フェリーかつらとは? わかりやすく解説

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フェリーかつら

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/22 07:22 UTC 版)

フェリーかつら
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本
所有者 大阪高知特急フェリー
運用者 大阪高知特急フェリー (1971年 - 1981年)
関西汽船 (1982年)
建造所 幸陽船渠
母港 大阪[1]
姉妹船 フェリーなにわ
航行区域 沿海[1]
信号符字 JI2662[1]
IMO番号 7112668
経歴
起工 1971年3月20日[2]
進水 1971年6月11日[2]
竣工 1971年9月13日[2]
就航 1971年9月20日[3]
運航終了 1982年12月
要目
総トン数 4,693.95トン[1]
全長 120.80 m[1]
登録長 114.83 m[1]
垂線間長 111.88 m[1]
20.40 m
型幅 20.40 m[1]
型深さ 6.80 m[1]
喫水 3.87 m[1]
満載喫水 4.98 m[1]
機関方式 ディーゼル
主機関 新潟鉄工6MMG31EZ 4基[1]
推進器 2軸
出力 8,000 PS[1]
最大速力 18.93ノット[1]
航海速力 17.28ノット[1]
航続距離 2,700海里[1]
旅客定員 818名[1]
乗組員 28名[1]
車両搭載数 8トントラック60台、乗用車80台
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フェリーかつらは、大阪高知特急フェリーが運航していたフェリー

概要

大阪高知フェリーのフェリー化第一船として幸陽船渠で建造され、1971年9月20日に就航[3]関西汽船より継承した在来客船の一部運航を置き換えた。翌1972年、土佐特急フェリーとの合併により、社名は大阪高知特急フェリーとなった。

1981年4月、ニューかつらの就航により引退。1982年2月、関西汽船に用船され[1]、12月に室戸汽船から用船したフェリーむろと (初代)くるしま丸として就航するまで、小倉 - 松山航路で運航された。

返船後、1984年に永雄商事に売船[4]、1990年、フィリピンのSweet Linesに売却され、Sweet Gloryとして就航した。

就航航路

大阪高知特急フェリー(1971年 - 1981年)

就航当初3ヶ月は在来客船「平和丸」「明石丸」と併用された。同型船「フェリーなにわ」の就航により完全フェリー化された後は、本船との2隻により昼夜各1往復(火曜は夜行のみ)[5]を運航したが、1975年以降は夜行便1往復となり、繁忙期に臨時便として昼行便1往復を増便する形となった[6]

設計

フェリーなにわの同型船である。

船内設備

船室

船室タイプの一覧
クラス 定員 船内区画
特別室 4名 Bデッキ
一等室 68名 Bデッキ
二等座席指定 200名 Bデッキ
二等室 442名 Cデッキ
ドライバールーム 106名 Cデッキ

その他

  • 案内所、売店、自動販売機、上等級用ラウンジ、ゲームコーナー
竣工時にはレストラン、スナック、喫茶・バーも存在した[7]

事故・インシデント

1975年4月29日、22時28分ごろ、大阪南港から高知港へ向かっていた本船は、の神戸港和田防波堤燈台の西方10.1海里の大阪湾内の地点でコンテナ船サンシンスターと衝突した。本船とサンシンスターのいずれも22時10分ごろには、レーダーで相手船を確認していたが、本船は右転、サンシンスターは左転してかわそうとしたため、それぞれ方位がかわらないまま接近、サンシンスターの船首が本船の左舷船首部に船首から約80度の角度で衝突した。衝突により、本船は左舷船首部の外板に長さ約19メートル×幅約6メートルの損傷を生じ、サンシンスターは船首材が圧壊した。また、本船の旅客13名が軽い打撲傷を負った。事故発生当時、霧が出ており、視程は600 - 700メートルと悪化していた。事故原因は、本船およびサンシンスターが霧のため視界が制限される状態で過大な速力で進行し、著しく接近する他船の存在をレーダーで確認しながら、停船など衝突回避処置が十分でなかったこと、とされた[8]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 日本船舶明細書 1983 (日本海運集会所 1982)
  2. ^ a b c 国土交通省海事局 監修『船の科学』25(1)(279),船舶技術協会,1972-01. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3231715 (参照 2023-04-11)
  3. ^ a b 『港湾荷役』16(5),港湾荷役機械システム協会,1971-09. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2689182 (参照 2023-04-11)
  4. ^ 世界の艦船別冊 日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで- P.194 (海人社 2009)
  5. ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和47年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1973]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12065577 (参照 2023-04-11)
  6. ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和51年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1976]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12061801 (参照 2023-04-11)
  7. ^ 『旅客船 : 機関誌』(94),日本旅客船協会,1972-02. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2810977 (参照 2023-04-11)
  8. ^ 神戸地方海難審判庁 (30 September 1976). 昭和50年神審第69号 機船フェリーかつら機船サンシンスター衝突事件 (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. {{cite report}}: |access-date=を指定する場合、|url=も指定してください。 (説明)

フェリーかつら

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 14:18 UTC 版)

大阪高知特急フェリー」の記事における「フェリーかつら」の解説

1971年竣工。「フェリーなにわ」と同型船

※この「フェリーかつら」の解説は、「大阪高知特急フェリー」の解説の一部です。
「フェリーかつら」を含む「大阪高知特急フェリー」の記事については、「大阪高知特急フェリー」の概要を参照ください。

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