11日 - 滋賀県守山市で薬剤散布中の川崎ベル47G-2A(JA7362)が送電線に接触して墜落、大破した。機長が死亡した。 1984年3月8日 - 福岡県浮羽郡田主丸町で試験飛行中のSA315BアルウエットIII(JA9106)がエンジントラブルで筑後川の河川敷に不時着、中破した。 1984年8月17日 - 鹿児島県日置郡日吉町で送電線巡視飛行中の川崎ベル47G3B-KH4(JA7340)がフリーホイールの異常が原因で墜落、大破した。 1985年8月3日 - 愛媛県新居浜市で資材運搬を行っていたSA360C(JA9240)が、吊り荷が地上に接触して墜落、大破炎上した。 1985年9月11日 - 宮崎県児湯郡西米良村で資材運搬を行っていたSA360C(JA9212)が突風により姿勢を崩し墜落、大破した。機長が軽傷を負った。 1987年11月11日 - 福岡県糟屋郡宇美町で資材運搬を行っていたSA360C(JA9277)が、吊り上げ作業中に地上作業員誤ってつり上げられ、落下して死亡した。機体の損壊はなかった。 1991年9月28日 - 熊本県八代郡泉村で送電線巡視飛行中のSA315BアルウェットIII(JA9190)が索道に接触して墜落、大破した。機長と同乗者2名が死亡した。 1996年12月6日 - 島根県那賀郡弥栄村で資材運搬を行っていた富士ベル204B-2(JA9439)が、荷下ろし作業の際に地上作業員が吊り荷に挟まれ重傷を負った。機体の損壊はなかった。 2000年8月23日 - 宮崎県西諸県郡須木村で薬剤散布中の川崎ヒューズ369HS(JA9131)送電線に接触して不時着、中破した。
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事故・インシデント
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「都道府県警察航空隊」の記事における「事故・インシデント」の解説
2002年6月15日、上空から不審者の追跡をしていた新潟県警ヘリコプター「ゆきかぜ」(ベル206L-3)が墜落した。搭乗者3人のうち県警航空隊長が左腕骨折などで3か月の重傷、操縦していた副操縦士と整備係員が軽いけがを負った。立ち木に接触したと考えられている。 2005年5月3日、交通渋滞の状況を調べていた静岡県警ヘリコプター「ふじ1号」(A109K2)が住宅街に墜落、炎上した。搭乗者5人全員が死亡したほか、アパートの屋根の一部を壊した。事故原因は燃料切れとされている。 2020年2月1日朝、会津から福島空港へ移植のための心臓を運んでいた福島県警ヘリコプター「あづま2」(AW139)が郡山市内の田に墜落・横転した。移植用心臓は福島空港からチャーター機で羽田空港に移送され、東大病院へ運ばれる予定であった。事故後心臓はパトカーで福島空港に運ばれ、当初予定のチャーター機で羽田に移送、東京消防庁のヘリで東大病院に届けられたが、到着が遅れたこと等で移植した場合に心臓がうまく動くか保証できないと医師が判断し、移植は断念された。搭乗者7人(警察官3人・整備士2人・医療関係者2人)全員が怪我を負い、うち福島県警地域企画課長や男性医師らの4人が重傷だった。
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事故・インシデント
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2019年4月23日、山形発名古屋行きのフジドリームエアラインズ(FDA)386便(エンブラエル E175、JA11FJ)が16時45分ごろ離陸滑走中に滑走路を左に逸脱し、草地で停止した。これにより16時50分ごろから山形空港の滑走路が閉鎖され、山形発着の日本航空便が欠航やダイバートすることとなった。同機には乗員・乗客64人が搭乗していたが、負傷者は出なかった。滑走路は翌日の4月24日に再開したが、事故により滑走路脇にあるPAPIの一部が破損した。 運輸安全委員会は、当該事案を重大インシデントと認定。また、FDAによると点検時に機体の不具合は見つからなかったとし、事故機は運輸安全委員会の調査と整備が終了してから運用を再開している。その後、運輸安全委員会の調査で、事故機の操縦席足元にある方向舵ペダルとステアリング系統の一部に不具合があることが判明。ペダルを踏んでも戻らずに逸脱したものと判断した。
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事故・インシデント
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「はいびすかす (日本カーフェリー)」の記事における「事故・インシデント」の解説
定員超過 1972年8月22日、日向細島港発川崎港行きの本船で2等船室定員が722人のところ大人750人・子供30人と定員を超過して乗船させた。この内50人を食事1食の無料提供を付けた上で船室外のラウンジ・ロビー・廊下に滞留させ、船室外に充てられた乗客の一団と船員の間で団体交渉に発展した。原因は通常1割程度あったキャンセルや2等客の上等船室への変更分を見越して出港15分前からキャンセル待ち客に乗船券を売ったもののキャンセルや船室変更が少なく過剰予約となった事とされ、関東運輸局は8月末に定員厳守と安全対策を勧告した。
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事故・インシデント
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「チャイニーズ・タイシャン」の記事における「事故・インシデント」の解説
2005年2月14日、地中海を航行中、ミストラルの影響により発生した巨大波を受けた。約12-15メートルの高波により船橋の窓ガラスが破壊され、流入した海水により機器が損傷したため、機関が使用できなくなり漂流した。荒天下での漂流であったため、船体は大きく動揺した。直後に姉妹船のエクスプローラーも太平洋を航行中に同様の事故に遭遇している。
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事故・インシデント
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2010年6月9日13時37分ごろ、佐世保港から有川港へ向かっていた「フレッシュありかわ」が西海市金頭瀬北方沖を西進中、江島北西方の魚瀬に乗り揚げた。乗客1名および船長が負傷、「フレッシュありかわ」は船底部に破口を伴う凹損、プロペラ軸およびプロペラ翼に曲損などを生じた。 「フレッシュありかわ」は自力で離礁したが、沈没の恐れがあったため、現場に留まり、来援した巡視艇および僚船、瀬渡し船、および手配したタグボートの支援を受け、19時30分ごろ鯛ノ浦漁港に入港した。事故原因は船長の居眠りであった。
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事故・インシデント
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ウィキニュースに関連記事があります。Boeing 767 cargo plane seriously damaged by fire at San Francisco Threat received before Boeing 767 fire at San Francisco 1996年12月22日、エアボーン・エクスプレス827便(英語版)(DC-8-63F)がピードモント・トライアド国際空港で改造を受け試験飛行中、失速テストを行ったところ失速状態から回復することができずヴァージニア州ナローズの山岳地帯に墜落し、6人全員が死亡した。 2008年6月28日、サンフランシスコ国際空港に駐機中のボーイング767から火災が発生し深刻な損傷を受けた。アメリカ国家運輸安全委員会の調査によれば、火災の原因は設計上の問題であり、電気配線と酸素系の導電成分との間に短絡が起きたことが明らかになった。
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事故・インシデント
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「さんふらわあ しれとこ」の記事における「事故・インシデント」の解説
2014年2月8日6時25分頃、欠航のため苫小牧港日之出電気化学ふ頭第2岸壁に出船の状態で係船中に貨物船「第六芙蓉丸」が衝突し本船は左舷船首部外板に凹損及び擦過傷、第六芙蓉丸は船首部のブルワークやハンドレールが曲損した。事故原因は第六芙蓉丸が左回頭し日之出ふ頭1号岸壁に接近する際に左転開始時機の確認が不十分だった事とされた。
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事故・インシデント
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「フェリーおき (2代)」の記事における「事故・インシデント」の解説
2011年4月4日、11時24分ごろ、西郷港に着岸する際、強風に圧流され左舷船尾部が岸壁へ接触、船体が左舷側に傾きギャングウェイの突端部分と衝突した。 衝突により、本船は左舷後部の外板に擦過傷を生じ、ギャングウェイは接続ボルト3本が切断され変形した。事故発生時の天候は晴で、東北東からの13m/sの風が吹いていた。 2014年1月12日、13時48分ごろ、別府港に接岸中、南西方向から突風を受け、岸壁と本船の間隔が広がったため、タラップ作動部のシリンダー取付けボルトが破断した。本船および人員の被害はなかった。
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事故・インシデント
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「へるめす (フェリー)」の記事における「事故・インシデント」の解説
埠頭衝突事故 2017年5月18日、ドミニカ共和国のサントドミンゴ港への接岸作業中にケーブルが破損し埠頭へ衝突。死傷者はなかったものの船体や埠頭、コンテナに損傷を及ぼした。
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事故・インシデント
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「ニューぺがさす」の記事における「事故・インシデント」の解説
1993年6月18日、6時15分ごろ、北九州港から大阪南港へ向かっていた本船は、大阪南港へ入港する際、大阪南港から徳島小松島港へ向かっていた徳島阪神フェリーのおとめ丸と、大阪港南防波堤灯台から西に0.8海里の地点で衝突した。本船の左舷側中央部におとめ丸の船首が前方から約60度の角度で衝突し、本船は左舷後部外板に約40メートルにわたって凹損を生じ、積載車両5台が損傷、おとめ丸は船首部外板が圧壊した。事故発生当時、天候は晴で風はほとんどなく、視程は約2海里だった。事故原因は、船舶の輻輳する海域において両船が安全な速力とせず、衝突のおそれのある態勢で接近する状況となった際に速やかに衝突回避措置をとらなかったため、とされた。
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事故・インシデント
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「フェリーおおさか」の記事における「事故・インシデント」の解説
1993年7月11日、6時17分ごろ、新門司港から大阪南港へ向かって播磨灘を航行していた本船は、漁船を回避するために変針した際に、浅所である鹿ノ瀬に接近し、乗揚げた。乗揚げにより本船は船底外板に凹損を生じ、積載車両3台が損傷した。事故原因は、船位と浅所の相対位置の確認が不十分であったため、とされた。事故発生当時、現場海域には霧が出ており、視程は約400メートルだった。
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事故・インシデント
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「ニューおりおん」の記事における「事故・インシデント」の解説
1994年9月19日、4時38分ごろ、新門司港から大阪南港へ向けて航行中、明石海峡を通航する際、右舷前方の同航船が急に左転したため、減速の上、右転して同航船の右舷側を追い越そうとしたところ、右舷後方を続航していた阪九フェリーの第三十二阪九と江埼灯台の東方約3kmの地点で衝突した。本船の右舷船尾に第三十二阪九の左舷船首が後方から約20度の角度で衝突、本船は右舷船尾、第三十二阪九は左舷船首にそれぞれ凹損を生じ、第三十二阪九の乗客3名が頸椎捻挫などを負った。 事故原因は、本船が右転した同航船を左舷側に替わそうとして右転する際、右舷後方の第三十二阪九に対する動静監視が不十分で、衝突の危険を生じさせたこととされたが、第三十二阪九が、安全な船間距離を保たず、速力過大で衝突回避の時機を失したことも一因とされた。なお、両船とも運航管理規程では船長が直接指揮を執る海域とされていたが、それぞれ一等航海士に操舵を任せており、船長はそれを監督していた。本船においては、操船者と補佐の役割分担が不明確で、後方の動静監視が不十分となり事故につながったと指摘された。
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事故・インシデント
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二代目 2005年(平成17年)10月23日、宮島桟橋に着岸した際に生じた衝撃により、2名負傷している。 2004年(平成16年)6月12日、厳島の腰細浦南東沖合で、船底で衝撃を受け、機関室が浸水する。衝撃を受けた際6人が負傷している。 三代目 2020年(令和2年)2月13日、午前8時35分ごろ厳島神社の大鳥居付近の浅瀬に座礁した。約20分後に潮位が上昇してフェリー自力で離岸し宮島の桟橋に接岸した。けが人はなし
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事故・インシデント
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「インドネシア・エアアジア」の記事における「事故・インシデント」の解説
インドネシア・エアアジア8501便 - 2014年12月28日、スラバヤ発シンガポール行の便が乗員乗客162名を乗せてジャワ海で墜落した。生存者なし。
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事故・インシデント
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「れいんぼうべる」の記事における「事故・インシデント」の解説
岸壁衝突事件 1997年12月2日、直江津港東埠頭にて自船のスラスターとタグボート2隻を用いて着岸するにあたり低気圧性の強風によって圧流されタグボートの不適切な活用により東埠頭の岸壁角に衝突。れいんぼうべるの右舷船尾部外板に破口を伴う凹損、東埠頭2号岸壁に損傷が発生した。
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事故・インシデント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 09:17 UTC 版)
1992年5月23日 - 「ソレイユ」が大阪港天保山東岸壁で岸壁に接触した。「ソレイユ」は右舷船首部を破損、旅客78名・乗組員4名は負傷者なし。 1993年3月7日 - 「サンシャイン」が友ヶ島水道を航行中に大波を受け、2階グリーン室の窓ガラス2枚が破損、旅客120名・乗組員4名のうち乗客1名が軽傷を負った。 1993年10月19日 - 「ぶるーすたー」が徳島港内で貨物船「栄吉丸」と衝突した。「ぶるーすたー」は左舷船首部に長さ約2.8mの亀裂を含む凹損を生じ、旅客46名・乗組員4名のうち旅客4名が軽傷を負った。
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事故・インシデント
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1982年7月24日 - 新潟県西蒲原郡分水町で農薬散布を行っていたベル206B(JA9162)がテールローターの故障により民家の庭に墜落、大破した。 1983年2月19日 - 北海道札幌市で取材飛行中のAS350B(JA9222)が燃料切れにより畑に不時着、大破した。機長と同乗者2名が重傷、同乗者1名が軽傷を負った。 5月19日 - 新潟空港の北方17kmの海上で阿賀沖油ガス田の撮影を行っていたベル206B(JA9109)が操縦不能により不時着水、水没した。機長と同乗者3名が重傷を負った。 8月25日 - 和歌山県有田郡清水町で物資輸送を行っていたベル214B(JA9275)がエンジントラブルによりヒノキ林に不時着、大破した。 10月4日 - 三宅島空港でホバリング移動中だったミルMi-8PA(JA9549)のダウンウォッシュにより、駐機中だったMBB Bo 105(JA9515)が破損した。 1985年4月20日 - 滋賀県蒲生郡日野町で資材運搬を行っていたベル214B(JA9276)が吊り荷が地上に接触して墜落、大破した。機長、整備士が軽傷を負った。 7月30日 - 茨城県新治郡千代田村で農薬散布を行っていた川崎ベル47G3B-KH4(JA7478)が水田に墜落、大破した。 11月30日 - 新潟県南魚沼郡湯沢町の苗場プリンスホテル駐車場で資材運搬を行っていたベル 212(JA9520)が燃料供給の不具合によりエンジンが停止、ハードランディングとなり大破した。 1988年10月12日 - 島根県邑智郡瑞穂町の瑞穂ハイランドスキー場で資材運搬を行っていたベル212(JA9537)が吊り荷が土手に引っかかり墜落、大破した。機長が重傷、指導員が軽傷を負った。 1989年3月29日 - 福島県南会津郡桧枝岐村で人員輸送を行っていたベル206B(JA9238)が、風防が曇ったため不時着した際に横転、大破した。 9月5日 - 福井県小浜市の小浜湾で移動中のベル214B(JA9325)が悪天候による機長の空間識失調により墜落、大破水没した。機長、整備員が死亡、もう1名の整備員が重傷、整備士が軽傷を負った。 10月9日 - 青森県西津軽郡鯵ケ沢町で資材運搬を行っていた富士ベル204B-2(JA9112)がクラッチの不具合により不時着、大破した。整備士が重傷、機長が軽傷を負った。 1990年3月23日 - 秋田県鹿角郡の十和田湖で移動中だったベル206B(JA9058)が機長の不適切な操縦により湖面に突っ込み、大破水没した。機長が死亡、整備士が重傷を負った。 8月1日 - 神奈川県足柄下郡箱根町の二子山で西武建設から運航受託していたシコルスキーS-76A(JA9943)が悪天候により墜落、大破した。機長、整備士が死亡した。 8月20日 - 沖縄県中頭郡勝連町のホワイトビーチで取材飛行中のベル206L-3(JA9365)が強風下でのホバリングにより操縦不能となり墜落、大破水没した。機長、整備士、記者、カメラマンの4名が死亡した。 9月21日 - 山梨県東山梨郡三富村で地質調査機材のテストを行っていたMBB Bo105C(JA9524)が索道に接触して墜落、大破炎上した。機長、技術者2名が死亡した。 1991年11月8日 - 北海道常呂郡留辺蕊町で薬剤散布を行っていたベル206B(JA9127)が、散布装置の不良により重心位置が許容範囲を超え操縦困難となったため不時着、大破した。 1993年1月28日 - 千葉県印旛郡印旛村で訓練中だったベル206B(JA9465)が離陸時に給油用のドラム缶に接触、横転大破した。 6月20日 - 栃木県上都賀郡足尾町で資材運搬を行っていたAS350B(JA9223)が帰投中に吊りワイヤでテールローターを損傷して不時着、中破した。 1994年8月14日 - 青森県西津軽郡車力村で農薬散布を行っていたベル206B(JA9211)が電柱の支索に接触して墜落、大破した。機長が重傷を負った。 1996年4月27日 - 長野県長野市篠ノ井で長野放送の取材飛行を行っていたAS355F1(JA9633)が、同じくテレビ信州の取材飛行を行っていた東邦航空のAS350B(JA9792)と空中接触して墜落炎上、朝日航洋機は機長とカメラマンが死亡した。 1998年9月12日 - 長野県上高井郡高山村で緑化資材散布を行っていたAS350B(JA9306)が吊り荷のバケットを斜面に接触させて墜落、大破した。機長が死亡した。 2004年9月14日 - 静岡ヘリポートから東京ヘリポートへ向けて移動中のMD900(JA6757)がノーターの不具合で操縦困難となり、厚木飛行場に不時着、大破した。機長、整備士が軽傷を負った。 2005年10月18日 - 富山県下新川郡宇奈月町で資材運搬を行っていたAS332L(JA9690)が吊り荷を降ろす際、吊り荷と接触した地上誘導員が負傷した。機体の損壊はなかった。 11月18日 - 長野県木曽郡木曽町で送電線の調査飛行を行っていたAS350B(JA9303)が着陸する際、ハードランディングとなり大破した。 2009年8月3日 - 滋賀県高島市で資材運搬を行っていたAS332L(JA9690)が吊り荷を降ろす際、ダウンウォッシュにより立木が倒れ地上作業員が重傷を負った。機体の損壊はなかった。 2010年9月26日 - 鹿児島県屋久島町で資材運搬を行っていたAS332L(JA9635)が吊り荷が地上に接触して墜落、大破炎上した。機長、整備士が死亡した。 2012年7月8日 - 北海道旭川市でドクターヘリとして患者搬送を行っていたMD900(JA6911)が、旭川赤十字病院屋上ヘリポートから離陸した際、エンジントラブルが発生、第1エンジンを停止して旭川空港に緊急着陸した。 2013年9月10日 - 関西国際空港において朝日放送から運航を受託しているベル430(JA06NR)が管制官の指示を得ず滑走路に進入したため、着陸進入中だった全日空機が着陸復行した。 2016年8月5日 - 奈良県十津川村の山中で、関西電力の鉄塔建設に使うため資材を運搬していたヘリコプターから、重さ約800キロの鉄板が落下した。 8月8日 - 神奈川県秦野市のコベルコマテリアル銅管秦野工場のグラウンドで、東海大学医学部付属病院のドクターヘリBK117C2(JA6917)が着陸に失敗し大破。搬送予定の高校生は救急車で搬送されたが死亡。事故との因果関係はないという。
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事故・インシデント
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1974年3月17日 - 和歌山県東牟婁郡古座川町で資材運搬を行っていた川崎ベル47G3B-KH4(JA7510)が着陸する際に操縦系統の不具合により、ヘリポートを逸れがけに接触して墜落、大破した。機長が重傷を負った。 5月27日 - 岐阜県吉城郡宮川村で肥料撒布を行っていたSA316BアルウェットIII(JA9074)がエンジントラブルにより不時着、大破した。 6月6日 - 静岡県袋井市で薬剤撒布を行っていた川崎ベル47G3B-KH4(JA7473)が離陸時に干してあった機体カバーを巻き込み不時着、中破した。 1975年8月1日 - 岩手県上閉伊郡宮守村で農薬撒布を行っていた川崎ベル47G3B-KH4(JA7543)が送電線に接触して不時着、中破した。 1976年4月15日 - 石川県石川郡吉野谷村で建設中の白山スーパー林道の視察飛行を行っていたセスナ172L(JA3574)が、樹木に接触して墜落、大破した。機長、同乗者3名が重傷を負った。 6月6日 - 広島県佐伯郡五日市町で薬剤撒布を行っていた川崎ベル47G3B-KH4(JA7400)が、異物によりタンク内の薬剤が偏ったことで操縦不能となり墜落、大破した。機長は軽傷を負った。 6月28日 - 新潟県佐渡郡金井町で薬剤撒布を行っていたヒューズ269C(JA7580)が、送電線に接触、中破したがヘリポートへ帰還した。 1977年2月11日 - 静岡県磐田市で資材運搬を行っていた富士ベル204B(JA9018)が、桁の疲労破壊により垂直尾翼の一部が脱落したため、操縦不能となり墜落、大破した。 11月5日 - 石川県七尾市へ移動中だった川崎ベル47G3B-KH4(JA7420)目的地の休耕田に着陸する際、土地の起伏と機長の不適切な操縦により横転、大破した。 1978年6月1日 - 大分県西国東郡香々地町で薬剤撒布を行っていた川崎ベル 47G3B-KH4(JA7377)が薬剤タンクフィルタの脱落によりテールローターを損傷、操縦不能となり山林に不時着、大破した。 7月26日 - 宮城県柴田郡大河原町で薬剤撒布を行っていた川崎ベル47G3B-KH4(JA7498)が、異常音を発した後、操縦不能となって墜落、大破炎上した。機長が軽傷を負った。 8月3日 - 岩手県下閉伊郡岩泉町で薬剤撒布を行っていた川崎ベル47G3B-KH4(JA7423)が特別高圧送電線に接触して墜落、大破した。機長が死亡した。 9月11日 - 愛媛県上浮穴郡小田町で薬剤撒布を行っていた川崎ベル47G3B-KH4(JA7341)が夜間係留地へ移動中、濃霧により岩に接触して墜落、大破した。機長、整備士が重傷を負った。 11月1日 - 愛知県南設楽郡鳳来町で資材運搬を行っていた富士ベル204B-2(JA9172)が着陸後、クラッチの不具合により衝撃が発生して中破した。 1979年 3月5日 - 愛知県海部郡鍋田村の鍋田干拓地でオートローテーションの訓練を行っていたヒューズ269C(JA7580)がハードランディングとなり中破した。 3月15日 - 岡山空港でオートローテーションの訓練を行っていた川崎ベル47G-2A(JA7351)がテールローターを地面に接触して中破した。 7月3日 - 愛知県海部郡十四山村で試験飛行を行っていたセスナ 404(JA5262)がエンジン不調となり水田に不時着、大破した。機長と同乗者1名が重傷、他の同乗者2名が軽傷を負った。 1980年8月7日 - 新潟県上越市で薬剤撒布を行っていたベル206B(JA9245)が高圧線に接触して墜落、大破した。機長が重傷を負った。 1981年2月22日 - 小松空港から新潟空港へ向かっていたベル206B(JA9220)が新潟空港着陸時にエンジンが停止したためハードランディングとなり、中破した。 1982年6月5日 - 栃木県下都賀郡大平町で薬剤撒布を行っていたベル47G4A(JA7633)が高圧線に接触して墜落、大破した。機長が軽傷を負った。 1984年11月11日 - 北海道虻田郡倶知安町で資材運搬を行っていた富士ベル204B(JA9078)が地上のシートをテールローターに巻き込み墜落、大破した。機長と整備士のうち整備士が重傷を負った。 1985年8月8日 - 岩手県胆沢郡金ケ崎町で薬剤撒布を行っていたベル47G4A(JA7634)が送電線を避けようとして墜落、大破した。 1986年5月17日 - 名古屋空港で試験飛行を行っていたヒラーUH-12E(JA9261)が着陸の際、不安定な気流への不適切な操縦により、ハードランディングとなり大破した。 7月30日 - 北海道虻田郡倶知安町で移動中だった富士ベル204B-2(JA9172)がテールローターの駆動系破損により操縦不能となり墜落、大破した。搭乗していた4名のうち、整備員1名が重傷、機長、整備士が軽傷を負った。 9月25日 - 北海道樺戸郡新十津川町で資材運搬を行っていたベル214B(JA9293)がエンジン不具合により雑木林に不時着、横転大破した。機長、整備士が重傷を負った。 1987年5月27日 - 長野県茅野市の赤岳山頂で物資輸送を行っていたSA315BアルウエットIII(JA9400)が地上に置かれていた吊り荷にスキッドが引っかかり墜落、大破した。機長が軽傷を負った。 8月6日 - 宮城県栗原郡若柳町で薬剤撒布を行っていたベル206B(JA9123)が移動のため離陸した際、盛り土に接触して墜落、大破した。機長、整備士2名が軽傷を負った。 1988年7月17日 - 秋田県平鹿郡雄物川町で薬剤撒布を行っていたベル206B(JA9271)が同じく薬剤撒布を行っていた日本農林ヘリコプターのヒューズ369D(JA9380)と空中衝突して両機は墜落、大破した。日本農林ヘリコプター機の機長は死亡、中日本航空機の機長は重傷を負った。 1990年8月18日 - 岐阜県郡上郡美並村で薬剤撒布を行っていた川崎ベル47G3B-KH4(JA7486)が高圧線に接触して墜落、大破した。機長が重傷を負った。 1991年4月27日 - 愛知県刈谷市で宣伝飛行を行っていたセスナ172P(JA4075)が模型モーターグライダーと空中衝突して中破したが、名古屋空港へ帰投した。 8月13日 - 北海道雨竜郡妹背牛町で薬剤撒布を行っていたAS350B(JA9403)が着陸して薬剤タンクの洗浄中、警備責任者がテールローターに接触して小破した。警備責任者は重傷を負った。 1993年8月15日 - 新潟県両津市で薬剤撒布を行っていたベル206B(JA9124)が重荷重状態での不適切な操縦により操縦不能となり民家の庭に墜落、大破した。 1996年8月1日 - 岩手県花巻市で薬剤撒布を行っていたベル206B(JA9425)が高圧線に接触して墜落、大破炎上した。機長が重傷を負った。 1997年9月18日 - 岐阜県揖斐郡春日村で資材運搬を行っていたベル214B(JA9202)がエンジン不具合により墜落、大破横転した。 2001年5月19日 - 三重県桑名市でそれぞれ訓練飛行中のAS332L1(JA6787)とセスナ172P(JA4201)が空中衝突し、両機とも墜落、大破した。セスナ胴体部は炎上し、民家2棟および車両を全焼した。ヘリ側は2名、セスナ側は4名の搭乗者全員が死亡、地上で1名が軽傷を負った。詳細は「2001年桑名市空中衝突事故」を参照 2002年11月5日 - 奈良県吉野郡川上村で木材搬出を行っていたAS350B3(JA021N)が吊り荷の動きにより姿勢を崩し墜落、大破炎上した。機長が軽傷を負った。 2003年10月29日 - 長崎県北松浦郡の鷹島の北西約2マイルの海上で、巡視飛行中だったガルフストリームコマンダー695(JA8826)が、急患輸送で災害派遣中だった海上自衛隊大村航空基地所属のSH-60J(JN8293)とニアミスした。最接近時の水平距離は約560mで高度はほぼ同じだった。 2004年3月7日 - 長野県木曽郡南木曽町で信越放送の取材飛行を行っていたAS355F1(JA9910)が高圧送電線に接触して墜落、大破炎上した。機長、整備士、記者、カメラマンの搭乗者全員が死亡した。 2010年7月28日 - 北海道松前郡福島町の岩部岳東方でセスナU206G(JA3902)が有視界飛行中の悪天候により墜落、大破した。機長と同乗者が死亡した。 2012年6月29日 - 静岡県榛原郡川根本町の長島ダムで中部地方整備局から運航を受託している災害対策用ヘリコプターベル412EP(JA6817)が着陸時にボルテックス・リング・ステートによりハードランディングとなった。機長が重傷、同乗者7名のうち1名が軽傷を負った。 11月19日 - 滋賀県大津市の比良山地の釈迦岳でAS332L1(JA9965)が資材輸送を行っていた際、吊り荷と地上作業員が接触して滑落、負傷した。 2017年9月23日 - 高知県北川村小島の山中で飛行中のヘリコプターから直径5 - 25センチの砕石(総重量2.7トン)が落下。運輸安全委員会は重大インシデントにあたるとして、現地に調査官2人を派遣した。
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事故・インシデント
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「マリスカル・スクレ国際空港 (1960年)」の記事における「事故・インシデント」の解説
1960年11月7日: AREAエクアドルのフェアチャイルド FH-227がアプローチ中にキト南方16キロの山中に墜落、乗員乗客37名が死亡した。 1980年1月27日: アビアンカ航空のボーイング727が着陸速度超過のため滑走路をオーバーランしてノーズギアを破損したが、怪我人はなかった。 1982年4月29日: エクアドル空軍のロッキード C-130がアプローチに失敗してキト近郊の山に墜落、乗員7名が死亡した。 1984年9月18日: AECAのダグラス DC-8-55Fが離陸後の高度確保に失敗、滑走路の460メートル先にある住宅地に突っ込んで墜落した。25軒の民家が破壊され、乗員4名のほか住人ら49名が死亡した。詳細は「AECA 767-103便離陸失敗事故」を参照 1988年6月3日: エクアドル空軍司令官およびイスラエル空軍の高級将校が搭乗したエクアドル空軍のノースアメリカン セイバーライナー40Aがキト市内に墜落し、乗員11名が全員死亡した。 1992年12月10日: エクアドル空軍のノースアメリカン セイバーライナー60が空港の南3キロにある建設中の10階建てビルに接触して住宅地に墜落。乗員10名と地上の3名が犠牲となった。 1995年5月3日: アメリカンジェットのガルフストリーム IIのパイロットが、夜間の着陸の際にVORの周波数設定を誤ったことから空港より19キロメートル南方を飛行し、標高4,900メートルのシンコンラグア山に激突した。乗員乗客7名は全員死亡したが、乗客はアルゼンチンのカルロス・メネム政権でYPFの民営化を率いたホセ・エステンソロなど石油業界の重鎮たちであった。 1996年5月1日: フライ・リンハス・アエレアスのボーイング727-200が降雨のため離陸中止したが滑走路をオーバーランしてその先にある道路を横切った。SCコリンチャンス・パウリスタの選手を含む満員の乗客を乗せていたが、怪我人は出なかった。 1998年8月29日: クバーナ航空のツポレフTu-154Mが滑走路をオーバーランし、乗員14名のほか乗客77名中56名と地上に居合わせた10名が犠牲となった。 2003年1月17日: 滑走中のタイヤ破裂のため離陸中止したTAME航空のフォッカー F28 Mk4000が滑走路を逸脱、滑走路端から81メートル行き過ぎて停止した。ノーズギアが破損したが、怪我人はなかった。 2005年4月20日: ルシオ・グティエレス大統領に抗議する民衆が車両を滑走路に乗り入れたため、数時間にわたって空港が閉鎖された。これは、直前に議会で罷免された同大統領がエクアドル空軍のビーチクラフト スーパーキングエアで国外に脱出するのを阻止するためであった。 2007年11月9日: イベリア航空6463便(エアバスA340-600)が着陸時に降着装置のタイヤが破裂し、滑走路からオーバーランした。機体は左に傾いて損傷し、左翼の2基のエンジンが地面に接触した。乗客・乗員333人は全員脱出し、重傷者はなかった。機体は修理困難と判断されて解体処分となった。 2008年9月23日: イカロ航空のフォッカー F28 Mk4000が滑走路を逸脱した。乗客62名に怪我はなかったが、機体は登録抹消となった。 2009年3月19日: エクアドル空軍のビーチクラフト キングエアB200がアプローチ途中にグアプロ地区の建物に墜落、乗員5名と地上にいた市民2名が犠牲となった。 2009年10月27日: エクアドル空軍のHAL ドゥルーブヘリコプターが僚機2機との編隊で展示飛行中に墜落したが、パイロット2名はいずれもかすり傷であった。 2011年9月16日: ロハ[要曖昧さ回避]発のTAME航空148便(乗員6名、乗客97名)が滑走路を逸走し、一部の乗客が軽い打撲を受けたものの死者はなかった。この事故で空港は3時間半ほど閉鎖された。 2012年11月29日: 豪雨の中で着陸したコパ航空のボーイング737-800の主脚が、着陸滑走中に舗装路から3フィートほど外に逸走したが怪我人はなかった
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事故・インシデント
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「フェリーかつら」の記事における「事故・インシデント」の解説
1975年4月29日、22時28分ごろ、大阪南港から高知港へ向かっていた本船は、の神戸港和田防波堤燈台の西方10.1海里の大阪湾内の地点でコンテナ船サンシンスターと衝突した。本船とサンシンスターのいずれも22時10分ごろには、レーダーで相手船を確認していたが、本船は右転、サンシンスターは左転してかわそうとしたため、それぞれ方位がかわらないまま接近、サンシンスターの船首が本船の左舷船首部に船首から約80度の角度で衝突した。衝突により、本船は左舷船首部の外板に長さ約19メートル×幅約6メートルの損傷を生じ、サンシンスターは船首材が圧壊した。また、本船の旅客13名が軽い打撲傷を負った。事故発生当時、霧が出ており、視程は600 - 700メートルと悪化していた。事故原因は、本船およびサンシンスターが霧のため視界が制限される状態で過大な速力で進行し、著しく接近する他船の存在をレーダーで確認しながら、停船など衝突回避処置が十分でなかったこと、とされた。
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事故・インシデント
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「アカギヘリコプター」の記事における「事故・インシデント」の解説
2002年6月28日 - 奈良県宇陀郡御杖村で木材搬出を行っていたSA315BアルウェットIII(JA6143)の吊り荷ワイヤーが作業中のクレーン車と絡まり墜落、大破。機長が重傷を負った。 2003年1月1日 - 長野県小県郡真田町の根子岳山頂でスキー客輸送を行っていた富士ベル204B-2(JA9314)がコレクティブ・バウンスによる異常振動で横転、大破。操縦していた機長と降機していた整備士が重傷を負った。 2005年10月18日 - 三重県一志郡美杉村で木材搬出を行っていたSA315BアルウエットIII(JA6119)が姿勢を崩して墜落、大破。機長、同乗操縦士が重傷を負った。 2006年7月26日 - 茨城県筑西市で薬剤散布を行っていたベル206B(JA9490)が電線に接触して墜落、大破。機長が重傷を負った。 2007年4月9日 - 富山県富山市の北アルプス水晶岳の水晶小屋付近で人員輸送を行っていた富士ベル204B-2(JA9203)が、天候の急変によりホワイトアウト状態となり墜落、大破した。搭乗していた10名のうち機長と乗客1名が死亡、8名が重傷を負った。生存者は水晶小屋に避難し、翌日、富山県消防防災航空隊、長野県警察航空隊、長野県消防防災航空隊が連携して順次救出した。事故発生時、同機は乗降の際の利便性のため中央部座席が取り外されているなど、航空法に違反した状態で運航されており、アカギヘリコプターは国土交通省から業務改善命令を受けた。
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事故・インシデント
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「きたかみ (フェリー)」の記事における「事故・インシデント」の解説
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生した際、本船は仙台港に停泊中であった。本船は緊急出港により難を逃れたが、仙台港フェリーターミナルは2階まで浸水、可動橋も浸水で使用不能となり、シャーシや社用車が流されるなど甚大な被害を受けた。全社を挙げた復旧作業の結果、本船が3月25日に被災後の仙台港に初めて入港、6月1日から通常ダイヤでの運航を再開した。(東日本大震災パネル展。於:名古屋港フェリーターミナル)
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事故・インシデント
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1976年12月28日、松阪港から東京港へ向かっていた本船は、伊勢湾を航行中、乗組員食堂付近の廊下から出火、約30分後に鎮火したが食堂の一部が焼損、乗組員1名が死亡した。旅客・車両搭載区画への延焼は抑えられたため、旅客、搭載車両へ被害はなかった。
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事故・インシデント
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「フェリーくるしま」の記事における「事故・インシデント」の解説
2003年8月26日、20時40分、松山港に接岸中の本船で、シャーシの積み込み作業を行っていた甲板員1名が車両に挟まれ死亡した。事故原因は、ヘッド切り離し前のシャーシの後部を通行したためとされたが、車両誘導時の安全措置が不十分だったこと、運航管理者の運航管理が不十分だったことも原因とされた。
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事故・インシデント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 21:33 UTC 版)
1996年10月3日、11時45分ごろ、神津島港で荷役中、船体の動揺により吊り上げていた貨物が落下、乗組員2名が骨折した。事故発生当時、天候は晴で風力5の東の風が吹いており、台風の影響で波高約1.3メートルの波浪があった。 2010年1月8日、9時10分ごろ、下田港で荷役中、乗組員1名がハッチカバーに手を挟まれ、骨折などの重傷を負った。
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事故・インシデント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 08:22 UTC 版)
「フェニックス エキスプレス」の記事における「事故・インシデント」の解説
灯浮標衝突事件 2000年5月9日19時37分ごろ、川崎港から日向細島港へ向けて出港した本船は出航操船中に多摩川口灯浮標に接近しつつあるなかで左回頭を続け右舷船尾が灯浮標に衝突。それまでの操船要領で桟橋からの出航を無難に行っていたために灯浮標への接近に対する注意を怠り発生したものであった。
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事故・インシデント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 08:07 UTC 版)
「パームビーチ国際空港」の記事における「事故・インシデント」の解説
2008年1月30日、サンフアン(プエルトリコ)のルイス・ムニョス・マリン国際空港からフィラデルフィア国際空港へ向かっていたアメリカン航空1738便が、コックピット内の煙を報告した後、パームビーチ国際空港に緊急着陸した。137人の乗客と7人の乗員の内、乗客1人と機長、副操縦士を含む乗員5人が病院に搬送された。 2010年11月11日、パームビーチ国際空港からメルボルン国際空港へ向かおうとしたパイパー PA-44が、離陸中にエンジンが停止し誘導路に墜落した。この機体はフロリダ工科大学(英語版)の航空学部が運用していたもので、搭乗していた4人全員が死亡した。この内、2人はこの大学の学生で、1人は飛行教官、1人は客だった。 2012年10月25日、コロンビアのラファエル・ヌニェス国際空港からフォートローダーデール空港へ向かっていたスピリット航空946便のエアバスA319が、第2エンジンが停止したため、緊急着陸した。飛行機は無事に着陸し、機体にも乗客にも被害は無かった。 2014年3月24日、アトランタ空港からパームビーチへ向かっていたデルタ航空2014便のマクドネル・ダグラス MD-90が油圧系統のトラブルのため緊急事態を宣言し、滑走路28Rへ緊急着陸した。機体に損傷は無く、けが人もいなかった。 2016年7月21日、フィラデルフィア国際空港へ向かうアメリカン航空1822便のエアバスA319が、離陸に向けて地上移動中に油圧系統の油漏れを起こした。乗客は緊急脱出スライドで機外へ出た。17人が負傷し手当を受けた。
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事故・インシデント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 10:05 UTC 版)
1966年11月13日、大阪発の全日本空輸533便(日本航空機製造YS-11)が着陸に失敗して伊予灘に墜落、乗員乗客50人全員死亡。全日本空輸にとって2月4日に起きた羽田沖での墜落事故に次いで、この年2回目の墜落死亡事故となり、経営危機となり日本航空の支援を受けることになった(全日空松山沖墜落事故)。 2009年1月30日、大阪行の日本エアコミューター2318便(ボンバルディアDHC8-Q400)が、飛行計画の承認を管制官から受けないまま離陸。その2分後に同機側が確認を求め、管制官は事後承認。 2009年10月10日午後3時半頃、同空港に着陸予定だった自家用プロペラ機「パイパーPA-28」型機が胴体着陸を行った。乗員にけがはなかった。操縦者は「車輪を一度出したものの、空港まで遠かったので収納したが、そのまま着陸前に出すのを忘れてしまった」と供述している。
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事故・インシデント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 18:03 UTC 版)
「フジドリームエアラインズ」の記事における「事故・インシデント」の解説
2019年4月23日、山形空港発名古屋/小牧空港行きの386便(エンブラエル E175、JA11FJ)が離陸滑走中に滑走路を左に逸脱し、草地で停止した。これにより午後4時50分ごろから終日、山形空港の滑走路が閉鎖され、山形発着便が欠航やダイバートすることとなった。同機には乗員4人乗客60人が搭乗していたが、負傷者は出なかった。国土交通省より重大インシデント認定され、運輸安全委員会による原因究明調査が行われていて、山形空港は翌24日午前9時半頃に運用再開した。該当機は調査のため27日迄山形空港に留め置かれていたが27日に名古屋/小牧空港へフェリー(回航)され、以降運用復帰している。運輸安全委員会の調査報告書では、離陸滑走中に風の影響で左側に進行が傾き、機長・副操縦士とも右ラダーペダルを踏んで軌道修正しようとしたが反応しなかったため離陸中止を判断、進行方向が制御できなかったため滑走路を逸脱して停止、自走不能になったものと推定された。ラダーペダルが使用できなかった原因はマイクロスイッチの不具合であった。このマイクロスイッチは操縦桿内にあり、操縦桿を押し込むとタキシング時の操作モードになり、操作はラダーペダルではできずハンドルで操作するようになる。操縦桿を引いていたがマイクロスイッチの故障によりタキシング時の状態モードになっていた。マイクロスイッチの不具合に関しては分解解析中に不具合が解消されたため原因を特定することができなかった。なお、出発前点検ではこの不具合は検知できなかったとされている。また、エアバスやボーイングではティラーを使うため、このような切替機能はない。離陸中止の判断の後、ブレーキ操作は行われなかった。これは、滑走路を逸脱することは避けられず逸脱した後の機体の姿勢が不安定になることを避けるため、機長の瞬時の判断であった。
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事故・インシデント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 14:18 UTC 版)
「さんふらわあ ふらの」の記事における「事故・インシデント」の解説
岸壁衝突事故 2018年1月21日13時37分頃、大洗港着岸の際に十分な減速を行えず2.9ノットの速力で第3埠頭西岸壁付近の泊地に衝突し球状船首と岸壁が損傷。事故原因は2軸可変ピッチプロペラ推進の深夜便船舶と同じ感覚でハイブリッド二重反転プロペラ推進の本船を操船し減速が遅れた為とされた。
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事故・インシデント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 14:17 UTC 版)
「さんふらわあ あいぼり」の記事における「事故・インシデント」の解説
2009年7月26日、南港フェリーターミナルに着岸中、不調だった熱媒油加熱システムの点検を行った際、取り扱いの不備により熱媒油が噴出、補機の排気管に触れ出火した。火災により左舷煙突内を焼損した。
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事故・インシデント
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「さんふらわあ ごーるど」の記事における「事故・インシデント」の解説
2009年10月21日、大分港から神戸港へ航行中、油圧式可変ピッチ推進装置(プロペラ)の舵角が変わらなくなり、所定の速度で航行出来なくなった。原因は設計上の欠陥により、油圧式可変ピッチ推進装置のアウターオイルチューブおよびボスヘッド締付けボルトに亀裂が生じたためであった。同型船のぱーるでも同様の損傷が確認され、当該部は形状が変更された対策品と交換された。
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事故・インシデント
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「さんふらわあ ぱーる」の記事における「事故・インシデント」の解説
2009年10月21日、同型船の「さんふらわあ ごーるど」が大分港から神戸港へ航行中、油圧式可変ピッチ推進装置(プロペラ)の翼角が変わらなくなり、所定の速度で航行出来なくなった。原因は設計上の欠陥により、油圧式可変ピッチ推進装置のアウターオイルチューブおよびボスヘッド締付けボルトに亀裂が生じたためであった。本船でも同様の損傷が確認され、当該部は形状が変更された対策品と交換された。 2014年1月9日、18時33分ごろ、六甲アイランドフェリーターミナル第1バースで荷役中だった本船に、西側のバースに着岸しようとしていた貨物船が圧流され接触した。本船の左舷側に貨物船の後部が繰り返し衝突する形となり、 本船は船橋左舷下部に破口を生じるなど左舷外板が損傷した。本船は応急補修後、約2時間半遅れで運航された。 2017年12月15日、機関故障が発生し、MES-KHI由良ドックへ緊急入渠。原因は不明だが故障が深刻であったため9カ月間運休し、2018年8月29日の神戸発便より運行を再開。休航中の2018年5月から8月にかけては、本船の代替としてさんふらわあ さつま1が別府-神戸間を臨時運航した。
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事故・インシデント
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「さんふらわあ こばると」の記事における「事故・インシデント」の解説
2007年7月9日、松山港を出港して別府港へ航行中、興居島と四国の間にある高浜瀬戸の最狭部で小型タンカーと衝突した。衝突により本船は左舷船首部に凹損などを生じ、修理のため1週間欠航となった。事故原因は双方が衝突を避けるための措置をとらなかったためとされた。
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事故、インシデント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 03:20 UTC 版)
「ライオン・エア」の記事における「事故、インシデント」の解説
ボーイング737-900ERやボーイング737MAXなどの最新機材を導入しているが、数多くのインシデントが発生している。 2004年11月30日 - ソロで583便(MD-82)が暴風雨の中着陸に失敗してオーバーラン、乗員乗客163人中乗員1人乗客24人死亡。 詳細は「w:Lion Air Flight 583」を参照 2009年2月23日 - リアウ諸島州バタム島で車輪が出ず、胴体着陸したが負傷者なし。 2013年8月6日 - 892便(ボーイング737-800、PK-LKH)がゴロンタロの空港に着陸した際、滑走路から外れて、牛をはねた。負傷者はなし。 2013年4月13日 - インドネシアのバンドンからデンパサールに向かっていた904便(B737-800(登録番号:PK-LKS/製造番号:38728/ラインナンバー:4350))がデンパサール国際空港の滑走路09手前の海に着水し大破。乗員7名・乗客101名の計108名のうち40人以上が怪我をした。当該機は同年2月に初飛行し、受領したばかりの新造機であった。詳細は「ライオン・エア904便着陸失敗事故」を参照 2013年9月30日 - 775便(ボーイング737-900ER PK-LFM)がマナドの空港において駐機中、補助動力装置の故障により空調が動作せず機内が高温となり、乗客が非常口を開けてしまうトラブルが起きた。 2018年10月29日 - スカルノ・ハッタ国際空港発デパティ・アミール空港行きの610便(ボーイング737 MAX 8)が、離陸12分後に海へ墜落した。乗客乗員189人が搭乗していたが全員が死亡した。これは、ライオン・エアとしては初めて乗員乗客全員死亡という大惨事となり、また同時に737の事故としては最も多くの死者を出した事故になった。 詳細は「ライオン・エア610便墜落事故」を参照 2019年2月16日 - スカルノ・ハッタ国際空港発スパディオ空港行きの714便(ボーイング737-800/PK-LPS)が、スパディオ空港への着陸時にオーバーランした。事故当時、非常に強い雨が降っていたと報告されている。
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